可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『バビロン』

映画『バビロン』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のアメリカ映画。
189分。
監督・脚本は、デイミアン・チャゼル(Damien Chazelle)。
撮影は、リヌス・サンドグレン(Linus Sandgren)。
美術は、フローレンシア・マーティン(Florencia Martin)。
衣装は、メアリー・ゾフレス(Mary Zophres)。
編集は、トム・クロス(Tom Cross)。
音楽は、ジャスティン・ハーウィッツ(Justin Hurwitz)。
原題は、"Babylon"。

 

1926年。カリフォルニア州ベルエア。農道に1台のトラックが停まる。太ったドライヴァー(J.C. Currais)が降りてくる。マヌエルか? トラックが25ドル、家畜輸送が30ドル、馬1頭、で、あんたがサインしてくれ。農道脇で1人待っていたマヌエル・トレス(Diego Calva)がドライヴァーから書面を差し出される。馬1頭? 1頭だけだろ? いや、象だぞ。でかい馬って言いたいのか? いや、象だって言ってるんだ。おい、ありゃ何だ? 象と象使い(Jimmy Ortega)がドライヴァ-の目に入る。クソ、マジで象だってのか! セニョール、行き違いがあったみたいで…。行き違いだと、このトラックは馬専用なんだよ。俺がマハラジャに見えるか! あなたはパーティーに招かれているんですよ。マヌエルが紙幣を差し出し、ドライヴァーを黙らせる。
マヌエルがジープでトラックを牽引して坂道をゆっくりと昇っていく。屋根を外した荷台に載せられた象はドライヴァーに鼻を伸ばす。ロープが切れ、トラックは坂を滑り落ちて行く。象使いとマヌエルが慌ててトラックの後ろに回り込み止める。象が大量の糞を象使いに浴びせかける。象の重量が軽くなったおかげで何とか坂を上がることができた一行は、警察官(Marcos A. Ferraez)に呼び止められる。これは一体何事かね? ドン・ウォラック(Jeff Garlin)の屋敷で働いてまして、パーティーでのショーの資材搬送をしています。あれは象だな。そうです。許可は取ったのか? 必要とは知りませんでした。許可無く象を運搬はできん。見逃して頂けませんか? 今夜招待されてるのは? 豪華な顔ぶれですよ。誰のことを言っているんだ? ガルボとか言ってました。今夜ドン・ウォラックの屋敷に象やガルボといった面々が集うと。街で最高のパーティーが開かれるわけだ。いとこのベニーが妻子とリシーダで暮らしてるんだ、都合が付くか聞かなくてはな。
マヌエル一行は暮れかかってようやく丘の上に立つドン・ウォラックの屋敷に到着する。マヌエルの象の車列はいつの間にか警察車両その他で膨れ上がっていた。デール(Shane Powers)が叫ぶ。こいつらは何なんだ! 訊かないでくれ。
屋敷の一室では女優のジェイン・ソーントン(Phoebe Tonkin)が裸で床に横たわる巨漢のオーヴィル・ピックウィック(Troy Metcalf)に跨がって尿を浴びせかける。ブタはこれが好きなんだろ! くすぐったい! オーヴィルは歓喜する。おまるでお遊び! ジェインは跨がったまま、コカインを鼻から吸引する。オーヴィルは部屋を出てウォラックにもっと酒を寄こすよう頼んでくれとマヌエルに言いつける。
ホールは着飾った人、仮装した人、半裸の人で溢れ、生演奏に合わせて踊り、跳ね、体を揺らしている。シドニー・パーマー(Jovan Adepo)はソロで必死にトランペットの音色を響かせている。マヌエルがエレノア・セイント・ジョン(Jean Smart)に上階の化粧室に案内して欲しいと頼まれる。ホールの先にございます。違うの上階の。階段がとても急ですから。運んで頂ける? ジミー(Cutty Cuthbert)が飛んで来て用があるとマヌエルを連れ去る。エレノアに何か言ったのか? 彼女が話しかけて来たら英語が分からないふりをするんだ。鶏が俺のコカインを盗りやがった! マヌエルが慌てて鶏を捕まえて外に運び出そうとする。上階じゃドンが未成年の女の子を囲ってるんでしょ? エレノアに尋ねられたマヌエルは英語が分からないと言って躱す。
邸宅の外に鶏を運び出したマヌエル。煙草を取り出し一服する。そこへ衝撃音。車が庭の彫像にぶつかった。どっから飛び出してきやがった。露出の多い赤いドレスの女(Margot Robbie)が車から降りて来る。弁償して頂かなくてはとデールが女に告げる。あ、そう。あんだ誰? 警備です。あんたのへまだよ。彫像の管理が行き届いてないんだからさ。でもあんた付いてるよ、私は黙っとくから。どちらへ? 中よ。私はネリー・ラロイ。ネリー・ラロイは招待客ではございません。アシスタントが芸名で登録したのよ、ビリー・ダヴで。あなたはビリー・ダヴではありません。ネリーが腹を立てる。あんなの名前は? 管轄は? 私は警備委員です。管轄はございません。仕事無くすよ。邸宅の中に入ろうとしてデールと揉めているネリーに助け船を出すことにしたマヌエルが声をかける。ネリー・ラロイ、皆さんがお待ちです。
僕はマヌエル。僕はマヌエル。聞こえてるわ。助けなんて必要なかったの。そうかい。ビリー・ダヴ? ダメなの? ビリー・ダヴはスターだよ。30年したらスターじゃないわ。ネリー・ラロイに名前を使われたことがあるって孫たちに騙るわ。それに私は既にスターだし。スターなの? そうよ。どんな作品に? まだないわ。誰と契約を。契約してないわ。スターになりたいんだね。いい、スターってなるもんじゃないの。スターかそうじゃないかのどっちかなの。私はスター。ドラッグはどこで手に入るか分かる?
ホールのステージでは、フリークショーが行われ、矮人が箱の中から巨大な陰茎の装置とともに姿を表し、喝采を浴びている。シドニーはジョー・ホリデー(Hansford Prince)とレジー(Telvin Griffin)とともに予定されている象のアトラクションについて話している。演奏し続けることになってんだろ? ステージの前を通って当たりを踏み付ける。マジか? 怪我するわけにはいかないぜ。黙ってろよ。泣き言ほざく雌犬か? 象がケツをお前の顔に落としやがったら、家で練習する時間がたっぷりとれるぜ。毎日9時間は練習してんだよ。サックスじゃなくて尺八の練習だろ。ステージでは矮人が観客に向かって陰茎の作り物から白い液体を噴射させる。
執事のボブ・レヴィーン(Flea)がジミーとともに部屋に駆け付けると、オーヴィルがジェインに目を覚ませと泣き喚いていた。ジェインはオーヴィルに抱えられてぐったりしている。遊んでただけなんだよぅ。ウォラックに伝えろ。メキシコカンはどこへ行った?
マヌエルはネリーを伴って骨董品が置かれた誰もいない部屋にに案内する。モルヒネ、アヘン、エーテル、ヘロイン、コカイン。ルイ14世も鎮座してる。ネリーはドラッグの山へ飛びつく。
邸宅の前に停めた車で運転席のジャック・コンラッド(Brad Pitt)は助手席に坐る妻アイナ・コンラッド(Olivia Wilde)から不満をぶつけられている。全てうまくいくフリをしてるの、空虚しか感じないわ。私はひたすら与えるだけ。…È una bella domanda。ジャックがイタリア語でつぶやく。イタリア語やめないさいよ。…è la mia lingua…。真面目に話そうとしてるの。私たちの関係は危機的なの。幸せじゃ無いわ。…perché parlo italiano…。止めて! イタリア人じゃないでしょ! インディアンの出でしょうが、ペテン野郎! もう1言でもイタリア語を口にしたら離婚よ。分かったと言いながら、Ich muss dann Deutsch sprechen…と今度はドイツ語を口にして笑うジャック。降りなさい! 車から降りなさいよ! もの凄い剣幕で怒鳴るアイナに、ジャックが車から退散する。離婚するわ。捨て台詞を残してアイナは走り去る。Buona notte, Amore mio。

