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芸術鑑賞の備忘録

映画『PITY ある不幸な男』

映画『PITY ある不幸な男』を鑑賞しての備忘録
2018年製作のギリシャポーランド合作映画。99分。
監督は、バビス・マクリディス(Μπάμπης Μακρίδης)。
脚本は、エフティミス・フィリポ(Ευθύμης Φιλίππου),とバビス・マクリディス(Μπάμπης Μακρίδης)。
撮影は、コンスタンティノス・ククリオス(Κωνσταντίνος Κουκουλιός)。
編集は、ヤニス・ハリキアダーキス(Γιάννης Χαλκιαδάκης)
原題は、"Οίκτος "。

 

シャッターが上がると、サロニコス湾の眺望が開ける。簡素だが洗練された寝室は日が射し込まずまだ薄暗い。寝間着の男(Γιάννης Δρακόπουλος)がベッドの端に腰掛けて、1人嗚咽している。
白い壁と艶やかなフローリングの瀟洒な室内には、絵画や鉢植えが点在する。白いワイシャツを着てネクタイを締め、チャコールグレーのスラックスを身につけた男が、その部屋の中央に立っている。チャイムが鳴る。男は一呼吸置いてから、真っ直ぐ前に歩いて行き、ドアを開ける。アパートメントの下の階に住む女性(Τζωρτζίνα Χρυσκιώτη)が現れる。ケーキを焼いたのでお持ちしました。もう朝食はお済みになったかしら? 奥様の状態はいかがですか? どうか気を強くお持ちになって下さいね。男は、息子(Παύλος Μακρίδης)と受け取ったケーキを食べる。男は、足元に座る愛犬のクッキーにも右手に載せた一切れを食べさせてやる。
男は、クリーニング店に立ち寄る。カウンターに預かっていたスーツを運んできた店主(Μάκης Παπαδημητρίου)から妻の状況を尋ねられた男は、未だ昏睡状態でと言葉少なに答える。店主は男に対して心からの同情の言葉を告げる。
男は弁護士で、秘書(Ευδοξία Ανδρουλιδάκη)を雇い入れて個人事務所を開設している。応接室の壁は明るい浜辺を描いた大きな絵が覆っている。殺人事件の被害者の娘(Νότα Τσερνιάφσκι)と息子(Νίκος Καραθάνος)から事情を聞き取る。2人の父親は自宅で刃物で刺されて死亡していた。遺体の周辺には黄色い自転車が置かれ、悲鳴をかき消すためか大音量の音楽が流れていたという。
男は息子とともに病院を訪れる。315号室のベッドには昏睡状態の妻(Εύη Σαουλίδου)が横になっている。法廷で被告人の悪辣さを証明してみせると、男は妻に誓う。息子は病室の椅子に座ってスマートフォンのゲームに興じていて、その音が静かな病室を満たしている。看護師(Μαρίσσα Τριανταφυλλίδου)に妻を委ね、男と息子とは病室を去る。食堂で男は息子とともに昼食をとる。最近食事が偏っているから、食事を用意してくれる女性を雇うつもりだと、男は息子に告げる。母親の食事でなければ意味が無いと息子は答える。
男は友人のニコス(Κώστας Ξυκομηνός)とともにビーチでフレスコボールに興じている。2人の間でラリーが順調に続いていく。帰り支度をしていると、ニコスが今晩、のところでカードをやるんだが来ないかと男を誘う。その気になったら連絡すると告げた男は、結局、父(Κώστας Κoτούλας)の家で卓を囲んだ。

 

弁護士の男(Γιάννης Δρακόπουλος)は、サロニコス湾を望む瀟洒なアパートメントで、美しい妻(Εύη Σαουλίδου)とピアノの才能を持つ息子(Παύλος Μακρίδης)と何不自由なく暮らしていた。ところが、不慮の事故で妻が昏睡状態に陥ってしまう。友人のニコス(Κώστας Ξυκομηνός)や自分の秘書(Ευδοξία Ανδρουλιδάκη)はもとより、同じアパートメントに住む女性(Τζωρτζίνα Χρυσκιώτη)やクリーニング店の店主(Μάκης Παπαδημητρίου)など、自分の生活に関わる人たちは皆、妻が不幸に襲われたことに対して男に最大限の同情を示してくれるのだった。

以下、全篇について触れる。

主人公の男は、妻が事故に遭って昏睡状態に陥ったことを機に、周囲の人々から同情を示されるようになる。おそらく順風満帆な生活を送ってきた彼に同情は無縁であっただろう(場合によっては、妬みのような感情を受けることもあったのかもしれない)。その同情に、男は魅入られた。同情を受けることに生き甲斐を感じたのだ。同情を受けるためには、悲しみを抱えている必要がある。彼は毎朝嗚咽し、妻が昏睡状態から脱しないことをを暗い表情で吐露する。息子にはピアノで明かるい曲を演奏しないよう言い含める。
息子を前に、母親の死に備えて歌を作ったからと男が歌い出すシーンは本作の見せ場の1つ。素人の作った歌にしてはやたら本格的で、聴く物を引き込む力を持っている。目を瞑り心酔して歌い上げる父親と、それを見守らざるを得ない息子とが作る妙な空気感と相俟って印象的だ。
妻が奇跡的に意識を回復する。それは喜ばしいことのはず。だがこれまで受けてきた同情を得られなくなることの方が男には恐ろしくなっていた。男は同情を受けるための不幸の種を探し出そうとする。妻に乳癌の虞があるのではないか。息子はピアニストになるには指が短すぎやしないか。そして、不幸が見つからないとき、男は不幸を生み出すべく動き出す(男の狂気の片鱗は、妻の事故で白髪が増えたと父親に訴える場面で示されていた。父親が頭髪を確認しても1本の白髪も見当たらないのだ)。まずは小さな命を犠牲に供することになる。だが、それに飽き足らない男は、さらなる犠牲を求めるだろう。冒頭から終盤まで、男の表情にほとんど変化がないことが、かえって恐ろしさを高めている。