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芸術鑑賞の備忘録

映画『聖なる犯罪者』

映画『聖なる犯罪者』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のポーランド・フランス合作映画。115分。
監督は、ヤナ・コマスィ(Jana Komasy)。
脚本は、マテウシュ・パツェヴィチ(Mateusz Pacewicz)。
撮影は、ピョートル・ソボチンスキ・Jr.(Piotr Sobociński Jr.)。
編集は、プシェミスウァフ・フルシチェレフスキ(Przemysław Chruścielewski)。
原題は、"Boże Ciało"。仏語題は、"La Communion"。

 

ポーランドのある少年院。鋸を使って木材を切断する作業が行われている。電話が鳴り、法務教官が短時間現場を離れた隙に、収容者の一人が他の収容者によって押さえつけられ服を脱がされると、陰嚢を机の引き出しに挟まれる。ダニエル(Bartosz Bielenia)は見張り役を任されていて、法務教官が戻ってくると口笛を吹く。何事もなかったかのように作業が再開される。教室では、感情をコントロールするためのプログラムが行われた後、礼拝の準備が行われる。収容者たちが席に着いた教室に、神父のトマシュ(Łukasz Simlat)が入ってくる。形だけ参加する者がいるなら運動場へ行きなさい。そこでも神は君たちとともにある。ひたすら神に祈りなさい。自らの抱える不安や怒り、犯した罪を神に告げなさい。型にはまらず伝えたいことだけを伝えたトマシュは、ダニエルに前に立って賛美歌を歌うよう促す。ダニエルに合わせて、その場の皆も歌い出す。収容者が食堂に集まり食事をしているところへ、巨漢のボヌス(Mateusz Czwartosz)が法務教官に伴われて入ってくる。薄笑いを浮かべるボヌスがトレイを手にやおら腰を下ろしたのは、ダニエルの真後ろだった。どうだ。まさか逃げ切れることなんて思ってないよな。ダニエルは仮退院が決まっていた。何も答えないダニエルの後頭部目がけ、ボヌスが皿を投げつける。法務教官たちがボヌスを押さえつけに飛んで来る。その様子を奥の席で眺めていたピンチェル(Tomasz Ziętek)は愉快でたまらなそうだ。ダニエルはトマシュに神学校に行きたいと相談するが、前科のある者に門戸は開かれていなかった。神父にならずとも神に仕えるべき方法はあるとトマシュはダニエルを諭す。受け入れ先の製材所は国の真反対側だよね。不安なのか。土地勘がないだけだよ。その町の町長は立派な人物だ。いいか、酒もクスリもやるんじゃないぞ。もちろんだよ。
退院したトマシュは地元の仲間のパーティーに顔を出す。酒とクスリに早速手を出して、狂ったように踊り、一人の女の子を誘ってセックスする。心理学を学んでいる女子学生だった。
バスに乗り込み製材所へ向かう。空いた車内の後方でタバコを吸っていると、男(Juliusz Chrzastowski)が近寄ってくる。タバコを消せ。男は警察手帳を示す。ダニエルはタバコを思い切り吸い込むと、窓の外に吸い殻を投げ捨てる。「製材所」に向かうんだろ。いつも見張ってるからな。バスが草原の中にぽつんと立つ停留所で停まる。ダニエルは草原を横切り、人里離れた製材所へ歩いて行く。どうやら自分と似た境遇の連中が集まっているらしい。ダニエルは一頻り様子を確認すると、製材所を離れ、教会の鐘楼を目印に町へ向かう。町のメインストリートには、キリストの図像とともに若者の写真を貼った献花台が設けられていた。教会に向かうと、礼拝堂の信徒席には一人の若い女性(Eliza Rycembel)が座っているだけだった。礼拝は? もう終わったよ。次は明日の朝。明日までは待てないな。製材所の人でしょ? 聖職者だよ。私もそうだけどね。祭服は? ラフな服装のダニエルがバッグから立襟の祭服を取り出す。驚いた彼女の名はマルタと言い、慌てて母親である会堂管理人リディア(Aleksandra Konieczna)のもとに向かう。リディアはダニエルを控室に招き入れ着替えさせる。ダニエルは逃げ出そうとするが窓は嵌め殺しになっていた。祭服を身につけたダニエルがリディアに伴われて教区司祭ヴォイチェフ・ゴオンブ(Zdzisław Wardejn)の住まいへと向かう。リヴィングに通されるダニエル。大画面の液晶テレビではサッカーの試合が放送されていた。姿を現した教区司祭は献金の仕分けを手伝わせながらダニエルに尋ねる。最近叙階されたのだね。どこの神学校かな。ワルシャワには2つあるはずだが。私はもう一つの神学校だった。当時は体制もそうだったが非情に厳しい規律があった。まあよく抜け出したもんだが。君もそうだったろう? 確かに、そういう者もいましたが…。ヴォイチェフはウォッカをダニエルに勧める。司祭は? 私は健康の問題で飲めないのだよ。もう晩から泊まって行きなさい。ダニエルは献金からくすねた紙幣を手に買い出しに向かい、タバコなどを手に入れる。翌朝、ダニエルはヴォイチェフが酒を呑みベッドの傍に倒れているのを発見する。リディアが訪れて信徒が既に集まっているが告解を中止するかどうか尋ねる。ヴォイチェフはダニエルを代理として教会に遣わす。告解室に入ったダニエルはスマートフォンを片手に信徒に言葉をかける。女性が語り出す。3週間ぶりです。息子が小学校でタバコを吸っています。ときどき手を上げてしまうのです。どうしたら良いのでしょう。お子さんは強いタバコを与えれば止めますよ。私は吸いません。タバコの臭いがしますが。ときどきです。手を上げるのもときどきですか? 告解を無事に務めたダニエルに、ヴォイチェフは病気の治療法を探る間、司教には内密で3日間ほど代理を務めて欲しいと依頼する。ミサのために慌てて聖書の字句を頭に叩き込むダニエル。ミサを迎え、信徒の前に立つダニエル。沈黙もまた祈りです。しばらく間を置いたダニエルは、壁に掲げられたキリスト像を見上げて語り出す。私に彼の代わりは務まりません。塵のようなものなのです。神はあなた方とともにある。ひたすら神に祈りなさい。自らの抱える不安や怒り、犯した罪を神に告げなさい。頼りなさそうに眺めていた聴衆はダニエルの衒いの無い説教に心を打たれる。ダニエルが賛美歌を歌い出すと、皆も声を合わせる。

