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芸術鑑賞の備忘録

映画『ロスト・キング 500年越しの運命』

映画『ロスト・キング 500年越しの運命』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のイギリス映画。
108分。
監督は、スティーブン・フリアーズ(Stephen Frears)。
原作は、フィリッパ・ラングレー(Philippa Langley)とマイケル・ジョーンズ(Michael Jones)のノンフィクション『The King's Grave: The Search for Richard III』。
脚本は、スティーブ・クーガン(Steve Coogan)とジェフ・ポープ(Jeff Pope)。
撮影は、ザック・ニコルソン(Zac Nicholson)。
美術は、アンディ・ハリス(Andy Harris)。
衣装は、ローナ・ラッセル(Rhona Russell)。
編集は、ピア・ディ・キアウラ(Pia Di Ciaula)。
音楽は、アレクサンドル・デスプラ(Alexandre Desplat)。
原題は、"The Lost King"。

 

エジンバラ。会社に急ぐ人々の中にフィリッパ・ラングレー(Sally Hawkins)の姿もある。会社の入居するビルに到着し、ケリー(Shonagh Price)とアウシー(Helen Katamba)が待ってくれているエレベーターに慌てて飛び乗る。緊張してる? ちょっと。大丈夫よ。一番に出社して最後に退社してるんだから。私の目の隈はどう? 平気よ。眠れなかったの? よく眠れたときになるの。
トニー(Lewis Macleod)が部下たちを前に切り出す。私は仕事仲間一人一人を大切にしているし、本社にもそのことを承知してもらっている。だが新しい経営陣は6人を選抜するよう要求してきた。そこで私が提案したのは、ブロディ、ジェイミー、ローラ、アンディ、ダニエル、そして……、キャースティ(Jenny Douglas)だ。選抜された6人はおめでとう。ちょっと時間をとって状況を理解してから仕事に戻ってくれ。呆然とするフィリッパ。アウシーが止めるのも聞かず、フィリッパはトニーの部屋に向かった。
キャースティ? 彼女は配属されたばかりじゃないの! 君が有能な逸材だとは認めますよ、しかし、熟慮した上で君には今の立場がふさわしいと判断したんだ。本当に人事マニュアルを読んでるんですか? だが君が問題を抱えていることは承知だよね。サボっているわけではありません、慢性疲労に苦しんでいるんです。正真正銘の病気です。それでも私が期限を守らなかったことがありますか? 若い人が輝くチャンスを与える時機だと考えたんだ。40歳以下で優秀な人材を求めているなら、私が燻るのも仕方がありません。でも、それならあなたもでしょう。ヘアワックスじゃごまかせないわ。失意のフィリッパはトニーの部屋を出る。…クレイシャンプーなんだけどな。
帰宅したフィリッパは食卓に着き、食事の支度をする元夫ジョン・ラングレー(Steve Coogan)に愚痴を溢す。耐えられない。何が事態を改善するんだ? 男根。僕のを使ってくれても構わないけど。近頃は暇だから。笑わせようとしても無駄よ。病気だった頃の怖ろしい記憶が蘇るの。衝動的なことはしないでくれ。それだけは頼むよ。2つの家を維持しなくちゃならないんだから、君の給料も必要なんだ。ご飯よ! フィリッパは息子たちに声をかける。待ってよ、一緒に食べないの? ああ。僕は女性と食事の約束があるからね。マッチングアプリで知り合ったんだ。彼女についてはよく知らないけど。予定を変更してもらえない? 今夜、芝居を見に行かなくちゃならないなんて耐えられないわ。一人じゃ無理よ。予定を変更するつもりはない。いつか感謝する日が来るさ。皮ジャンを羽織り、手櫛で髪を整えるジョン。往年のビグルスみたいな格好で行くの? いかにも。しっかり、撃墜王
子ども部屋ではマックス(Adam Robb)とライフ(Benjamin Scanlan)がヴィデオゲームに夢中になっている。夕食が出来ております。食事を取るよう促すがゲームを止めない息子たちにしびれを切らしたフィリッパはテレビの電源コードを抜き取る。何してくれたんだよ! 私の言うことを聞かないからよ。マックスは劇場、ライフはお祖母ちゃんのところ。マックス、感想文を書くのはあなたの役目。気違い女かよ。気違い女。ライフ、兄の真似をしない!
今や我らの不満の冬もヨークの太陽によって輝かしい夏へと変わった。我が一族にかかる雲は全て海の彼方に呑み込まれた…。フィリッパはマックスと並んで劇場の暗い客席に坐っている。シェイクスピアの『リチャード三世』の幕が開き、グロスター公リチャード(Harry Lloyd)の独白が始まった。…誰もが与えられる五体の満足を、人の身形を、策を弄して奪われ、歪められ、完成することの無いまま、不具としてこの世に送り込まれてしまった、あまりに弱々しく野暮ったいがため、犬でさえ私に吠え立てる始末…。リチャードは不自由な身体で舞台を動き回る。筋痛性脳脊髄炎に苦しむフィリッパは、すぐにリチャードの苦しみが自らに重ね合わさる。リチャードは私だ、リチャードは私に語りかけている。

