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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 雨宮庸介個展『雨宮宮雨と以』

展覧会『雨宮庸介個展「雨宮宮雨と以」』を鑑賞しての備忘録
BUGにて、2023年9月20日~10月30日。

生涯唯一のパフォーマンス作品と位置付ける、公演時期未定のについてのレクチャーパフォーマンス《For the Swan Song A》と、《The Swan Song A》に連なる既発表の絵画、彫刻、映像作品で構成される、雨宮庸介の個展。

パフォーマンスを行う作家ではないと自認する作家は、生涯で唯一、最後の作品(swan song)としてパフォーマンスを行うことを心に決めた。その時以来、頭頂部のティーカップ1つ分の面積の髪を伸ばすなど、普段から準備を重ねている。会場の奥では、《For the Swan Song A》と題し、その制作の経緯などの説明とともに公開リハーサルが行われる。
受付近くの展示台の上には、リンゴの実を模した彫刻作品「apple」シリーズが置かれている。サルバドール・ダリ(Salvador Dalí)の《記憶の固執(La persistencia de la memoria)》に描かれる時計のように、リンゴは台の上で恰も溶け行くように造形されている。実際、リンゴは時計であり、人の一生のメタファーともなる。そのリンゴの制作、塗りの工程が会場脇のカウンターで日々行われている。漆のように何層も重ねられることで、本物のような艶を持つリンゴが作り出されていく。「果実」が成熟して赤くなる過程は、時間の積層の実体化でもある。
作家は、「たんなる落ちていた石」を6人が1つずつ持ち、5年ごとに他人に引き継ぐことを1300年に亘って実施する試み(《1300年持ち歩かれた、なんでもない石》)を開始させている。奈良時代の人々と現代人までの連続/隔絶を、将来に向かって投げて見せる。現在を鏡として1300年のタイムスケールを投映して見せている。
作家は時間の積層を剥がして見せる。それは、リンゴの皮を剝いていくことに擬えられる。剝いても剝いても連綿と続く時間。《The Swan Song A》の科白を印刷した《原稿彫刻》はリンゴの皮のように造形したアルミニウムを天井から吊してある。本当は、言葉は、原稿用紙のように並んでいるのではない。生きてから死ぬまで――たとえ途中、長い余白が続いても――1本の線なのだ。だから作家は、リンゴ(の皮)を人の一生に擬えていると言える。
天井から吊された軽やかなアルミニウム彫刻の銀色の輝きは、反対の壁面に設置された鏡に映し出される。それは、《壁の中の手鏡》という作品で、白い展示壁を削って露出させた木材部分に手鑑の柄と縁とを彫刻し鏡を嵌め込んである。会期終了後に壁に埋められてしまう運命だ。副葬品の銅鏡を想えば、2000年の過去(弥生時代)を映し出すものと言えるかもしれない。だが、埋められる手鏡とは、目であると考えたい。しかも、壁の中で、爛々と輝く、黒猫の目。エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)の『黒猫(The Black Cat)」だ。作家が壁に鏡を埋め込むことは、実は作家の目――常に「問い」(=Q(宮雨))続ける目――を鑑賞者に移植するメタファーなのだ。作家の企てにより、もはや世界は以前とは違う姿を現わすことになる。ただ作家の仕込んだ爆弾がいつ鑑賞者の中で爆発するかは定かではない。リンゴ(型爆弾)は収穫(爆発)の秋(とき)を待っている。炸裂により、思わず鑑賞者が、「ああ、そうか、世界はこんなにも美しかったんだ!」と声を挙げる日を。