 

少年院でトマシュ神父(Łukasz Simlat)に感化されたダニエル(Bartosz Bielenia)は聖職者を志すが、前科のために叶わない。仮退院で向かった町で、司祭のふりをしたダニエルは、行き掛かり上アルコール中毒の教区司祭ヴォイチェフ・ゴオンブ(Zdzisław Wardejn)の代理を務めることになる。飾らない言葉で教区の人たちの信望を集めるダニエルは、1年前に地元で起きた悲劇について首を突っ込むことになる。
Bartosz Bieleniaが、善悪の境界線を危なっかしく綱渡りするダニエルの存在を生々しいものにした。とりわけ彼の表情が強い印象を残す。


以下では、核心に触れる。


少年院に収容されたダニエルは、改心して聖職者の道を志す。そのきっかけは、トマシュ神父の行う、形式ばかりの空虚な内容を退け、神への祈りを重視する説教に感銘を受けたことだった。ところが、前科のあるダニエルには神学校進学の道が閉ざされていた。聖職者のふりをしたことから実際に教区司祭の代理を務めることになったダニエルの説教は、風変わりだが真に信仰に支えられているがゆえに、教区の人たちを引きつけていく。資格を持たない「偽物」が本職を超えた支持を得るのだ。だが、ダニエルを変えたトマシュ神父は、ダニエルの「本物」の信仰に気が付きながらも、「偽物」の司祭であるとして彼を許容することができない。トマシュ神父が、一度は改心させたダニエルに再び過ちを犯させてしまう愚を描くことで、信仰や正しさの意味を鑑賞者に問いかける。
原題の"Boże Ciało"は「キリストの身体」のこと。「師」であるトマシュ神父から教会を追われることになったダニエルが祭服を脱いでキリスト像と同じ姿を晒すことで、トマシュ神父が犯す過ちをダニエルが贖うという結末の予兆とする。それを表した、それ以外にないというような秀逸なタイトルである(もっとも『キリストの身体』では邦題として成立しないだろう。邦題を考案する苦悩が偲ばれる)。