可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 奥山加奈子個展『雲間』

展覧会『奥山加奈子展―雲間―」を鑑賞しての備忘録
UNPEL GALLERYにて、2022年10月1日~23日。

横幅11.5メートルの麻紙に墨で紫陽花を描いた表題作《雲間》と、銀箔を押した麻紙にアザミを表わした《夢十夜》の2つの大作を中心とした、奥山加奈子の絵画展。全10点。

《雲間》(1780mm×11570mm)は、紫陽花を墨で麻紙に描いた作品。長大な画面は1780mm×890mmのパネル13枚から構成され、左側の5枚と右側の8枚とに分けて展示されている。輪郭を描かない没骨法による紫陽花の「花」(萼片が集まってくすだま状になった部分)は、パネル2枚に相当する大きさで4つ、左から右へと次第に萎れていくように表わされている(右端では「花」が存在しない)。

それにしても、紫陽花をモティーフとした作品になぜ「雲間」のタイトルが付されたのか。
紫陽花の学名"Hydrangea"はギリシャ語の「水の器(ὕδωρ αγγεῖον)」に由来するが、萼片の四葩が「花」を構成している様子は、微細な水が集まって雲を構成することのアナロジーとなるからであろう。また、モティーフが没骨法により曖昧に表現されることで、「雲」の移ろいやすい姿は、花の色が変わる紫陽花のイメージを引き寄せてもいる。
紫陽花と雲との類比が認められるとして、タイトルは「雲」ではなく「雲間」である。それは、「間」すなわち余白ついての探究が画題となっているからであろう。

 俳句の取り合わせを可能にしているのも間である。間があるからこそ異質のもの同士が衝突することなく互いに調和し、共存することができる。

  古 池 や 蛙 飛 こ む 水 の お と  芭蕉

 芭蕉の古池の句は「古池に蛙が飛びこんで水の音がした」という句ではなく、「蛙が水に飛びこむ音を聞いて心の中に古池の面影が広がった」という、現実の水音とそれを聞いて芭蕉の心に浮かんだ古池の面影の取り合わせの句だった。
 なぜ俳句という小さな器の中で現実と心という次元の異なる2つのものが互いに調和し、共存できるのかといえば、この句が「古池や」のあとで切れて、ここに間が深々と開けているからである。この間の働きによって「蛙が水飛びこむ音を聞いて、心の中に古池の面影が広がった」という現実から心の世界への奇跡的な飛躍が楽々と果たされる。
 古池の句が仮に「古池に蛙飛びこむ水の音」だったなら、ここに間はない。
 (略)
 俳句はわずか17音しかないので、いちばん短い文学といわれる。たしかに言葉は17音しかないが、ほんとうは俳句の言葉のまわりには言葉よりはるかに雄弁な間が広がっている。
 俳句を詠むということは言葉だけでなく、切れを使って言葉のまわりの間を使いこなすことなのだが、俳句をはじめたばかりの人は間が見えないので言葉だけでものをいおうとする。いきおい俳句という小さな器に言葉を詰めこんで窮屈な句にしてしまう。名句といわれる句は窮屈な印象を与えない。長谷川等伯の「松林図屏風」の松のように豊かに広がる余白のあいだに静かにのびのびたたずんでいる。(長谷川櫂『和の思想――日本人の創造力』岩波書店岩波現代文庫〕/2022年/p.115-117)

区切れとは「間」であり、飛躍であった。

紫陽花が枯れ行く姿は、打ち棄てられた死体――とりわけ美女の死体――が腐敗する過程を描く「九相図」のヴァリエーションと言える。紫陽花の「花」が人の背丈ほども大きく描かれているのも、人の死のイメージを引き寄せる。
「九相図」のテーマは、死体の変貌の様子を見て観想する「九相観」、すなわち煩悩を払うための修行であった。作者は「修行」のモティーフを、「間」を介して、「私意をはなれて」ものを見るという、芭蕉的な修練へと転じている。

