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芸術鑑賞の備忘録

映画『モーリタニアン 黒塗りの記録』

映画『モーリタニアン 黒塗りの記録』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のイギリス映画。129分。
監督は、ケヴィン・マクドナルド(Kevin Macdonald)。
原作は、モハメドゥ・オウルド・スラヒ(Mohamedou Ould Slahi)の回顧録モーリタニアン 黒塗りの記録(Guantánamo Diary)』。
原案は、M・B・トレイヴン(M.B. Traven)。
脚本は、M・B・トレイヴン(M.B. Traven)、ローリー・ヘインズ(Rory Haines)、ソラブ・ノーシャヴァニ(Sohrab Noshirvani)。
撮影は、オーウィン・H・クーシュラー(Alwin H. Küchler)。
編集は、ジャスティン・ライト(Justine Wright)。
原題は、"The Mauritanian"。

 

2001年11月。モーリタニアの海岸。民族衣装で盛装したモハメドゥ・オウルド・スラヒ(Tahar Rahim)が歩いている。夜、結婚式の会場では音楽が演奏され、参列者が歌い踊る。花嫁であるスラヒの姪(Nouhe Hamady Bari)と新郎(Saadna Hamoud)が登場し、スラヒもにこやかに2人を祝福する。奨学生としてドイツに留学していたスラヒには、友人から現地の事情を尋ねられたり、知り合いから息子の留学のアドヴァイスを求められたりしていた。耳打ちされたスラヒが式場を出ると、警官が立っていた。何度聞かれても、従兄弟の居場所の心当たりはない。アメリカは「9.11」で躍起になってる。お前と話したがってるんだ。同行を求められたスラヒは石油王に間違えられたら困ると着替えに戻った隙に、携帯電話に登録された連絡先を全て消去した。軽装に着替えたスラヒは自分の車で行くと警官に告げると、携帯電話を取り上げられる。母(Baya Belal)は息子を心配するが、料理を残して置いてくれと言って、スラヒは警官の車の後に付いてく。
2005年2月。ニューメキシコ州アルバカーキ。ナンシー・ホランダー(Jodie Foster)が裁判所を訪れ、審理が行なわれている法廷の傍聴席に座ると、前の座席に座るテリー・ダンカン(Shailene Woodley)に航空会社相手の訴訟資料を要求する。ダンカンは、ホランダーが弁護団に加わってくれるなら心強いと相好を崩すが、ホランダーの意図は他にあるようだった。テラス席で昼食をとるホランダーのもとに知己のフランス人弁護士エマニュエル(Denis Ménochet)が声をかける。奢ろうと思ったけどもうランチは済ませたみたいだね。この店なら牛肉がお勧めよ。エマニュエルはホランダーとの昼食を楽しみに来たわけではなかった。モーリタニアの弁護士が、モハメドゥ・オウルド・スラヒの家族の代理人として、パリにあるエマニュエルの法律事務所に相談してきた。スラヒは3年前にモーリタニアの警察に連行されて以来、消息を絶っているという。ただある新聞記事によれば、スラヒは9.11の首謀者の1人としてキューバアメリカ軍基地にあるグアンタナモ湾収容キャンプに収容されているらしい。安全証明に基づく閲覧権限を有しているホランダーに、スラヒが「グアンタナモ」の収容者かどうか確認してもらいたいというのがエマニュエルの用件だった。ホランダーは早速当局に電話で確認するが、担当者はいるともいないとも断言しなかった。このことがヴェトナム戦争以来政府と闘ってきたホランダーの闘志に火を点けた。ホランダーは、所属する法律事務所の会議で、裁判を経ずに不法に拘禁されているスラヒのために訴訟を提起したいと訴えた。「9.11」を引き起こしたテロ組織の勧誘に当たっていた男の代理人になるというホランダーに事務所を共同経営する弁護士たちも言葉を失う。ホランダーは「プロボノ」として引き受けるのだから賛同は求めていない、儀礼上報告したまでだと意に介さない。アラビア語、フランス語、ドイツ語を解するスラヒのための通訳が必要だと、ホランダーはフランス語を話せるダンカンにサポートを求める。ダンカンは航空会社相手の訴訟を抱えていると渋るが、ホランダーが依頼人陪審の心証が良くないから勝てないと断言すると、キューバに無料で行くのもありかと請け合う。
ニューオーリンズで開催された海軍法会議の終了後、海軍法務士官ステュアート・カウチ中佐(Benedict Cumberbatch)はビル・サイデル大佐(Corey Johnson)に呼び止められる。別室でサイデルはカウチに、「グアンタナモ」に収容されている「9.11」への関与が疑われる戦闘員を起訴するための戦争裁判所を設置する任務を帯びていると告げた。カウチがかつて海軍のパイロットだったことに話が及ぶと、カウチは「9.11」でサウスタワーに衝突した飛行機の副操縦士ブルース・テイラーが海兵隊の同期で、お互いの妻は同じ病院で働いていた縁があると語る。サイデルはモハメドゥの起訴を準備して欲しいとカウチに依頼する。モハメドゥは1990年代にアルカイダに参加し、ドイツでは人材獲得に奔走し、ブルース・テイラーの乗った飛行機を襲ったテロリストを採用したのはモハメドゥだったと付け加えた。いつ任務を開始すべきかとカウチはサイデルに即答する。

