映画『銀河鉄道の父』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の日本映画。
128分。
監督は、成島出。
原作は、門井慶喜の小説『銀河鉄道の父』。
脚本は、坂口理子。
撮影は、相馬大輔。
照明は、佐藤浩太。
録音は、松本昇和。
美術は、西村貴志。
装飾は、湯澤幸夫。
衣装は、宮本茉莉。
ヘアメイクは、田中マリ子。
VFXは、杉本篤。
音響効果は、岡瀬晶彦。
編集は、阿部瓦英。
音楽は、海田庄吾。
1896(明治29)年8月。夜汽車に揺られていた宮沢政次郎(役所広司)が目を覚ます。窓外に目を遣ると、空の端が白んできていた。向かいの座席に坐る女性が抱える赤子も起きた様子。可愛い子ですね。しっかりした顔をしてる。男の子と踏んだ政次郎が女性に声をかけると、女の子だという。政次郎は電報を取り出し、息子が生まれたばかりなのだと言い訳する。ヲトコウマレタタマノゴトシ。そのとき汽車が急停車する。イノシシか、クマか、当分動かなそうだなどと、居合わせた乗客が口々に言う。通りがかった車掌に政次郎が状況を尋ねると、今調べるところだと言う。跡取りが生まれたから早く出発して欲しいと無茶を訴える政次郎。赤子を抱いた女性もタマノゴトシなのだと畳み掛ける。
人力車を飛び降り、実家の質店の暖簾を潜ると、帳場の父・喜助(田中泯)に目もくれず店を抜けて奥に続く住居へ。風呂敷包みを背負ってトランクを右手に提げたまま、息子の寝かされている籠に近付くと、そっと嬰児の右手に触れる。泣き叫ばれてしまいおろおろする政次郎。旦那様! 夫の帰宅に驚くイチ(坂井真紀)が赤子を抱き上げ声を掛けながら揺するとすぐに泣き止んだ。政次郎! 挨拶も無く上がり込むとは何事だ! 夫婦の前に顔を出した喜助は政次郎を叱りつつ、名前を決めたと紙を示した。そこには命名、賢治と墨書してあった。政次郎は良い名だと喜ぶ。
2円以上にはならない。女性が持ち込んだ反物に2円50銭を求めるが店主の政次郎は頑なに譲らない。坊ちゃんは小学校に上がる年ですねと女性は賢治を話題にする。花巻一の俊英で鳴らした旦那様の令息だから将来が楽しみですねと耳を擽る言葉に、政次郎は先のことは分からないと返していたが、花巻はおろか岩手一だと愛息を煽てられるうち、政次郎は2円20銭でという客の申し出にまで頷いてしまう。
イチが柳行李に衣類を詰めている。政次郎が理由を尋ねると、発熱した賢治を医者に診せたところ赤痢と言われ入院となったから付き添いに向かうのだと言う。政次郎は自分が看病すると言って、近所の目があるから旦那様に任せる訳にはいかないという妻の訴えを聞き入れない。夫婦の言い争いを聞きつけた喜助は病人のことは医者や看護婦に任せておけと諭すが、政次郎は任せてなどおけないと家を飛び出す。
病室で割烹着を身に付けた政次郎は同室の患者たちに挨拶して廻り、看護婦に予め聞いておいたという蒟蒻を使った罨法を試したり、消灯の時間が来れば下手な子守唄を歌ったりと甲斐甲斐しく賢治の看病に当たる。
病院の寝台で横になる政次郎。見舞いに来た喜助は素人が看護などするからだと叱る。賢治の赤痢に感染したのではない、腸カタルだと、腹が緩い政次郎は強弁する。
賢治から盛岡の中学に行かせて欲しいと求められた政次郎は、質屋を継ぐのに進学は必要ない上、文学やら芸術やらに気触れるのは酒や女に溺れるのより質が悪いと言いつつ、文明開化の明治の父親なのだと息子の希望を受け入れ、喜助に呆れられる。
1914(大正3)年3月。盛岡中学の制服を着た賢治(菅田将暉)が実家の質屋の暖簾を潜る。ただいま帰りました。賢治は政次郎に卒業証書を成績表を渡す。席次は88人中60番。世の中の広さが分かったろう。賢治は頷き、中学に通わせてもらったことに感謝する。ところが明日からは家業の修行だと告げると、質屋は継がないと賢治から頑なに拒まれてしまう。
花巻の質店の店主・宮沢政次郎(役所広司)は跡取り息子の賢治を溺愛している。幼い賢治が赤痢で入院すると、世間の目があるからと妻イチ(坂井真紀)が反対するにも拘らず自ら付き添う。結果、腸カタルで入院する羽目になり、先代の喜助(田中泯)に叱られる。長じた賢治が盛岡の中学に上がりたいと望めば、文学や芸術は酒・女より質が悪いと言いつつ、文明開化の明治の父親なのだと進学を許す。晴れて中学を卒業した賢治に家業を継がせようとするが、文学気触れの賢治に質屋は弱い者いじめだと拒まれる。賢治に接客させると、1円にもならない鎌に5円も出した。2人の子を抱え妻の病気の療養に当たるとの酒飲みの愁訴に一杯食わされたのだ。政次郎が世間知らずにも程があると叱責すると、病気が本当でなくて良かったと賢治は喜ぶ始末。政次郎は店が潰れると賢治を下がらせる。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
