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芸術鑑賞の備忘録

映画『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』

映画『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』を鑑賞しての備忘録
2019年製作のイギリス・カナダ・ハンガリー・ドイツ合作映画。
113分。
監督は、フランソワ・ジラール(François Girard)。
原作は、ノーマン・レブレヒト(Norman Lebrecht)の小説"The Song of Names"。
脚本は、ジェフリー・ケイン(Jeffrey Caine)。
撮影は、デビッド・フランコ(David Franco)。
音楽は、ハワード・ショア(Howard Shore)。
編集は、マイケル・アルカン(Michel Arcand)。
原題は、"The Song of Names"。

 

1951年。ロンドン。荒天の中、コンサート・ホールに聴衆が続々と詰めかけている。BBCラジオのアナウンサー(Eddie Izzard)が開演前の会場の熱気を伝えている。芸術における非常に良いものと真に偉大なものとの間に横たわる僅かでありながら、それでいて超え難い距離。今宵、音楽の神に愛されし21歳のポーランド移民が乗り越えてくれることでしょう。ドヴィドウ・ラパポート(Jonah Hauer-King)のヴァイオリンの天賦の才ということで衆目は一致しているからです。彼のレコードがクラシック音楽の世界に与えた影響は計り知れません。ですから私たちは彼が未だほぼ無名であることを忘れがちです。もっとも、今宵のコンサートは彼のデビューを飾るものなのです。楽屋前ではコンサートの主催者ギルバート・シモンズ(Stanley Townsend)が妻のイーニッド(Amy Sloan)や息子のマーティン(Gerran Howell)らとドヴィドウの到着を待ち侘びていた。事故に遭ったんだ。それ以外にあり得ない。マーティン、病院に電話してくれ。電話ならしたよ。警察へは? それには早過ぎるよ。リハーサルはどうだったんだ? 問題なかった。ヴァイオリンは持ってるのか? どこでもいつでも持ってくよ。リハーサルの後何処へ行くと言ってた? 知らない。マーティンの恋人ヘレン(Marina Hambro)が、ドヴィドウは我が道を行く人だからきっと雨の中を歩いてるんだわと口にする。ガリアーノを抱えてなんてあり得ないとギルバートは否定する。ステージと会場とを見回したギルバートは、貴顕や批評家をこれ以上待たせる訳にはいかないと、腹を固める。自分が伝えようと申し出るマーティンを制してステージに向かったギルバートは、鈴なりの客席に向かって公演の中止と窓口での払い戻しを断腸の思いで伝えた。
1986年。ロンドン。マーティン・シモンズ(Tim Roth)が、妻のヘレン(Catherine McCormack)から持ち物や身嗜みを確認され、作品を売り込むよう声をかけられている。マーティンは音楽コンクールの審査員を務めるためにニューカッスルへ向かうのだ。屋根修繕の見積もりを知らせてくれ、帰りは徒歩になるかもしれないからね。マーティンがヘレンとキスを交わすと家の前に待たせていたタクシーに乗り込む。マーティンが会場に到着したときには、既に市長(Steven Hillman)の挨拶が始まっていた。今年の出場者は粒ぞろいです。「北のウィーン」ニューカッスルの面目躍如となるでしょう。クラリネットの少女、チェロの少年。マリア・コーヴィンスキー(Annamária Makai)のピアノは群を抜いていた。ジェニー・バロウズ(Sharon Percy)が優勝者は決まりねとマーティンに耳打ちする。最後の出場者であるヴァイオリン奏者ピーター・ステンプ(Max Macmillan)がステージにに現れるとやおら弓に松脂を塗り、その松脂にキスをした。その所作にマーティンは打たれる。コンクールの翌日、マーティンはピーターとその母エレン(Viktoria Kay)をランチに招待した。息子を優勝させなかったのになぜ豪勢なランチに招いたんです? 私に優勝者を決定する権限なんてありませんよ。権限がおありでしたら優勝させてました? 才能は認めますが如何せん習練不足です。誰の指導を? 学校で習うだけで優れた指導者なんて望めませんわ。手の届く優れた指導者をご存じなの? 優れた者なら、決して安くはありませんし、ロンドンでなら。「所有するヨット」でも売れということかしら? 休暇の間だけなら費用は工面しますよ。ソリストは無理でも楽団員や教師で食べていくことは訓練次第で可能でしょう。ピーター、学校以外では誰に習っているのかな? 松脂の動作は誰に? おまじないです。教えてくれた人の名前は? たぶん私の知っている人だ。マーティンの目的がピーターではないことを察したエレンは食事をとることなく、息子を連れて立ち去った。
1939年。ロンドン。ドヴィドウ・ラパポート(Luke Doyle)がカール・フレッシュ教授(Tamás Puskás)を前にヴァイオリンの腕を披露しているのを、マーティン・シモンズ(Misha Handley)が覗き見ている。マーティンの父ギルバートがドヴィドウの才能に惚れ込み、フレッシュ教授に引き合わせたのだ。ギルバートが演奏の評価を求めると、フレッシュ教授はクライスラーでもないのに仰々しい動作は何だとドヴィドウに告げる。クライスラーはラパポートじゃないですからね。9歳のドヴィドウがいけしゃあしゃあと大人びた口調で返答する。ドヴィドウの父ジグムント(Jakub Kotynski)が才能ある我が子に教えるつもりがあるかフレッシュ教授に尋ねる。月に10人もの天才がやって来るのですよ、ラパポートさん。あなたのご子息に学ぶ意欲がおありなら教えないこともないですがね。ロンドンに滞在されるのですか? いや、ワルシャワに戻ります。妻子がおりますから。息子を任せることができる人がいれば預けていきます。現下のポーランド情勢に鑑みても、それが無難でしょうな。シモンズさん、僅かしかお支払いできませんが、ロンドンのユダヤ人家庭をご存じないですか? 心当たりならありますよ、ユダヤ人ではありませんが、支払いは不要です。信仰は最大限尊重致しますし、必要なものは何でもご用意しましょう。我が息子はドヴィドウ君と同年です。息子の部屋に居候させますよ。ドヴィドウはワルシャワに帰る父とイディッシュ語で別れの挨拶を交わす。マーティンは自室を共有することになったドヴィドウに対し、僕の部屋だから君ににいてもらいたくないと言い放つ。お前に決定権なんてないだろ。いや、あるね。従うつもりがないならポーランドに戻りなよ。ナチスがやって来て黄色い星を付けさせられて茶色いシャツ着た連中にぶちのめされるよ。「ブチノメサ」れる? …。いびきをかくなよ。僕のいびきは妙なる調べさ。おまえは何が弾けるんだ? ピアノをちょっと。チェスは? ちょっと。何でも「ちょっと」だな。天才の俺様がお前を「ちょっと」天才にしてやるよ。英語もろくに話せないくせにとマーティンが言い返すと、ポーランド語、ロシア語、イデッシュ語、ドイツ語が話せるのかとやり込められる。喧嘩もドヴィドウが上手だった。
1986年。ニューカッスル。マーティンの滞在先のホテルの一室をピーターが訪ねる。松脂の師匠を紹介するという。ピーターが紹介したのは、路上で演奏するビリー(Richard Bremmer)だった。マーティンが気前よくチップを渡すと、ビリーはヴァイオリンを習った男について語り出す。かつて映画館で演奏していたときに、旅費を稼ぐために演奏させて欲しいと声をかけてきた男だという。

