可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 尾﨑晴個展

展覧会『第39回上野の森美術館大賞展 絵画大賞受賞者 尾﨑晴展』を鑑賞しての備忘録
上野の森美術館ギャラリーにて、2023年2月20日~3月3日。

和紙に岩絵具で描いた絵画14点で構成される、尾﨑晴の個展。

《無題》は、正方形の画面(1940mm×1940mm)に、四畳半の部屋を天井からの視点で描いた作品。画面の四周を囲む押し入れやカーテン(窓)、ベッドが広角レンズで捉えられたように歪み、その中に畳、カーペット、ローテーブルなどが配されている。畳縁や柱やベッドのパイプがつくる線が面を分割し、それによって塗り分けられた色が、抽象絵画の楽しみを生む。同題・同サイズの《無題》では、扉や襖が開けられ、ぬいぐるみや電気ストーブが畳に置かれることで抽象性は霧散して、生活や人の存在が画面に呼び込まれる。
《部屋》(1167mm×910mm)は、テーブルと椅子とが置かれた部屋の景観を描く作品。おそらくは「無題」シリーズと同じ部屋と考えられ、畳敷きの部屋の奥には襖があり、その線は柱や梁とともに画面を構成する重要な骨格となっている。ほぼ真横から描かれた部屋に対し、画面手前に描かれたベッドやテーブルは下から見上げる視点で描かれる。おそらく窓側に坐り、左奥にある入口を眺める視点と、右側のベッドに向けた視点とを重ね合わせたのだろう(浴槽とタイル張りの浴室を描いた《風呂場》(1303mm×1940mm)でも多重露光のようにずらされた視点でのイメージが重ねられている)。同じモティーフを扱ったより小さな画面の《部屋》(728mm×570mm)、さらにテーブルと椅子を描かずに室内だけを描いた《部屋》(728mm×570mm)と併せて展示されている。「部屋」シリーズ3点に共通するのは、部屋の構造と、左側奥の入口から覗く台所である。とりわけ台所は水色で描かれて周囲から浮き立ち、地続きとは思えない別世界として提示されている。
《マンション》(900mm×600mm)は、集合住宅の共用階段を踊り場からの視点で描いた作品である。同一人物思われるポニーテールの少女の姿が複数、輪郭線だけで灰青の共用階段に溶け込むように、また白を用いることで共用階段から頭部や腕や脚が断片的に浮き立つように描かれている(異時同図の手法は、《ブルーシートと絵皿》(894mm×1455mm)でも黄の岩絵具の消費などで用いられている)。それは、黄色い光を放つ蛍光灯が明滅する束の間、かつてそこにいた少女の姿の幻影を映し出すようである。階下の闇よりも、階上の出口から覗く紫と朱の空間が、異世界から少女を召喚したように見える。同題・同サイズの《マンション》(900mm×600mm)は、やはり共用階段を描いているが、灰青による階段とレモン色の蛍光灯の灯りなどによる抽象的作品として構成されている。
《幸せになる》(1167mm×910mm)は、闇の中に妖しい輝きを放つ無人のガソリンスタンドと、その上方に浮遊する巨大なメタリックカラーのヘアゴムとを描く。複数の視点の重ね合わせや異時同図などを試みて来た作家は、ここでは闇という抽象的な空間を利用し、ガソリンスタンドとヘアゴムというサイズの異なるものを同時存在させている。ヘアゴムは映画『未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind)』(1977)の巨大な円盤(母船)のように鑑賞者の前に姿を現わすのである。《幸せになる》とは、《無題》や《部屋》に描かれた部屋から通じる穴であり、《風呂場》に描かれた浴室の排水孔であり、《マンション》に描かれた集合住宅の出口である。すなわち、他の作品では異世界へと通じる開口部は舞台となる日常空間の隅に穿たれた小さな穴に過ぎなかったが、《幸せになる》においては作品全体(自体)が開口部なのである。それでは、なぜ「幸せになる」と題されているのか。それは、絵画そのものが穴であり、異世界への通路であるなら、絵画とは――ヘアゴムが宇宙船となるように――あらゆる可能性をもたらす存在だとはっきりと訴えるためであろう。