 「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と門弟に教えた芭蕉は、「本質」論の見地からすれば、事物の普遍的「本質」、マーヒーヤ、の実在を信じる人であった。だが、この普遍的「本質」を普遍的実在のままではなく、個物の個的実在性として直観すべきことを彼は説いた。言いかえれば、マーヒーヤのフウィーヤ〔引用者註:具体的、個体的なリアリティー〕への転換を問題とした。マーヒーヤが突如としてフウィーヤに転成する瞬間がある。この「本質」の次元転換の微妙な瞬間が間髪を容れず詩的言語に結晶する。俳句とは、芭蕉にとって、実存的緊迫に充ちたこの瞬間のポエジーであった。
 一々の存在者をまさにそのものたらしめているマーヒーヤを、彼は連歌的伝統の述語を使って「本情」と呼んだ。千変万化してやまぬ天地自然の宇宙的存在流動の奥に、万代不易な実在をかれは憶った。「本情」とは個々の存在者に内在する永遠不易の普遍的「本質」。内在するといっても、花は花、月は月という『古今』的「本質」のように、事物の感覚的表層にあらわに見える普遍者ではない。事物の存在深層に隠れた「本質」である。「物と我と二つになりて」つまり主体客体が二極分裂して、その主体が自己に対立するものとして客観的に外から眺めることのできるような存在次元を仮りに存在表層と呼ぶとして、ここで存在深層とは、この意味での存在表層を越えた、認識的二極分裂以前の根源的存在次元ということである。
 このように本来的に存在深層にひそむ「本情」は、当然、表層意識では絶対に捉えられない。つまり普通の形での「……の意識」の「……」にはなりえない。「……の意識」とは、すでに詳しく述べてきたようい、二極分裂的自我意識だからである。ものの「本情」に直接触れるためには、「……の意識」そのものの内的機構に、ある根本的な変質が起らなければならない。この変質を芭蕉は「私意をはなれる」という一見すこぶる簡単な言葉で表現する。私意をはなれて、つまり二極分裂的でない主体としてものを見るということ。このような方向に自己を絶えず修練していくことがすあわち彼のいわゆる「をのれが心をせめて、物の実しる事」(『許六離別ノ詞』)という美的修練だった。これを「風雅の誠」と彼は呼んだ。
 しかし、このように美的修練をつんで、存在の深層を垣間見ることのできるようになた人にも、あらゆるものの「本情」が常住不断に露わになっているとは芭蕉は考えなかった。経験的世界に生きる、あるいは生きなければならぬ存在者として、人は普段は「……の意識」で事物に接している。ただ、「内をつねに勤めて物に応」じる特別の修練を経た人、すなわち「風雅に情ある人」、の実体験として、ものを前にして突然「……の意識」が消える瞬間があるのだ。
 そういう瞬間にだけ、ものの「本情」がちらっと光る。「物の見えたる光」という。一瞬の、ひらめく存在開示。人がものに出合う。異常な緊張の極点としてのこの出合いの瞬間、人とものとの間に1つの実存的磁場が現成し、そのフィールド(場)の中心に人の「……の意識」は消え、ものの「本情」が自己を開示する。芭蕉はこの実存的出来事を、「物に入りて、その微の顕われ」ることとして描いている。「物に入る」とは、ものが「……の意識」の対照ではなくなること、つまりこの出来事が、人の側においては、二極分裂的意識主体の消去であることを指し、「その微が顕われる」とはものの側では、それの「微」、すなわち普通は存在の深部に奥深く隠れひそんで目に見えぬ「本情」が自らを顕わすことを指す。
 この場合、そこに自己を開示するものは「本情」、すなわち普遍的「本質」でなければならない。しかし、この永遠不変の「本質」が、芭蕉的実存体験においては、突然、瞬間的に、生々しい感覚製性に変成して現われるのだ。普遍者が瞬間的に自己を感覚化すると言ってもいい。そしてこの感覚的なものが、その時、その場におけるそものの個体的リアリティーなのである。人とものとの、ただ1回かぎりの、緊迫した実存的邂逅のフィールド(場)のなかで、我々が始めから使ってきた用語法で言うなら、マーヒーヤがフウィーヤに変貌する。だが、すべては一瞬の出来事にすぎない。「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中にいひとむべし」と。「その境に入って、物のさめざるうちに取りて姿を究」めなければならないのである。(井筒俊彦『意識と本質――精神的東洋を索めて――』岩波書店岩波文庫〕/1991年/p.57-p.60)

作家が紫陽花の「花」を人の背丈ほども大きく表現したのは、二極分裂的意識主体の消去のためであったのではなかろうか。「物に入りて、その微の顕われ」たる「本情」を摑むべし。紫陽花の四葩ではなく、その中を分け入り、奥に隠された真花(両性花)をこそ見出せと。