映画『Pearl パール』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のアメリカ映画。
102分。
監督・キャラクター創造・編集は、タイ・ウェスト(Ti West)。
脚本は、タイ・ウェスト(Ti West)とミア・ゴス(Mia Goth)。
撮影は、エリオット・ロケット(Eliot Rockett)。
美術は、トム・ハモック(Tom Hammock)。
衣装は、マウゴシャ・トゥルジャンスカ(Malgosia Turzanska)。
音楽は、タイラー・ベイツ(Tyler Bates)とティム・ウィリアムズ(Tim Williams)。
原題は、"Pearl"。
暗い畜舎。扉が開く。向かいに立つ家との間にある庭に鶏が放し飼いにされている。
母屋にある部屋。棚の上には家族の写真が並べられている。壁際にはいくつかの人形が置かれている。三面鏡に向かって、ピンクのワンピース姿のパール(Mia Goth)が丁寧に結った髪を確認する。パールが立ち上がる。自分が舞台に立つ様を想像している。照明が落ち、自分だけに向けられたスポットライトを浴びて、ゆっくりと舞う。扉が叩かれる音に我に返る。母ルース(Tandi Wright)が扉を開けて部屋に入って来る。動揺するパール。それをどこで見付けたの? 母親がドイツ語で語りかける。私の古い衣装を着てもいいと言ったかしら? 脱ぎなさい。言い付け通りに家畜小屋に行って餌をやりなさい。
オールオーヴァーに着替えたパールが憤然と畜舎に向かう。パールが牛に干し草を与える。食べなさい! 柵に置いた腕に顎を乗せる。いつか私に二度と会えなくなるわ。そうなの、チャーリー。農場生活はあなたには適してるかもしれないけど、私には無理。私は特別なの。それに気付いてないママは馬鹿よね。いつか世界が私の名前を知る日が来るわ。そうでしょ、メアリー? 干し草を羊の囲いに入れると、羊が答えるように鳴く。ありがとう。パールは干し草用の熊手を手にするとステッキ代わりにして踊る。観客の皆さんが大好きよ。皆さんには本当の私をお見せするわ。パールは畜舎の隅に積まれた干し草の俵を駆け上る。私はスターなの。入口に1羽のガチョウが姿を現わす。ここで何をしてるの、ガチョウさん。パールは恍惚としていた表情を一変させる。パールはガチョウに向かって行くと、構えた熊手を突き下ろす。
パールは、ガチョウを刺した熊手を手に森に入る。湖の船着場に行くと、大声でセーダをを呼ぶ。ワニが近付いてくる。お食べ。パールがガチョウを差し出すと、ワニが飛び付く。
1918年。夜、暗い部屋で、ルースがジャガイモの皮を剝く隣でパールがトウモロコシの皮を剥いている。もうあんな馬鹿げたことに耽るんじゃありません。ただのダンスよ。あなたは自分勝手だわ。農場の人手がなくなったのに、私一人で全ては賄えない。手伝うわ。鍋にトウモロコシを入れたら父さんを連れて来なさい、とルースがドイツ語で言い付ける。パールはトウモロコシを鍋に入れると、自分宛の手紙が届いてなかったか母に尋ねる。無かったわ。パールは手紙の束とともに置かれていた新聞を手に取る。トップ記事はスペイン風邪に対する徹底した防疫とあった。連合国が攻勢をかけてるって。新聞は夕食後にしなさい。でも戦争が終るかもしれないってことでしょ。言ったようにしなさい! 今夜はこれ以上ドイツ人が死ぬ話は聞きたくないの。パールは新聞を置くと、夕食ができたと父に声をかける。車椅子に座る父親(Matthew Sunderland)は全身が麻痺していて、ほとんど反応が無い。
3人が食卓を囲む。手を取り合って、ルースが食前の祈りを捧げる。パールがトウモロコシに齧り付いていると、母親から父親に食べさせるように言われる。パールが父親の口元にスプーンを運んでたべさせてやる。
自室でパールは小箱にしまったからの手紙を読む。パールは何かにつけて夫からの手紙を読み返し、夫のことを思い返していた。
親愛なるパール。君がいない日々は永遠のように長い。ひたすら行軍の毎日だ。目標に到達できるのかさえ分からない。ブイヨンキューブを噛まされるから、足の痛みに気付きもしない。一番の恐怖は塹壕で迎える夜だ。迫撃砲が耳を劈く。気が触れてしまった兵士も少なくない。毒ガスによる虐殺は忘れがたい。君のことを考えるのが唯一救いになっている。国に奉仕することは誇らしいけれど、何より早く帰って君と暮らしたい。死が分かつまでもう二度と離ればなれになりたくない。君の愛する夫、ハワード。