 

1926年。カリフォルニア州ベルエア。キノスコープ・スタジオの重役ドン・ウォラック(Jeff Garlin)の屋敷で開かれるパーティの余興のため、メキシコ移民の従僕マヌエル・トレス(Diego Calva)が象を運搬する役目を負わされた。マヌエルが何とか象を運び入れるた日没直前には、シドニー・パーマー(Jovan Adepo)らの生演奏が行われているホールでは、着飾った貴顕や仮装した得体の知れない連中が酔い痴れ、既に乱痴気騒ぎの様相を呈していた。キノスコープ・スタジオ所属の看板俳優ジャック・コンラッド(Brad Pitt)は関係が冷えていた妻アイナ・コンラッド(Olivia Wilde)を嗾けて離婚を決断させてからパーティーに加わる。ジャックの登場に関係者やファンなど多数の人たちが群がる。ジャックは女性にフラれて落ち込んでいる親友のジョージ・マン(Lukas Haas)を慰めるよう旧知の男装の歌手レディ・フェイ・ジュー(Li Jun Li)に頼む。マヌエルはパーティーに潜り込もうとして警備のデール(Shane Powers)と揉めていた女優志望のネリー・ラロイ(Margot Robbie)に一目惚れして屋敷に招き入れる。ドラッグをキメたネリーが激しく踊る姿は、踊り狂う集団の中でも異彩を放っていた。女優のジェイン・ソーントン(Phoebe Tonkin)がオーヴィル・ピックウィック(Troy Metcalf)とのプレイ中にドラッグの過剰摂取で意識を失ってしまい代役を探していた執事のボブ・レヴィーン(Flea)は、ネリーに白羽の矢を立てる。

