可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 保坂航子個展『真鏡Ⅱ』

展覧会『保坂航子展「真鏡Ⅱ」』を鑑賞しての備忘録
ギャルリー東京ユマニテbisにて、2023年6月12日~17日。

御影石を彫った《真鏡#1》と、それを原型としたブロンズ彫刻《真鏡#2》に、無花果の果実と葉をモティーフとした石彫作品3点を取り合わせた5点で構成される、保坂航子の彫刻展。

床に置かれた黒御影石《真鏡#1》(580mm×980mm×20mm)は、突き出したり抉れたりした外周を持つレリーフ状の彫刻で、入り江を持つ島のようにも、尾根と谷とで入り組んだ洪積台地のようにも見える。光沢はあるものの鏡面のような効果はほぼ無い。《真鏡#1》を原型としたブロンズ彫刻《真鏡#2》(580mm×980mm×20mm)は、磨かれた表面が鏡のように周囲を映すが、入り組んだ形によってその映像は歪む。《真鏡#2》は《真鏡#1》の「写し」であり、それ自体「映像」と言えるが、両者を上下を反転して設置しているのも、鏡映反転を想起させることで、「鏡像」のイメージを増幅させている。また、金属光沢により明るく浮き立つ《真鏡#2》に比して、暗い表面を持つ《真鏡#1》は沈み込む、深淵の印象を生み出す。《真鏡#2》の反射(reflection)に対する、《真鏡#1》の内省(reflection)。両者には"reflection"が共鳴している。

春霖-refrain 再び、再び。
巌に翠、浸み入るそのなかに。
真鏡。
春に起ち顕れる水路のlogique
また、
木魂に山笑う。
(本展に寄せた作家のステートメント

《真鏡#1》・《真鏡#2》の形は、春霖による水溜まりであるかもしれない。所々の水鏡。あるいは、水(≒鏡)だと思ったらアスファルト(≒黒御影石)であるという、逃げ水。近付いたと思うと遠くへ。蜃気楼もまた映像である。石と金属とは、水無き水鏡である。春霖の春、逃げ水の夏、「水涸る」の冬。ならば秋はどこに。無花果がある。無花果は秋の季語だ。水が流れ、季節が巡る。必ずや、再び、山笑う季節が訪れる。

無花果》(130mm×300mm×210mm)は半分に割った無花果の果実を大理石で象ったもの。ほぼ同型の2点が並ぶが、1つの無花果の実を割ったものではない。その意味で鏡像的である。但し、一方の溝には辰砂であろうか、光沢のある赤褐色の粉末がまぶされている。辰砂のあるものとないものと、阿吽の一対のような無花果は、白い台座に設置されていることと相俟って、祭儀のイメージを呼び起こす。
無花果葉》(20mm×580mm×590mm)は暗緑色の蛇紋岩(?)で無花果の葉を象ったもの。地面に現れた水鏡(《真鏡#1》・《真鏡#2》)が内省を促す浄玻璃鏡なら、それを覆い隠すための不届きな葉であるかもしれない。