愛息の賢治に振り回される、父・宮沢政次郎を描く。
政次郎は、賢治に小学校卒業後に家業である質屋を継がせるつもりだったが、賢治は中学への進学を希望する。中学でエマーソン、ベルクソン、トルストイ、ツルゲーネフらに感化された賢治は、質屋は農民をいじめていると言って、家業に身を入れない。再び進学すると選んだのは農学の道だった。しかも日蓮宗に帰依して中途で退学し、宮沢家の浄土真宗を非難する始末。賢治は東京へ出奔してしまう。賢治が帰郷するのは妹トシ(森七菜)が病に伏せってからだった。
賢治が文筆活動を始めるのは東京でトシが病に倒れたことを知ってからである。かつて賢治は日本のアンデルセンになると言い、トシは兄の物語を好んでいた。政次郎はトシの死後、自分が読者になると、賢治の創作を励ます。
ケアの物語である。冒頭、幼い賢治が赤痢にかかると、政次郎は自ら病院で看護に当たる。「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ」である。賢治は家業を継がず、宗教に嵌まり、文名は上がらない。それでも息子を見捨てようとしない父に、賢治は親馬鹿だと思わず洩らす。賢治が「デクノボー」であればあるほど、それだけ政次郎の愛情が無償であることが際立つ。また、トシは若い身空で認知症を患い暴れる祖父・喜助を抱き締めて安心させる。「南ニ死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ」である。政次郎や賢治はイチとともに病に伏せるトシの世話をし、また賢治が病床に伏せれば政次郎やイチが看病に当たることになる。
カフカにとって、次のことだけは疑いもなく確かなことだった――まず第一に、ひとは誰かを助けるためには愚か者でなければならない、ということ、第二に、愚か者の助けだけが本当に助けである、ということ。確かでないのは、ただ、その助けがまだ人間の役に立つのか、という点だけだ。(……)カフカが言っているように、無限に多くの希望があるのだが、ただ、われわれにとってではない。この命題には、本当に、カフカの希望が含まれている。これが彼の輝かしい晴れやかさの源なのだ。(ベンヤミン「カフカについての手紙」『ベンヤミン・コレクション 4:批評の瞬間』浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫、二〇〇七、四八九頁。表記を一部変更)
誰かを助けるためには、人は愚か者でなければならない。このような命題が、賢治の同時代人の思想家によって、賢治の同時代人の作家をめぐる批評のなかで登場すると知ったとき、「デクノボー」の主題は一気に私たちにとって普遍的な問いへと結ばれていきます。愚者だけが人を助けることができる。だがその本当の助けによって与えられる希望は、われわれの世界にはない――そのように理解できる、この謎のような命題を、私たちはいまどのように受け止めることができるのでしょう?(今福龍太『宮沢賢治 デクノボーの叡知』新潮社〔新潮選書〕/2019/p.192-193)
「ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニ/
ワタシハナリタイ」と記した賢治。彼は、父・政次郎のようになりたかったと溢す。賢治とともに政次郎もまた、否、賢治よりも「デクノボー」であった。
政次郎は、賢治を見送った後、「われわれの世界にはない」鉄道――銀河鉄道――に乗車するだろう。「銀河鉄道の父」=政次郎は賢治とトシが並んで腰掛けているのを見付けて近付く。「ここへかけてもようございますか。」「ええ、いいんです。」トシが答える。「あなた方は、どちらへいらつしやるんですか。」「どこまでも行くんです。」
「愚者たちの希望」こそが真の希望です。そしてそれは「われわれのものではない希望」なのです。われわれが現実と考える世界の彼方で息をひそめている、デクノボーの叡知に根ざした、ほとんどありえない、淡い希望です。逆接的ですが、それが世界の深い真実なのかもしれません。愚者とは狡知のかけらもない者。世の理りを無視し、自由の意味をはきちがえ、人倫をあからさまに否定する独善的な奸智に決して与しない、「無知の知」を抱く者たちです。
私は、賢治とともに、人間が「われわれ」の論理から脱して、愚者の共同体のなかに場を見出すことの可能性について、考えつづけていきたいと思うのです。そこに、人間の本当の故郷があるかもしれない可能性を、探究してみたいと思うのです。その愚者の国を追放し、狡知という偽りの知性によっておのれの世界を構築し、それをもって唯一の「われわれの世界」であると思い込む傲慢からは身を引き離して。希望という言葉がデクノボーのためにとってあることを、いつか発見できる日が来ることを夢見ながら。(今福龍太『宮沢賢治 デクノボーの叡知』新潮社〔新潮選書〕/2019/p.201-202)