車椅子の父親の清拭を終えた後、バスタブに腰掛けたパールはハワードの手紙をまた読み返した。パールは父親に薬を飲ませる。明日は街へ行くわ。薬を買ってくる。序でに映画館に立ち寄るわ。ママには内緒よ。映画には最高のダンサーが出てるの。いつか彼女たちと一緒に踊れたらいいわ。私にはできる。湯に浸かったパールは父親に向かって高く脚を上げてみせる。そこへルースが現れる。パール。お湯を無駄にしたくなかったの。薬のお金は台所にあるわ。顔を覆うのを忘れないように。人とは距離を保ちなさい。スペイン風邪の流行が再燃すると新聞に出ていたから。絶対に病気を持ち帰らないようにしなさい。母が父を車椅子で連れ出す。
パールが自転車に乗って街へ向かう。
スペイン風邪が猛威を振った1918年。アメリカは前年にドイツに宣戦布告して欧州大戦に参戦していた。テキサス州郊外にあるドイツ系移民の小さな農場。パール(Mia Goth)は、結婚直後に戦場に向かった夫ハワード(Alistair Sewell)の帰還を待ち焦がれ、厳格な母ルース(Tandi Wright)の下で家事や家畜の世話、そして全身が麻痺している父(Matthew Sunderland)の介護を手伝いながら倹しく暮らしていた。パールには映画で見るようなダンサーとなって農場を抜け出したいとの夢がある。その夢を愚かしいと否定する母の目を盗んで、パールは一人部屋の中や家畜たちの前でスターになった空想に耽って踊っていた。父の薬を買いに街に出た際にパールは映画『パレス・フォリーズ』を見る。パンフレットを手に興奮して映画館を出たパールに、映写技師(David Corenswet )が親しげに声をかけてきた。彼からいつでも映写室に立ち寄ってくれと言われ、『パレス・フォリーズ』のダンスの一齣をプレゼントされた。家に向かって自転車を走らせていると、オールオーヴァーのポケットからフィルムの切れ端が飛んでしまった。パールはフィルムを拾いにトウモロコシ畑に分け入る。
(以下では、冒頭以外の内容、結末についても言及する。)
映画『X エックス』(2022)に登場するパールの若き日を描く作品。『X エックス』を鑑賞していなくとも、独立した作品として楽しめる。
厳格な母の下、狭い農場で倹しく暮らすパールは、お遣いで街へ出かける際に見る映画に登場する華やかなダンサーに憧れていた。ステージでスポットライトを浴びる自分の姿を想像しながら、部屋で母の古い衣装を着て、あるいは畜舎で家畜たちを前に、母の目を盗んで一人踊るのが気張らしだった。
ドイツ出身であることに誇りを持つ母は、しばしばドイツ語で娘に語りかける。だがアメリカの欧州大戦への参戦により、ドイツはアメリカの敵国となった。敵国出身者としてドイツ系移民の一家は肩身が狭い思いをすることになる。
結婚してすぐに夫のハワードが戦地に向かってしまった。夫の手紙を待ち焦がれているが、便りはなく、1通の手紙を繰り返し読んでは夫の愛情を噛み締めていた。若いパールの身体に潜む欲望を抑えることは、ダンスだけでは難しくなっていた。
スペイン風邪の流行で、他者とのコミュニケーションが難しくなっていた。街では布で顔を覆って過さざるを得ない。
厳格な母親による管理(夢の抑圧など)、夫の不在(性的欲求の抑圧など)、ドイツ系であることの肩身の狭さ、感染症の恐怖と、田舎の閉鎖的環境で暮らすパールにはいくつものストレス源が積み重なっていく。それでもダンサーになる空想を拠り所に、何とか精神の平衡を保とうとするパール。舞台に立つときはどんなときでも笑顔でなくてはならないと、パールは必死に笑って見せようとする。しかし、彼女の夢が――母親の予言通り――叶わないという事実が厳然と突き付けられたとき、もはやパールは正常ではいられなくなるだろう。それでもスターであろうとして、パールは笑顔を作ろうとする。とりわけ、夫に向けて、必死で作る笑顔――笑顔が崩れてしまう過程――を蜿々と映し出すラストシーンは圧巻の一言。
義妹のミッツィー(Emma Jenkins-Purro)に促され、彼女をハワードと見立てての蜿々とした一人語りも見応えがある。
実父の前で浴槽に浸かり、脚を開いて見せるシーン。父親もまた自分の動かない身体に囚われ、その性的欲求を発散することはできない。彼に対して、自分の身体を見せつけるのだ。パールの抱えた性的欲求が歪んだ形で発散されていて、印象的だ。しかもその場面を目にするルースを登場させつつ、口うるさいルースがその件については口を閉ざすという演出もヒリヒリするものがある。