可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

本 高山羽根子『首里の馬』

高山羽根子首里の馬』〔新潮文庫た-135-1〕新潮社(2023)を読了しての備忘録

沖縄の港川。アメリカ領時代に建設されたアメリカ人住宅が観光地と化している。その近傍にあるコンクリート素地のままの建物に「沖縄及び島嶼資料館」なる私設博物館がある。未名子は学校に行く代わりに資料館に入り浸り、老齢の館主・順さんの下、資料整理を無償で行ってきた。生活のためのコールセンターの職を事業縮小で失った未名子は、コンピューター通信でクイズを出題するオペレーターの仕事を得る。世界各地で孤独な生活を送る人たちに、日本語で3つの単語を伝え、正解の言葉を推測させるのだ。父の遺した古い住宅で一人倹しく暮らす未名子は、双子颱風の1つ目が去った朝、小さな庭に蹲る得体の知れない生き物を発見する。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

台風が大暴れしたあと、しりぬぐいをするのはいつもその台風でめちゃめちゃになった場所に暮らしている人たちだった。台風は自然現象だからしかがたないけど、あと始末みたいな作業ばかり続けるのは心にだって負担が大きい。自分のやっていることがひどく無意味に思えてしまい、おかしくもなるだろう。気圧で体や脳を揺さぶられた直後だったら、なおさらだった。(高山羽根子首里の馬』新潮社〔新潮文庫〕/2023/p.68-69)

颱風は、厄災の象徴だ。『タイフーン・オブ・スチール』への言及(高山羽根子首里の馬』新潮社〔新潮文庫〕/2023/p.188)でも明らかな通り、沖縄戦が重ねられている。

 (略)暮らしていた場所がとてつもないエネルギーによって、一瞬で、まったく別のものに変わってしまったとしたら、自分ならどんなふうに絶望するんだろう。場所への絶望、人間への絶望、それらすべてがいっぺんに自分の周りにやってきたのかもしれない。
 かつて島に暮らす人たちがひどく絶望していたとき、その周りに広がっている景色は、まちがいなく地獄だった。彼らが暮らしていた直前までの場所とは地形からまったくちがってしまっていた。財産も家も森も、塀も坂道も、あらゆる生き物もすべて吹き飛んでしまった場所で、おおよそ人がこのあと生きていくようなことがまったくできなそうな風景の中で、生きていくことができるかどうかという疑問さえ吹き飛んで、自分を守るためとして持たされていた武器を使えと言われたとき、それはそのまま、自分に向け、自らの口に咥えて使えという意味に転換する。(高山羽根子首里の馬』新潮社〔新潮文庫〕/2023/p.188)

港川(「みな」とがわ)に暮らした旧石器時代人の「子」孫――遺伝子ではなく、場所的な繋がりであるが――である未名子は「暮らしていた直前までの場所とは地形からまったくちがってしま」う場合に備えて、アーカイヴを作成する。それは、直接的には館主・順さんの意志を継ぐことであり、間接的には亡き父(それは「港川」に暮らしてきた先人を象徴する)の存在を伝える営みでもある。

「気圧で体や脳を揺さぶ」る颱風は、記憶を呼び覚ますきっかけとなる出来事の象徴でもある。双子颱風の1つ目が去った朝、未名子の庭に闖入していたナークー(宮古馬)もまた、記憶を呼び起こす鍵となる。

未名子は、逃げる気配のない動物を眺めながらしばらくの間考え、庭から家の裏手を通って物置に向かった。うす暗い中、鍵束の中にある1本を手さぐりで見つけて挿そうとするものの、しばらく使われていなかった簡単な造りの鍵穴は錆びかけているためか、なかなか挿さらなくなっている。物置自体も、自分が本来なにかを収納し、人が開けたり閉めたりするためのものだということを忘れているようにびくともせず、未名子が苦労しながら何度かゆすっているうち、ある一瞬でふと思い出したみたいに、一気に開いた。(高山羽根子首里の馬』新潮社〔新潮文庫〕/2023/p.89)

倉庫が象徴する忘れられていた記憶が、馬(equus)の存在をきっかけに引き出される。そこでも「ゆすっているうち」と、揺さぶる経験がくり返される。
そして、本作品を象徴するクイズである。クイズ(Quiz)とは何か(quis)。それもまた、揺さぶるものである。

「ひとりの解答者が選びとる解答は、その人自身の、人生の反映なんです。ただの自問自答ともちがいます。別の人生を過している人間からの思いもよらない問いかけによって、解答者は軽く揺さぶられ、混乱し、同時に自分の経験の思いもよらないところから解答が引き出されます。その人生に一見もう必要がないと打ち捨てられていた、なんならもう二度と思い出したくもないと考えているような、脳の端にあった経験が、他人の問いによって意味を持ちます」(高山羽根子首里の馬』新潮社〔新潮文庫〕/2023/p.53)

ここまで来たら、作者の伝えたいことは明瞭である。上記引用箇所は、次の通り書き換えられよう。「ひとりの読者が選び取る解釈は、その人自身の、人生の反映なんです。ただの自問自答ともちがいます。別の人生を過している人間(=作家)からの思いもよらない問いかけによって、読者は軽く揺さぶられ、混乱し、同時に自分の経験の思いも寄らないところから解釈が引き出されます。その人生に一見もう必要がないと打ち捨てられていた、なんならもう二度と思い出したくもないと考えいてるような、脳の端にあった経験が、作家の問いによって意味を持ちます」と。

颱風、馬、文学とは?
正解は、クイズ。人を揺さぶるものだから。