 

1986年、マーティン・シモンズ(Tim Roth)は、審査員として赴いたニューカッスルの音楽コンクールで、ヴァイオリン奏者のピーター・ステンプ(Max Macmillan)が松脂にキスするのを目にする。父ギルバート(Stanley Townsend)が才能に惚れ込んで実の息子のように可愛がったドヴィドウ・ラパポート(Luke Doyle)の所作そのものだった。ドヴィドウ(Jonah Hauer-King)は、1951年にギルバートの主催したデヴュー・コンサートの直前に失踪して行方知れずだった。マーティンはピーターからドヴィドウの行方の手がかりをつかもうとする。
天才ヴァイオリニストの失踪をめぐるミステリー。次第に真相に近づいていく主人公マーティンの姿を、時代を往き来しながら鮮やかな手際で見せる。

ポーランドユダヤ人家庭出身のドヴィドウ・ラパポートの才能に惚れ込んだ英国人ギルバート・シモンズは、彼を息子同然に、あるいはそれ以上に扱う。実の息子であるマーティン・シモンズは不満を持ちつつも、ドヴィドウの家族がトレブリンカに連行されてしまったことに同情し、そして何より彼の傑出したヴァイオリンの腕前を始めとした才能に圧倒された。ドヴィドウは、マーティンにとって自慢の「弟」となる(なお、ある意味では、2人は本当の「兄弟」になっていたことが明らかになる…)。
家族を奪われた経験が、ドヴィドウを役立たずの神から遠ざけさせ、後にはかえって家族との繋がりをもたらした神に再び近づけることになった。
ロンドン空襲後、マーティンとドヴィドウは、街で死体に遭遇する。死体から金品を剥ぎ取るドヴィドウを咎めるマーティン。かえってドヴィドウは目の前の死体という具体的な死者にだけしか目を向けることのないマーティンを非難する。ザ・ブリッツによる死者(イギリス人)とホロコーストによる死者(ユダヤ人)との間の扱いの差異へ視線を誘導している。
防空壕におけるヴァイオリン演奏の対決。聴衆がウィンブルドンの観客のよう。
役者のヴァイオリンの演奏に違和感が無かった。

以下、結末について触れる。

ヘレンは、2人の前から再び姿を消したドヴィドウ・ラパポート(Clive Owen)を追悼するユダヤ教の祈り「カディッシュ」を唱えるよう、マーティンに求める。ドヴィドウに再会したいマーティンは、ユダヤ人でも血縁者でもないし、まして存命のドヴィドウを「追悼」なんてできないと断る。すると、ヘレンは、1951年のコンサートのリハーサル後、ドヴィドウが向かったのが自分のもとだったと告白する。マーティンは、30年以上経って再会を果たしたドヴィドウとヘレンのよそよそしさの理由をようやく理解した。一度は救いがないと棄教したドヴィドウがユダヤ教に再度帰依することになったのは、家族がトレブリンカで亡くなったことを偶然知った衝撃だけではく、それが、「兄」の恋人であるヘレンの身体を「兄」より先に「奏でた」直後であったことにあったのだ。ヘレンはさらにマーティンに告げる。「あなたは彼よりも善良な男性です。あなたはいつもそうだった。」と。ヘレンはドヴィドウの意を汲んで、夫婦2人の間に常に横たわっていた僅かでありながらそれでいて深い溝を埋めようとしたのだ。常に善良な夫マーティンは、愛する妻の意に添って、その晩1人静かに「カディッシュ」を唱える。僅かでありながら、それでいて超え難い距離。その溝にドヴィドウを埋葬することでマーティンはそれを渡ることができたのだ。