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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 樋口愛個展『ひねもすのたり』

展覧会『樋口愛展「ひねもすのたり」』を鑑賞しての備忘録
GALLERY b.TOKYOにて、2023年8月21日~26日。

目と口を表した丸い顔に胴と手足を配した、幼い子供が描く人物のようなキャラクターによって景観の雰囲気を表現した「葉っぱ童子」シリーズなどの絵画16点と、人形《女神像》1点とで構成される、樋口愛の個展。

地下1階にあるギャラリーに向かう階段を下ると、最初に鑑賞者を出迎えるのは《海に棲む者》(Φ900mm)。円形の画面全面に水浅葱を刷き、水墨画よろしく擦れた墨線で睡蓮の葉のような裂け目のある枠を描き、その中に薄墨色で半月状の顔に吊り上がった右目と星型の左目、点で表した口、金やピンクが施された珊瑚を頭に載せ、人形(ひとがた)のような単純化された手足を持つキャラクターが描かれている。隣にはそのキャラクターを画面から食み出すほどに大きく描いた《サンゴショウクン》2点(各180mm×140mm)が飾られている。水彩画のように青く滲んだ背景に溶け込むような身体を持つ薄墨のサンゴショウクンと、金色の頭部と珊瑚色の身体を持つサンゴショウクンである。仙厓義梵やパウル・クレー(Paul Klee)に通じるデフォルメされた漫画のようなキャラクターによって、海の中に広がる環境を擬人化しているのだ。それは、「葉っぱ童子」シリーズにも共通して見られる作家の作品の特徴であり、鑑賞者は海に潜り込むように、それら作者の世界へと沈潜することになる。

「葉っぱ童子」シリーズは、植物のある風景を、目と口を表した丸い顔に胴と手足を配したキャラクター――ワンピースのドレスを纏う童子童女?)がいれば、金の鱗のようなもので身を固めた童子もいる――に擬人化した絵画群である。赤い花の咲く野を行くウサギの耳のようなものを持つ童子童女?)には羽が生え、軽やかに春爛漫の空気を味わい、熊のぬいぐるみのような頭部を持つ童子は芝生に座り込み、桜の刹那の美をしみじみと味わっている。

《花と土の循環》(910mm×910mm)は赤茶を全面に塗った画面の右下に鉢の中の植物のような形を、左上に赤い四角形を配し、さらに「鉢」の上に"LOVE"の文字を書き入れている。赤い四角形は、花であり生命であり太陽であろう。とりわけ昇って沈む太陽の運動は、循環イメージを引き寄せる。"LOVE"は、「愛」であり、作家の署名である。葉っぱ童子シリーズでは画中に"ai"を紛れ込ませているが、《花と土の循環》では"LOVE"をはっきりと表している。赤い四角形を落款印と見れば、書画一体の水墨画に通じよう。
《Sanctuary》(910mm×910mm)は水色を刷いた画面の中央よりやや下側に白い帯状の線を引いている。これが結界であろう。黄泉比良坂ないし三途の川であり、此岸と彼岸との境界と考えられる。画面上部には神聖なものを象徴する金の四角形が配されている。白い帯の位置には人形(ひとがた)が配され、"if today were the last day of my life..."というメッセージが書き入れられている。このメッセージによって、《Sanctuary》はより書画一体の水墨画に近付いている。

ところで、展覧会タイトル「ひねもすのたり」は、蕪村の「春の海/終日のたり/のたりかな」に由来する。蕪村が南画家であることを踏まえれば、「ひねもすのたり」には作家の南画への志向が籠められていると察せられる。南画では詩書画が一致し、気韻生動が目指される。"ai"ないし"LOVE"と自らの名を画中にモティーフとして組み入れるのは、作品が作家(の精神)そのものであるとの態度をとるからであった。