映画『NOPE ノープ』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のアメリカ映画。
131分。
監督・脚本は、ジョーダン・ピール(Jordan Peele)。
撮影は、ホイテ・バン・ホイテマ(Hoyte van Hoytema)。
美術は、ルース・デ・ヨンク(Ruth De Jong)。
衣装は、アレックス・ボーベアード(Alex Bovaird)。
編集は、ニコラス・モンスール(Nicholas Monsour)。
音楽は、マイケル・エイブルズ(Michael Abels)。
原題は、"Nope"。
わたしは汚らわしい物を、あなたの上に投げかけて、あなたをはずかしめ、あなたを見ものとする。(『ナホム書』3章6節)
テレビのコメディ番組の音声が聞こえる。もちろんアイスランド時間に設定した。みんなオーロラが大好きなだからな、ゴーディ。まあ、お前は時間の伝え方が分からないけどな。ブレット・ヒューストン役のトム・ボーガン(Andrew Patrick Ralston)が語りかける。素晴らしい贈り物だよ、物事をよく考えるにはさ、と息子のマイキー役のリッキー・パーク(Jacob Kim)が応じる。ロケットを宇宙に飛ばせる人間にしては中途半端な誕生日プレゼントだって思ってるでしょう? …って思わないか、と母マーガレット役のフィリス・メイベリー(Jennifer Lafleur)。ゴーディ、考え合わせたらさ、僕の贈り物だってそんなに悪くないんじゃないかな。マイキーの姉ヘイリー役のメアリー・=ジョー・エリオット(Sophia Coto)がサプライズだと言って大きな包みを持ち込む。ヘイリーが箱を開けると中から風船が飛び出す。風船が割れる乾いた音。間もなく、悲鳴や鳴き声、怒鳴り声が聞こえる。
リヴィング・ルームの床には壊れたものが散乱している。ソファとソファとの間には人が倒れていて、足だけが覗いている。血飛沫を浴びた服を着た猿が興奮した様子でソファに姿を表わす。
カリフォルニア州ロサンゼルス近郊のヘイウッド・ハリウッド牧場。辺りがまだ暗い中、既に牧場の朝は始まっている。屋内馬場はスプリンクラーで撒水され、馬たちが元気に駆け回っている。カーラジオの男性アナウンサーはロサンゼルス郡の海岸と渓谷に強風警報について、女性アナウンサーは、パシフィック・クレスト・トレイルで行方不明になっているグループの捜索活動再開について、別の男性アナウンサーは国道101号線の事故渋滞について報じている。
円馬場で馬を歩行装置に繋ぎ終えたOJ・ヘイウッド(Daniel Kaluuya)が、道具鞄を手に家に戻る途中、別の円馬場で白馬の調教をしている父親のオーティス(Keith David)の前を通る。声をかけて馬を操っていたオーティスが息子に語りかける。ショーをやったろ、今度続編に呼んでくれるつもりらしい。これ以上馬を売る必要はないさ。淡々と仕事を進めりゃいい。もう問題はないんだ。で、妹はどこだ? 馬を歩かせていた装置が停止する。何てこった。歩行装置を修理しろって言ったと思うがな。そのとき遠くの空から悲鳴のようなものが聞こえる。2人は空を見上げる。間もなく空気を擦る音が聞こえ、次々と何かが落ちて地面に小さな土埃をたてる。オーティスを乗せた白馬が歩き出す。オーティスは項垂れたまま動かない。異変に気が付いたOJが慌てて父の元へ駆け寄る。父親が馬から落ちる。
血だらけのオーティスを助手席に乗せたOJは車を運転しながら、父親が意識を失わないよう、所有馬の名前を言わせる。フィンリー。他には? ベートーベン。コモドール。…ヴァージル。その調子、その調子! …ゴースト。良いよ、良いよ。…ラッキー。親父! …コモドール。
病室のベッドに横たわる父。上空から落下した金属部品が頭部を直撃していた。オーティスは息を引き取る。OJは牧場に戻り、父の乗っていた馬にも金属部品が刺さっているのを確認する。
右に向かって駆ける馬と騎乗の人物。エドワード・マイブリッジが撮影した馬の活動写真。
巨大なグリーンの背景幕の前の馬。OJが世話をしている。ハリウッドにある大規模な撮影スタジオ。ステージには砂が敷き詰められている。近づいてきた古株の撮影スタッフのバスター(Eddie Jemison)に、OJが馬の目を見ないよう注意する。安全講習の用意はいいか? 待ってくれるかな5分…。もう揃うところなんだ。監督のフィン・バックマン(Oz Perkins)が撮影を停止すると声をかける。そこへ女優のボニー・クレイトン(Donna Mills)がスタジオ入りし、スタッフの拍手で迎えられる。ボニーはOJという名前に興味を持つ。OJって言うの? ええ、オーティス・ジュニアです。そう。監督のフィン・バックマン(Oz Perkins)はOなんとかっていう別の奴はどこへ行ったのかとバスターに尋ねる。親父の方なら死んだよ。半年前に。飛行機からの落下物が当たって。