 

グアンタナモ湾収容キャンプに収容されているというモハメドゥ・オウルド・スラヒ(Tahar Rahim)の照会を依頼されたナンシー・ホランダー(Jodie Foster)は、裁判を受ける機会を一切与えられないまま長年拘禁されている政府の人権侵害に義憤を覚え、自らスラヒの弁護を買って出る。接見のためテリー・ダンカン(Shailene Woodley)とともに「グアンタナモ」に飛んだ。一方、海軍法務士官ステュアート・カウチ中佐(Benedict Cumberbatch)は、ビル・サイデル大佐(Corey Johnson)から「9.11」に関与したアルカイダの戦闘員の裁判でモハメドゥ・オウルド・スラヒの起訴を担当して欲しいと依頼される。友人を「9.11」で失ったカウチは極刑が下されるべく訴訟準備に精励するが、入手した資料は日付もないような粗雑なもので、とても公判を維持できそうになかった。

「9.11」後のアメリカ合衆国の人々を襲った恐慌は、政府の不法行為を横行させる温床になった。ジョージ・W・ブッシュ政権下で設立されたグアンタナモ湾収容キャンプでは、「9.11」の報いを「誰か」に受けさせるため、数百名が適正な法的手続を踏むこと無く拘禁され、虐待・拷問された。その1人となったモハメドゥ・オウルド・スラヒと彼を取り巻く人々を描くことで通じて、その事実を明るみに出す。
グアンタナモ」に掲げられた、イグアナを虐待するなという看板の皮肉。
ナンシー・ホランダーは、「テロリスト」として「グアンタナモ」に収容されているモハメドゥ・オウルド・スラヒの弁護を引き受けた。「テロリスト」を庇う者として非難されるが、殺人事件や強姦事件の弁護人が殺人や強姦を擁護する者と看做されないのと異なるところはないとして一蹴し、政府による不当な拘禁の非を糾すことは、自分たちの権利を守ることになると明快に訴える。パートナー弁護士が「テロリスト」の弁護に及び腰であったり、ホランダーをサポートするテリー・ダンカンがスラヒの「自供」に動揺して弁護活動を離れる件によって、ホランダーの法律家としての揺るがない原理・原則が浮き立つ仕掛けになっている。
東京に招致する際、ある電波芸者が外国人に対する「おもてなし」を口にした国際的なスポーツ・イヴェントが開催された2021年、名古屋出入国在留管理局職員の鬼畜の所業により、同局の施設に収容されていたスリランカ人女性が事実上殺害された。文字通り反吐が出る事件。キューバというカリブ海の島国の話ではない。「この島」の話である。ホランダーが訴えるように、権力による不当な拘禁の非を糾すことは、自分たちの権利を守ることになるはずだ。