可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『聖地には蜘蛛が巣を張る』

映画『聖地には蜘蛛が巣を張る』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のデンマーク・ドイツ・スウェーデン・フランス合作映画。
118分。
監督は、アリ・アッバシ(Ali Abbasi/علی عباسی)。
脚本は、アリ・アッバシ(Ali Abbasi/علی عباسی)とアフシン・カムラン・バーラミ(Afshin Kamran Bahrami/افشین کامران بهرامی)。
撮影は、ナディーム・カールセン(Nadim Carlsen/ندیم کارلسن)。
美術は、リナ・ノールドクビスト(Lina Nordqvist/لینا نوردکویست)。
衣装は、ハナディ・クルマ(Hanadi Khurma/حنادی خرما)。
編集は、ハイデー・サフィヤリ(Hayedeh Safiyari/هایده صفی یاری)とオリビア・ニーアガート=ホルム(Olivia Neergaard-Holm/اولیویا نیرگارد-هولم)。
音楽は、マーティン・ディルコフ(Martin Dirkov/مارتین دیرکوف)。
原題は、"Holy Spider"。ペルシア語題は、"عنکبوت مقدس"。

 

誰しも避けたいと願うことに向き合わなければならない。(イマーム・アリー『雄弁の道』説教149)
イマーム・レザー廟があるイラン第2の都市マシュハド。ソメヤ(Alice Rahimi/آلیس رحیمی در)が照明を絞った狭い自宅で煙草を吸いながら鏡に向かって身繕いしている。頬や背中にはいくつもの痣がある。眠っている娘に起きるまでには戻るからと囁き家を出る。暗い通りを歩いて公衆トイレに立ち寄ると化粧を濃くして靴を履き替え、繁華街に向かう。アザーンが流れる霊廟に向かってソメヤは祈りの言葉を呟く。ソメヤの前で車をとめた男と話が付き、助手席に乗り込む。男は裕福なサフラン商でソメヤは立派な邸宅に招かれた。リヴィングの点けっぱなされたテレビがニューヨークのワールド・トレード・センターに旅客機が衝突したと伝える中、寝室で男がソメヤを乱暴に犯す。トイレで身嗜みを整えたソメヤは再び夜の街へ。露天商の老女に立ち寄る。またかい。ツケは? まだ客を取らないと。ソグラは? 広場さ。お願い。ソメヤは老女とともに暗い歩道橋でアヘンを炙る。広場へ行く。フラフラと歩き出すソメヤ。気を付けな。暗がりに停めた車でソメヤが陰茎を咥えている。パトカーが近くを通り、男は頭を下げろとソメヤの頭を押さえつける。放してと嫌がるソメヤ。男が金を渡す。これだけ? 途中で止めただろ。イってない。馬鹿にしないでよ! 失せろ。ソメヤは広場に立つが車はほとんど通らない。1台の車が近くにいた別の女を拾って立ち去った。ソメヤが座って菓子を囓っていると、1台のバイクが通りかかる。来い! 金は? 男(Mehdi Bajestani/مهدی بجستانی)が札束を示す。ソメヤはバイクの後ろに跨がる。バイクは何度も道で折れ、ようやく暗い住宅街の中で停まった。これを顔に被れ。近所の目がある。暗いから何も見えやしないわ。被れって言ってんだ。ソメヤが被る。こっちだ。早くしろ。男は階段を上がっていく。静かに、音を立てるな。ソメヤが躊躇いがちに階段登る。来い。男がドアの鍵を開ける。ねえ、今夜は気分じゃ無いわ。帰るね。来い。帰る。やりたくないの。ソメヤが階段を降りていくと、男が慌てて追いかける。男はソメヤを壁にぶつけ、踊り場に押すと、紐で首を締め上げる。子供がいると訴えるソメヤ。男はより力を入れて紐を引っ張る。ソメヤが事切れる。黒い布に包んで縛ると遺体を荷台に載せてバイクを郊外へと走らせる。マシュハドの街の灯を見下ろす丘でバイクを停めると、男は遺体を降ろして引き摺って捨て置く。バイクに跨がる男。その左手には珊瑚の指輪が嵌められている。中心部から放射状に延びる道路の街灯がマシュハドを蜘蛛の巣のようだ。
早朝、マシュハドに到着したバスからリュックを背負い手にも荷物を提げたラヒミ(Zar Amir Ebrahimi/زر امیرابراهیمی)が降りてくる。タクシーを拾って乗り込む。殺人蜘蛛の話題で持ちきりさ。外出しないようにしてるんだ。連続殺人が何なのかよく分かんないな。それに酷く乾燥してるだろ? 雲一つ、雨粒一つ無い。お客さん、巡礼かい? 運転手の問いかけに少し思案した上でラヒミはそうよと答える。

 

