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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『第15回 shiseido art egg 第1期 石原海「重力の光」』

展覧会『第15回 shiseido art egg 第1期 石原海「重力の光」』を鑑賞しての備忘録
資生堂ギャラリーにて、2021年9月14日~10月10日。

2006年から行われている、新進作家による資生堂ギャラリーを会場とした展覧会企画公募プログラム「shiseido art egg」の入選者展。応募企画案243件から選出された3つの展覧会を連続して実施する、その1回目は、石原海の企画による「重力の光」。作家が転居先で通うようになった教会の人たちと制作した演劇を、出演者のインタヴューを交えて構成した映像作品《重力の光》の上映を中心に、関連作品が展示される。

《重力の光》は、作家が通うプロテスタント教会の人たちと制作した、「最後の晩餐」からイエス磔刑と復活までを描いた芝居(カラー映像)と、出演者のインタヴュー(モノクロ映像)とを組み合わせた30分の映像作品。冒頭は、「ヨハネによる福音書」を参考にしたと思しきモノローグ。初めに言葉があった。言葉の中に命があった。命は人の光であった。光は暗闇の中で輝いている。「天使」の独唱が始まり、「天使」役の女性の生い立ちが語られるインタヴューに切り替わる。女性は戦禍を逃れるためにジャングルを彷徨う経験をしていた。続いて、イエスが弟子の足を洗うシーン。師の行為に戸惑う弟子が足を洗わないよう懇願するが、イエスは意に介さない。私があなたの足を洗わなければ、あなたは私との関係はなくなる。場面が切り替わり、イエスが言う。あなたがたのうちのひとりが、私を裏切ろうとしている。男性のインタヴュー。彼は、妻子に逃げられて自暴自棄になった過去について語る。「最後の晩餐」。イエスが弟子たちに宣告する。あなたがたのうちの1人が、私を裏切ろうとしている。まさか、私ではないでしょうと述べるユダにイエスは断言する。いや、あなただ。ユダ役の男性が、世間とは異なる、教会の人々の関係性に理想的なものを感じたとコメントする。イエスが皿に載ったパンを千切る。取って食べよ、これは私の身体である。皿を回し、弟子たちがパンを一切れずつ口にする。イエス役の男性が聖書を学ぶクリスチャンだと自己紹介する。イエスは杯を手に訴える。この杯から飲め。これは私の血である。罪の赦しを得させるようにと、多くの人のために流す私の契約の血である。イエス役の男性が、信仰告白書というのは契約書のようなものだと解説する。弟子たちが杯を回し、一口ずつ飲む。イエス役の男性が、かつて極道の世界に身を置いていたと、来し方について語り出す。
素人の演技は、セリフを棒読みしたり、とちったり。所作も極めて拙い。それでも見ていられない芝居にならず、むしろつい引き込まれてしまうのは、カット・インによる出演者の身の上話が、物語と重ねられているからだ。「光は暗闇の中で輝いている」と訴える女性は、幼い頃、戦争という闇を、ジャングルの闇の中で生き抜いた。弟子の足を洗い、罪を引き受ける契約を人々と交わすイエス役の男性は、極道の世界から足を洗い、クリスチャンになった。イエスを鞭打つ民衆を演じた女性は、かつてひどい虐待を受けていた。そのような背景を知らされることで、出演者のセリフや動作に現実感が生まれる。その現実感は、素人芸がイエスや弟子や民衆といった役柄の存在感を抑えるために、かえって高められる結果を招来する。
一度は社会からドロップアウトした人たち。「重力」が働いて、下降運動が生じた。彼ら/彼女らは更生(≒上昇)することで、一種の「位置エネルギー」のようなものを蓄えているのかもしれない。そのエネルギーとは、恩寵という「光」が変換されたものである。