(以下では、冒頭以外の内容についても触れる。)

映画の地位の確立に貢献したスター俳優ジャック・コンラッドや、野性味のあるエロスを放ち一気に時代の寵児となったネリー・ラロイが、無声映画からトーキーへという時代の変化に対応できず取り残されていく姿を描く。長尺は全く気にならない。
舞台のように一握りの金持ちのためでなく、地に足を付けて生きている大衆に対して美を提供する映画に誇りを持つジャック・コンラッド。そんな映画の一部になりたいと願うマヌエル・トレス。彼らの思いに、監督の映画愛がストレートに表現されている。
やはり映画に対する愛情を表現したPan Nalin監督の映画『エンドロールのつづき(Last Film Show)』では、上映時間の3分の1は闇を見ているという映写の仕組みを絵解きして見せていたが、本作は、撮影をはじめフィルムに映らない舞台裏を描いている。象徴的なのは、前半の見せ場である、ジャック・コンラッド主演映画の、多数のエキストラの参加した屋外撮影である。待遇に不満を持つエキストラを脅して統率を取り、戦闘シーンではカメラが次々と壊れ、ジャックの控えるテントにまで槍が飛んで来る始末。しかも長時間待つ間にジャックはすっかり酔っ払っている。無声映画の制作におけるドタバタをコミカルに描く。また、その後、ネリーが参加するトーキー開始直後の録音しながらの撮影の苦労を丁寧に描いて見せる。
ジャックはトーキーに移行後、雨の中(雨が落ちる装置の背後)で黄色いレインコートを着て歌いたくないと撮影に参加することを拒絶する。映画という新しい娯楽の世界を切り拓き、常々――例えばデザインにおけるバウハウスのように――新しいものを生み出すことを訴えてきたジャックが、進取の気性を失った象徴的な場面である。後に『雨に唄えば(Singin' in the Rain)』(1952)は映画史に残る大ヒット映画となる。
冒頭、ドン・ウォラックの屋敷でのパーティーで、ネリーが床に仰向けに寝た状態から起き上がって激しく踊り、大勢にリフトされる流れは、スターダムへのし上がることが暗示される。ネリーが売れるために手段を選ばない一方、故郷で馬鹿にされた過去を引きずり、父親や病気の母親を大切にする姿も併せて描かれる。自身のルーツに縛られた野生児(wild child)の魅力をMargot Robbieが体現している。
マヌエルにとってのネリーは映画(≒無声映画)のメタファーとなっている。一瞬にして心を奪われ、1つに成りたいと願う。ネリーが瞬く間に脚光を浴び、トーキーの登場などにより転落しても、マヌエルはネリーを見捨てることはない。なお、ネリーがいかにマヌエルに気を許し大切に思っているかは、ニューヨークで偶然再会した際――時代の寵児となったネリーが、ドン・ウォラックの屋敷でのパーティーで出会ったっきりの自分を覚えていたことにマヌエルは感動する――、サナトリウムに立ち寄る際に病気の母親と引き合わせたことから強く印象付けられる。
字幕の仕事に携わるレディ・フェイ・ジューは、夜は自ら歌手としてステージに立つ。夜に咲く花である。レズビアンである彼女が会社を追われることは、トーキーへの移行により字幕が不要になるなど、業界の変化を象徴する。
トランペッターのシドニー・パーマー(Jovan Adepo)は、添え物としての音楽が主役として脚光を浴びる変化を体現するが、肌の色の差別に苦しむことなり、自分の生きる道を映画以外に求めることになる。
下品な表現を見咎めスノッブな連中には吐瀉物を浴びせかけてやればいい(そして、実際に、そう表現されている)。数多の吐瀉物の上にこそ芸術は成り立っているのだ。