イラン第2の都市マシュハド。シングル・マザーのソメヤ(Alice Rahimi/آلیس رحیمی در)は夜、幼い娘を残して家を出る。公衆トイレで化粧を濃くして靴を履き替えると霊廟に向かって祈りを捧げ、繁華街で客をとる。裕福なサフラン商に乱暴に犯されたソメヤは、露天商の老女から得たアヘンで気を紛らわす。深夜、広場で一人客を待つソメヤの前にバイクの男が現れる。ソメヤを拾った男は住宅街の路地を何度も折れて古びた建物の近くで停まった。暗いにも拘わらず黒い布を被るよう要求され胸騒ぎがしたソメヤは、男の部屋に入る前で気分じゃないと引き返す。だが時既に遅く、男に襲われ紐で首を絞められるたソメヤは、子供がいるとの訴えも虚しく事切れた。
テヘランを拠点とするジャーナリスト、アレズー・ラヒミ(Zar Amir Ebrahimi/زر امیرابراهیمی)がマシュハドを訪れる。娼婦ばかり連続して殺害される事件を調査するためだ。犯人は殺人蜘蛛と呼ばれ未だ逮捕されておらず人々を不安に陥れていた。取材協力者である事件記者シャリフィ(Arash Ashtiani/آرش آشتیانی)によれば、犯人は事件をメディアに取り上げさせるべく自ら遺体遺棄現場を連絡してくると言う。実際に録音されたやり取りも聞くことが出来た。ラヒミは社会の構造的問題を嗅ぎ付け、警察署に刑事部長ロスタミ(Sina Parvaneh/سینا پروانه)を訪ね捜査記録の閲覧を求める。

(以下では、冒頭以外の内容について言及する。)

聖地マシュハドで起こった娼婦の連続殺人事件。被害者は同一手法で殺害され、犯人が遺体遺棄現場までメディアに通知しながら、数カ月間捜査は進展せず、10人もの女性が犠牲になった。ラヒミは、例えばファティマ(Forouzan Jamshidnejad/فروزان جمشیدنژاد)が娼婦は殺されも当然だと述べるように、娼婦を蔑視する社会構造的問題が事件解決に至らないのではないかと疑う。判事マンスーリ(Nima Akbarpour/نیما اکبرپور)はラヒミの観点を斥け、売春は貧困問題であり、政府に解決する義務があるとの見解を示す。
冒頭では、ソメヤが体に多数の痣を作りながら、娘を養うために危険を冒して街に立つ様子が描かれる。出産や売春は、女性だけで行うものではない。だが、市民であれ司直であれ宗教家であれ、対となる男性に対する眼差しが欠落している。例えば、日本国内における技能実習生による死体遺棄事件(最高裁で逆転無罪。最二判2023年3月24日)も、出産の責任を全て女性に負わせた、同根の問題である。
殺人蜘蛛は従軍して死地を潜り抜けた。だが退役後は解体作業員として鬱屈していた日々を送っていた。自らを街を浄化するスパイダーマン=英雄であるとの妄想が娼婦連続殺傷に向かわせる。だが客観的には弱者を暴力の捌け口とした卑劣漢なのだ。娼婦に暴力を振う買春者も五十歩百歩であることが映し出されている。
殺人蜘蛛の息子(Mesbah Taleb/مصباح طالب)が父親から聞いた殺害方法を説明するインタヴュー映像。蜘蛛の巣からは容易に抜け出すことができないことが示唆される。
テーマとは直接関係しないが、ソメヤが「近未来に暗雲が垂れ籠めること」を「感じ取ってい」ながら「意識の表面には上がって来ない」冒頭のシークエンスが印象に残った。

 「この本は、昨年の4月にアメリカで刊行されたもので、著者のディーン・ラディンは、イリノイ大学で電気工学の修士号と心理学の博士号を取った学者です」
 瓜生は本を受け取り、目次とあとがきを見て、著者が超能力や超常現象の研究者であることを知った。序文に、「宇宙に存在するものに『分離』はない。すべては精妙な方法で『からみあって』いる!!」とある。
 「メトロ・マニラのわたしの学校で教えている、ニュージーランダーの女性教師が勧めてくれたんですけどね、読んでみると、こんな実験が紹介されていました。
 著者は、電気工学に詳しいことから、心理的興奮を測定する機器を考案して、予感に関する実験を繰り返し行ったんです。
 まず被験者の指先に機器を装着する。そして、モニター画面にランダムに現れる画像を見せるんだえすが、画像には2種類あって、1つは大蛇が口を開けた瞬間とか、凄惨な事故現場とか、怖い画像。もう1つは、ウサギの寝姿とか、美しい花畑とか、穏やかな画像です。
 画像が表示される前には、必ず3秒の間を置きますが、怖い画像が現れる前だと、穏やかな画像と比較して、興奮度が上がることが分かったんです。
 怖い画像が穏やかな画像か、あらかじめ知ることが出来ないのに、怖い画像だと3秒の間に確実に興奮度が上がるということは、我々は、怖いもの、不吉なものを事前に予感していることになります。
 ただし、本人の無意識が肉体的反応を示しているだけで、自覚はしていない――追試を重ねても結果は同じだそうです」
 じっと聞き入っていた瓜生が、軽く身を乗り出して訊ねた。空のどこかで雷鳴が聞こえる。
 「僕も中子さんも、同様に未来の危うさを感じ取っていると?」
 「危険信号はキャッチしているが、残念ながら意識することが出来ないんですね。破滅型と呼ばれる人の生き方は、このことと関係あるのかな。近未来に自滅することを感知して、無自覚なまま、敢えてその方向に歩いて行くみたいな……」(辻原登『卍どもえ』中央公論新社〔中公文庫〕/2023/p.252-254)