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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 会田誠個展『愛国が止まらない』

展覧会『会田誠展「愛国が止まらない」』を鑑賞しての備忘録
ミヅマアートギャラリーにて、2021年7月7日~8月28日。

宙に浮かぶ巨大な兵士の亡霊が墓石のようなモニュメントに手を伸ばす立体作品《MONUMENT FOR NOTHING V~にほんのまつり~》、1粒の梅干しを描いた絵画シリーズから44点、糠漬け・キムチ・ザーサイが競うイヴェントを夢想して制作された写真と文章から成る《北東アジア漬物選手権の日本代表にして最下位となった糠漬けからの抗議文》で構成される、会田誠の個展。

《MONUMENT FOR NOTHING V~にほんのまつり~》は、ねぶたの山車灯籠の人形のように、針金を組んだ構造に着彩した紙を貼り付けて制作された、飢餓に苦しんだ兵士の亡霊を表した立体作品。天井から伸びた長い首の先には、ほとんど頭蓋骨となってしまった頭部に、落ちくぼんだ眼窩の眼球と口から剥き出しになった歯と歯茎が覗いている。天井からは左腕も長く伸ばされ、左手の人差し指が、花を左右に供えた国会議事堂風の墓石に触れている。ギャラリーの吹き抜けの展示空間いっぱいに設置され、入口・受付側からは顔・手・墓石の部分が展示室の入口でトリミングされて見える仕掛けとなっている。
ところで、先代が「張貫ニテ模造シ」た鎌倉大仏を展示するためウィーン万国博覧会(1873年)を訪れた人形師・鼠屋伝吉は、帰国後に現地で目にしたヨーロッパ風俗を「石像楽圃」という見世物で再現した(1875年)。街を行き交う人々の背景には台座に載った「石像」が置かれていた。鼠屋伝吉は、図らずも西洋の「彫刻」をいち早く日本に伝える役割を果たすことになった。その鼠屋伝吉と「育った環境も身につけた技術もよく似ていたはず」で、なおかつ「大仏の見世物を手懸けた経験」もあった仏師・高村光雲は、東京美術学校に招聘され、「彫刻家」として美術史に位置づけられた。それに対し、人形師・鼠屋伝吉はそうならなかった(木下直之「石像楽圃」同『美術という見世物』筑摩書房ちくま学芸文庫〕1999年/p.19-50参照)。祭礼のつくりもの、張りぼての人形は、近代的な美術の枠組みから偶然、漏れてしまったものである。
翻って、《MONUMENT FOR NOTHING V~にほんのまつり~》は、日本の近代化の1つの結果である敗戦をモティーフとしているが、針金の構造や中の木製の芯が見えるようあえて紙で表面を張り尽くさず穴の開いた張りぼてとして呈示されている。近代(美術・史)の枠組みの穴や荒さ、歪みを訴えているのだ。
壁面には、1粒の梅干しだけを描いた絵画「梅干し」シリーズから44点が並べられている。テーブルかまな板か(あるいは白飯か)、白い台の上に置かれた梅干しは、1つ1つ違う形をしていて、光源や影の向きも異なる。色彩も、白と赤とを基調としながら、作品によって青、緑、紫、黄などが配色の中心となっている。作家は、高橋由一の《豆腐》(1877)を「日本で最初にして最良の油絵」と評価し、それを念頭に制作された作品だという(但し、油絵具のみで描かれているのは8点で、その他の作品はアクリル絵具、もしくはアクリル絵具と油絵具の併用となっている)。
高橋由一は、満足に入手できなかった画材を自作しながら描いた油絵の先駆者である。徹底して時間を排除した「物そのもの」の姿を描くことで、「写外の余趣を想像せしむるの妙」を有する「永久保存の功ある」油絵を開拓した(古田亮『ミネルヴァ日本評伝選 狩野芳崖高橋由一 日本画も西洋画も帰する処は同一の処』ミネルヴァ書房/2006年/p.209-213, p.251-252参照)。その代表作が《鮭》や、作家が評価する《豆腐》である。作家は、「梅干し」という卑近なモティーフに取り組むことで、「近代」絵画の歴史をなぞっている。「梅干し」絵画のシリーズは、近代(美術・史)の枠組を問い直す《MONUMENT FOR NOTHING V~にほんのまつり~》とパラレルなのである。
《MONUMENT FOR NOTHING V~にほんのまつり~》の旧日本軍兵士の亡霊を取り囲む「梅干し」シリーズ絵画は、霊魂を招くための提灯のようだ。招魂社を前身とする靖国神社戦争博物館遊就館」の当初の姿は、高橋由一の美術館構想を実現するものであったことも思い出されよう(木下直之「美術館がほしい 今から120年前の夢について」兵庫県立美術館編『松方・大原・山村コレクションなどでたどる 美術館の夢』兵庫県立美術館神戸新聞社/2002年/p.26参照)。のみならず、「国会議事堂」のモニュメントや展覧会タイトル「愛国が止まらない」」を勘案すれば、「梅干し」に「日の丸」(=国旗)を見ない訳にはいかない。しかし、描かれているのはあくまで「梅干し」であり、「日の丸」ではなく「日の丸弁当」だ。「太陽」(=日の丸)に擬えられる単一の近代国家という抽象的な枠組みから、家庭や地域によって多様な製法・味わいのある「梅干し」が象徴する、それぞれが日常生活を送る具体的な足場へと目を向けることが目論まれている。愛の対象は「(近代)国家」から、「お国自慢」の「国」、すなわち「故郷」にずらされている。それは、《北東アジア漬物選手権の日本代表にして最下位となった糠漬けからの抗議文》における「北東アジア漬物選手権」なる架空の大会が、日本の糠漬け、韓国・北朝鮮のキムチ、中国のザーサイが競うものであり、酒場で闘わされる「お国自慢」の戯画のような作品であることからも明らかである。愛国のあり方は十人十色であり、またそうあってよく、そのイメージの広がりは留まることを知らない。ところで、壁面に飾られた絵画は、(例えば縦に2作品を横に22列などと)「整列」されて展示されることなく、高さを微妙に変えながら飾られている。それぞれの絵画の背景は、分光された光のように多様な色彩を見せていることも相俟って、印象派絵画の水面描写に見えてくる。「梅干し」絵画シリーズは水の流れと目されよう。すると、「梅干し」は「ゆく河の流れ」の「よどみに浮ぶうたかた」として、「梅干し」絵画シリーズは諸行無常を表すインスタレーションとして立ち上がるだろう。