可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 木村太陽個展『Your Neck in the Woods』

展覧会『木村太陽「Your Neck in the Woods」』を鑑賞しての備忘録
ギャルリー東京ユマニテにて、2023年7月3日~22日。

気が付くとジェットコースターに乗せられて次々に不安に見舞われる。そのような夢を追体験するかのごとき作品により構成される、木村太陽の個展。

《共振/降霊会》はテーブルとやや距離を置いて設置された箱とから成る。テーブルの天板をナイフやバットが十数本突き抜けている。テーブルの上に飛び出した柄の部分には音叉が取り付けられている。音叉は4種で、サイズと高さが揃っているものといないものとがある。音叉(柄)の周囲には種々のアルファベットの文字が落ちている。音叉を円弧状に取り囲んで、天使や少女などの人形、埴輪、象や鳥や海豚など動物の置物など――フリーマーケットで入手した骨董品――が並んでいる。テーブルの向かい側にの中見える箱には、音叉を叩くためのバチが置かれ、それを手に取るための穴は手錠の輪を模したものとなっている。
《共振/降霊会》というタイトルの「共振」は、音叉によって示される。もっとも離されて置かれたバチでは音叉を叩くことはできない。そこに死者の霊との交信をする心霊主義が入り込む。心霊主義は19世紀に勃興したが、その背景には電信機の発明があった。「情報が瞬時に遠隔地に伝わるという現象は、現在では想像できないほどの衝撃を人々に与えたにちがいな」く、「死者の霊との交信という発想は、地上に限定された電信という技術をもう一歩進めて精神世界に応用したもの」なのだ(吉村正和『心霊の文化史 スピリチュアルな英国近代』河出書房新社〔河出ブックス〕/2010/p.26-27参照)。

 降霊会は、主宰する霊媒以外に10人を超えない程度の参加者を迎えて、暗い部屋で行われた。場所は普通の家の居間などであり、参加者同士は互いによく知った関係にあった。夕方に部屋の照明が落とされ、月明かりなどがない場合には、暗闇に近い状態となる。参加者はテーブルの周りに手の先が触れる程度の距離をおいて円形に座る。初期の段階では霊媒はこの円に加わっていたが、やがて物質化現象が登場するようになるとカーテンで仕切られた区画やキャビネットに入ったりするようになる。参加者の精神をよりよい状態で集中させるために、軽い会話が許され、音楽が流れることもある。テーブルが動き出すと、霊が登場する合図となる。霊媒は、文字通り霊と参加者との間の媒介者であり、死者の霊からのメッセージを参加者に伝えたり、参加者からのメッセージを霊に伝えたりする役割を果たすことになる。霊媒が直接媒介者になるのではなく、指導霊(あるいは支配霊)が憑依してその役割を代行する場合が多い。(吉村正和『心霊の文化史 スピリチュアルな英国近代』河出書房新社〔河出ブックス〕/2010/p.18-19)

心霊主義への懐疑的な態度」は、心霊主義の隆盛した1860~70年代においても常識的な見方であったが、「社会に受け入れられ、おびただしい人々によって真正と判定され、当時の代表的な科学者たちの調査対象となったという歴史的な事実があ」る。「その社会精神史的な意義は、心霊主義を真っ正面から否定するところからは見えてこない」(吉村正和『心霊の文化史 スピリチュアルな英国近代』河出書房新社〔河出ブックス〕/2010/p.7参照)。

 近代科学は人々に唯物論の選択を迫ってきたが、一方でなんとなく心が満たされないという思いを残してきたこともたしかである。そうした心の空白をみたすのは、科学ではなく、むしろ宗教や哲学の領域だろう。そのことは、敬虔なキリスト教徒で優れた科学者も多くいることからもわかる。
 だとすると、霊的なものへの傾倒の背後には、むしと科学に対する不信感があるのかもしれない。本書〔引用者註:デボラ・ブラム〔鈴木恵〕『幽霊を捕まえようとした科学者たち』〕では、「大衆の信じることに科学者が敬意を払わないなら、大衆が科学者の意見に敬意を払わないのも当然だ」というウィリアム・ジェイムズの言葉が引用されている。100年以上を経た現在においても、この警告は的を射ている。科学と社会をめぐる状況は、さして改善されていないようだ。(渡辺政隆「解説 グレーゾーンを科学する」デボラ・ブラム〔鈴木恵〕『幽霊を捕まえようとした科学者たち』文藝春秋〔文春文庫〕/2010/p.539-540)

近年でも『マジック・イン・ムーンライト(Magic in the Moonlight)』(2014)、『プラネタリウム(Planetarium)』(2016)、『ブライズ・スピリット~夫をシェアしたくはありません!(Blithe Spirit)』(2020)など降霊会を描く映画作品が途切れることはないのは、近代科学が心の空白を満たさないという背景があるだろう(因みに、《Everlasting Cinema》は戦争映画をテーマにした絵画作品である)。
また、パンデミックは、科学に対する不信を高めた可能性がある。

 しかし、パンデミック(世界的大流行)といった災害時には、市民が科学者に意見を求めるため、複数の見解が相互に矛盾している段階でも情報が市民に提供されます。確かなものを聞いたつもりの市民は混乱して裏切られた気持ちになり、科学者の指摘を信じられなくなります。(河内敏康「不安社会健康情報の代償 疑似科学踊らされないで 石川幹人・明治大教授に聞く」毎日新聞2023年7月15日4面)