だから息子しかいない。参ったな。フィンはカメラのアントラーズ・ホルスト(Michael Wincott)に準備ができているか確認する。ああ、問題無い。尻を売ろうってならな。フィンはOJに撮影するのが伝説的な人物だと紹介すると、馬の向きを変えるよう求める。でも停まれって言ったから…。今は回れって言ってるんだ。さあ、始めよう。よし。馬が向きを変えてる間にメイクは終わるかな? ボニー・クレイトンさんのメイクをお願いします。バスターが化粧担当の女性(Liza Treyger)をステージ上のボニーのところに呼ぶ。OJは馬の後ろに立たないよう注意する。言われたから来ただけよ。監督はOJに安全講習をやってしまおうと声をかける。皆さん、調教師のOJです。音楽停めて。静かになったスタジオでOJが話し始める。OJと言います。妹はもうすぐ着くと思います。音声のグリズ(Alex Hyde-White)がもっと大きな声でとOJに注文する。ヘイウッド・ハリウッド・ホースで馬の世話をしてる…。まごつくOJ。すみませーん、遅れてしまって。静かなスタジオにOJの妹エメラルド(Keke Palmer)の大きな声が響き渡る。私がやるよ、兄貴、悪いね。私はエメラルド。あっちにいるのがOJ。動物の調教をやってます。さて、最初に写真を組み合わせた映像作品って馬に乗る黒人の2秒間の動画だったって知ってました? そうだったの。調べてね。その動画を作成したのがエドワード・マイブリッジっていう映画の父祖だってのは知ってるでしょ。でもその動画の黒人騎手の名前を知ってる人はいないじゃない? そうでしょ。最初のスタントマンで調教師で映画スター、彼の名前は文字通り記録されてないの。その男はバハマの騎手でアリスター・E・ヘイウッド。私のひいひいじいさん。もう1人の偉大な父祖って言っていいんじゃない。そんなわけで、ヘイウッド牧場はハリウッド唯一の黒人所有の馬の調教場で、写真が動いた瞬間から1枚噛んでるってわけ。それじゃ撮影中の注意事項について説明するね。まず、大きな音を立てたり、急な動きをしたり、電話の電源を入れっぱなしにするのはやめて。ご協力に感謝します。次に、危険を感じたら私かOJ、または直属の上司に連絡して。そして最後、素晴らしい撮影にしましょう! で、私はエメラルド・ヘイウッド。監督、脚本、製作、俳優、歌もやります。歌い出すエメラルド。監督が彼女の悪乗りを制してリハーサルに移る指示を出す。
ロサンゼルス近郊のヘイウッド・ハリウッド牧場は、映像作品に出演する馬の調教を行っている。牧場主で調教師のオーティス・ヘイウッド(Keith David)は、空から降ってきた金属片が頭部に直撃する事故に遭い、息子のOJ(Daniel Kaluuya)の前で急逝する。OJは、ハリウッドでの成功を夢見て様々な仕事に手を出している妹エメラルド(Keke Palmer)の手も借りながら、牧場を維持しようと奮闘する。ところが半年後、所有する馬を連れて、伝説的な撮影監督アントラーズ・ホルスト(Michael Wincott)が関わるコマーシャル撮影に参加した際、馬が暴れてしまったのは先代に比べて調教技術が未熟なせいだと監督(Oz Perkins)によってスタッフから外されてしまう。経営に行き詰まったOJは、近隣にあるウェスタンのテーマパーク「ジュピターズ・クレーム」を経営するリッキー・パーク(Steven Yeun)に所有馬を売却することにする。リッキーはOJに牧場の買収を提案する。
(以下では、冒頭以外の内容についても触れる。)
4人家族に飼われる猿をフィーチャーしたシットコム。風船の割れる音をきっかけに猿が暴れて出演者を襲う。白人が演じる父・母・娘が襲われる一方、アジア系の少年が演じる息子は難を逃れる。嘲笑してきた存在が何かをきっかけに牙を剝く。BLMに関わるメタファーになっている。
エドワード・マイブリッジは、黒人の騎手が乗る褐色の馬のモノクロームの写真を組み合わせることで映画の始祖となった。白人であるマイブリッジの名は歴史に刻まれたが、最初の主演俳優である黒人騎手の名は伝わっていない。映像のみならず、白と黒とのコントラストがある。
マイブリッジの映画のイメージから、OJとエメラルドが馬を出演させるために参加するコマーシャル撮影へとシーンが接続される。スタジオにいる(少なくとも主要な)スタッフは白人ばかりで、黒人は馬を扱う2人だけである。そして、OJからの馬の扱いについての度々の注意を無視した監督に落度があったにも拘わらず、急逝した父との熟練度の差も理由に加え、馬が暴れたのは調教に難があったとして、OJたちは撮影から外される。名前を失念された最初の映画の黒人俳優同様、白人の撮影チームから排除された黒人の調教師。
歴史は繰り返す。ヘイウッドの家でかけられるレコード(=円盤)の回転が繰り返しを強調する。
映画館からスマートフォンへとハコの形は変わりつつも、映画(動画)は人々を呑み込み続けている。