エジンバラ。フィリッパ・ラングレー(Sally Hawkins)は、筋痛性脳脊髄炎を抱えながら職務に精励してきたが、新経営陣の指示で組織されることになった選抜チームから漏れた。新人のキャースティ(Jenny Douglas)が迎えられベテランの自分が外される不当を上司のトニー(Lewis Macleod)に訴えるが、フィリッパが病気を抱えていること、新人に活躍の場を与えることを考慮した結果だと撥ねられた。失意のフィリッパは勤労意欲を失うが、元夫ジョン・ラングレー(Steve Coogan)は、マックス(Adam Robb)とライフ(Benjamin Scanlan)の2人の息子を養うために、退職を思い留まるよう釘を刺す。シェイクスピアの『リチャード三世』を観劇して感想文を書く宿題を課されたマックスの付き添いでやむを得ずフィリッパは劇場に赴く。冒頭、不自由な身体に生まれついた不運とそれゆえの不遇を託つグロスター公リチャード(Harry Lloyd)に、自らの姿が重なった。それゆえ、幕間で立ち話をした息子の同級生の父親アレックス(Robert Jack)から、リチャードが障害のせいで邪悪な存在となったのは史実だろうとの指摘が気に触って仕方が無い。リチャードの死から100年以上経って書かれた戯曲は脚色に決まっている。リチャード3世に関する史書を渉猟してシェイクスピアとは異なる善王リチャード三世像を抱いたフィリッパは、更なる情報を求めてリチャード三世協会エジンバラ支部の会合に顔を出す。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

不可能と言われたリチャード三世の遺骨を発見したアマチュア史家フィリッパ・ラングレーの物語。シェイクスピアもイギリス史も知らなくても存分に楽しめる作品である。

フィリッパは息子マックスの付き添いで訪れた劇場で、幕間に同級生の父親アレックスからマンスプレイニングを受ける。

 (略)会話の際、女性は知性や知識量が劣っていると思い込み、相手の女性がその話を望むか否かにかかわらず一方的に説明/説教し続ける男性の行為をマンスプレイニングと呼ぶが、〔引用者補記:津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』の主人公「わたし」が〕この「お笑いを語りたがる男」をやり込める話は、マンスプレイニングへの反逆を思わせるものである。レベッカ・ソルニットは、「男は自分が何を言っているのかわかっていて、女はそうではない」かのように、女に「説明/説教」したがる」男たちの存在を権力関係の一形態とみる彼女の論は、説明/説教する男なるものが沈黙する女を動員しながら排除することで成り立っていると気づかせてくれる。そしてだからこそ「わたし」は、沈黙ではなく、あらゆる角度からの検証やギャグで「説明」し返すことで、その関係をひっくり返すのである。この「きっつい出来事」がゼミ仲間に知られていたら悲しいと思う語りによってこの行為の衝動性と自己省察が示されるが、少なくとも「わたし」が、その背後にある権力関係に反応したのだろうことは読み取れる。(中谷いずみ『時間に抗う物語 文学・記憶・フェミニズム青弓社/2023/p.15)

フィリッパも、『君は永遠にそいつらより若い』の主人公「わたし」のように、マンスプレイニングへの反逆を企てる。そして、その背後にある権力関係は、男性・女性に加え、アカデミズム――ローレンス教授(Julian Firth)やバックリー教授(Mark Addy)――とアマチュアリズム、そして何より健常者と「ハンチバック」に象徴される障害者である。
フィリッパは、シェイクスピアの戯曲で歪曲されたハンチバックのリチャード像を刷新すべく、リチャードの遺体が川に投棄されたとの説が有力であったにも拘らず、彼の墓所を見つけ出し、遺体を掘り起こすことを計画する。

 『おみおくりの作法』(ウベルト・パゾリーニ監督、エディ・マーサン主演)という映画も、遺品整理人の物語であった。イギリスのとある区の民生課の職員ジョン・メイが、孤独死した死者のために、追悼文を書き、心を込めて葬儀を行っている。彼は、生前一度も会ったことのない故人のために、その人が生きていた痕跡から想像を巡らせ、葬儀の追悼文を書く。「彼女は人生を謳歌しました。晴れた浜辺の暖かさ、シンプルだが上品な首飾り、赤い口紅。またフラメンコにも情熱を傾け、赤い衣装をまとい華やかに舞いました」。ところが、上司はあろうことか、メイに向かって「君の徹底した仕事ぶりは二ヵ月見てきたが、金の無駄とは言わないが、時間のかけすぎだ」と言い放ち、解雇通知を突き付ける。
 齋藤幸平によれば、ケア実践が資本の論理の先行する社会と相性が悪いのは、スピードや効率性の問題であるという。「人間、動物、植物の生育は生物学的に規定されており、資本にとっては遅すぎる」。またケア実践は「自立」がベースではない。相手のにニーズを探り、理解し、時間をかけて信頼関係を築いていくプロセスは「マニュアル化し、機械的にさばけるものではない」。それがたとえ故人だとしても。直線的で効率的なやり方ではない遠回りな方法で表現するアートを鑑賞者が受け止めるとき、そこには資本主義の論理に基づく時間とは異なる時間が刻まれる。(小川公代『ケアする惑星』講談社/2023/p.98-99)

フィリッパがリチャードの遺骨を発掘し、王家の紋章とともに改葬することを強く求めるのは、死者に対するケアの実践である。だからこそ資本の論理を象徴するレスター大学のリチャード・テイラー(Lee Ingleby)とフィリッパとは折り合いが悪いのだ。
イマジナリーフレンドとしてのリチャードの演出も好感。