《共振/降霊会》に不穏なイメージをもたらしているのは、音叉が取り付けられているのがナイフやバットの柄である点であり、かつバチを納める箱に手錠のイメージが付け加えられている点だ。兇器と犯罪と、両者の間の距離。押し込み強盗が秘匿性の高い通信アプリを利用して遠隔地からの指示によって行われていた「ルフィ事件」を想起させる。すると、音叉の周囲に置かれたのが何故フリーマーケットで偶々入手した骨董品だったのかが明らかになる。「闇バイト」の募集に応じた人々の表現だったのだ。

《Birds in the Curtain》は、木製の柱に囲まれたジェットコースターの模型のような立体作品と映像とから成る作品。耳かきで組んだ構造に支えられた捻れとアップダウンのあるコースにはスライドフィルムがセットされている。そのコースを猛スピードで辿ることで目にするであろうイメージが、壁面に投影される映像として鑑賞できる。警報装置のボタンを押すことで無数の鳥居を潜った先に拡がる世界へ。街で見られる禁止事項の標示や指名手配犯の貼り紙。鑑賞者は、車に乗って、あるいは鉄道に乗って、猛スピードで逃走する羽目になる。それはジェットコースターなので永遠と繰り返される。ポジフィルムではなくネガフィルムであることが、現実とは異なる夢の世界であることを表現する。だが悪夢は見たくなくとも、ジェットコースターに乗せられているかのように逃れることができない。

《Caught Between》は、2枚鏡の間に青く塗った将棋の駒を7枚並べたものを12個、円環状に並べてある。将棋倒しの悪夢の連鎖が示唆される。

《Astronomy Domine》は、テーブルに、鉄球と白いプラスティックのボールを納めた円形の枠が置かれている。テーブルの天板には磁石が仕込まれているため、枠を動かすと鉄球は磁力によって反応し、それによって鉄球と白球とが作るイメージが変化する。その図像をどう読み取るか。それは天文学(astronomy)というより占星術(astrology)の領域である。

 17世紀には、自然現象をすべて物質とその運動で説明しようとする、機械論的自然観が流行した。物質をつきつめてゆくと、原子・分子の世界にいたる。すると自然現象は、究極的には、原子・分子(ニュートンは粒子といった)の運動となる。
 その運動をニュートンは、まず地球と月の関係を例として考えた。そして、物体(粒子)間の距離の自乗に反比例し、質点(粒子)の質量に比例する力が、二物体(二粒子)のあいだにはたらくという力学法則、万有引力の法則を発見したのである。この力によって、すべての自然現象を説明しようというのが、ニュートンの力学的自然観である。
 力学的自然観のプログラムでは、電気や磁気も力になおして考えるように、物理現象は力学現象に還元する。
 化学現象は、物理現象に還元してから、力学現象に還元する。うまくはいかなかったが、ニュートン一派は化合現象も、粒子が距離の逆三乗、逆四乗の法則で引きあうと説明しようとした。
 生物現象は、化学現象、そして物理現象、最後に力学現象に還元する。
 では、心理現象・社会現象は、どうだろうか。そこには自由意志が介在するため、完全に生物現象に還元できるものではない。人間の心理や恋愛感情なども究極的には脳の中の原子・分子の力学に還元されるという人もいるが、占星術の占おうとする社会現象を力学現象である天体の動きに直接結びつけるには、あまりにも迂遠である。
 こうした考え方を身につけた近代科学者は、科学であつかえるテーマがどのようなものであるかを会得している。近代科学者は人生の予測について、彼らの方法を当てはめようなどとは、つゆ思わない。
 その方法は、占星術には当てはまらないものである。それゆえ、17世紀末には、占星術は「科学と袂を分かった」。これを近代科学の側からみれあ、占星術は「科学から脱落した」ということができる。
 近代科学者は学問でなにができるかをわきまえるようになり、むやみに超能力を誇示しない。相変わらずその超能力を誇示しつづける占星術師は、魔術師として遇されるようになる。(中山茂『西洋占星術史 科学と魔術のあいだ』講談社講談社学術文庫〕/2019/p.157-158)

《Astronomy Domine》の枠は紐でモビールと接続されている。枠を動かすことで、ガスコンロの焔の形に切り出した透明なシートレンズの位置が変化する。イメージの書き換えが、プロメテウスからの贈り物を象徴する火、そしてその代償としての災厄をコントロールすることに繋がることを示唆しているのだろうか。

《Echo Chamber Heroes》ではヴァイオリンの裏板に人々の姿が描かれている。SNSを通じ、狭い空間に囚われた人々の感情が増幅される。《Oujia Key Board》では迷路の中をボビンが抜けて行く。その探索は自らの意志によるものか、霊的な働きかけによるものか、あるいは「あなたへのおすすめ」によるものか。

《野次馬たち》は、会場の壁面の高い位置に飾られた、群衆を描く絵画。距離を置いて――おそらく画面越しに――世界を眺めている。高みの見物をきめこむ彼ら/彼女らもまた、巨大な海に浮かぶ、不安定な筏に乗っているに過ぎないことが、《Sea of Uncertainty》において示唆される。

科学・技術がいかに発達し、予測可能範囲が拡張しようとも、人々の不安もまたその先へと拡がるために、不安が払拭されることはない。科学・技術では対応できない領域が常に存在し、心霊主義占星術が生き延びる余地は常に存在する。「科学と社会をめぐる状況は、さして改善されていない」のだ。