可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 ミヤケマイ個展『ものがたりがはじまる Long Long Time Ago』

展覧会『ミヤケマイ個展「ものがたりがはじまる Long Long Time Ago」』を鑑賞しての備忘録
FOAM CONTEMPORARYにて、2023年12月28日~2024年1月24日。

箱形や軸装など表装の仕掛けも楽しい絵画作品28点で構成される、ミヤケマイの個展。様々な問いを投げ掛ける個々の作品にあれこれと思いを巡らせながら鑑賞できる。

《燕》(418mm×278mm×43mm)の箔による銀色の画面には、1羽の燕の絵とサリンジャー(Salinger)の『ナイン・ストーリーズ(Nine Stories)』から引用した「両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音はいかに?」が貼り込まれている。燕には赤い円が重ねられ、さらに画面を収めるアクリルのケースには吸盤が2つ取り付けられている。吸盤は、吸い付いているのか、吸い付けられているのか。いずれにせよ、接着剤のような存在ではなく、空気の不在(気圧差)によってこそ吸い付く。無くなるからこそ存在する。赤い円がルビーを表わすものなら、オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)の『幸福な王子(The Happy Prince)』に登場する燕を描いたものだろう。燕は言わば留守模様として機能する。何が不在かを見るべきだ。片手で音を鳴らす装置として、作品はある。
《蟲の報せ》(614mm×418mm×32mm)には、竜を描いた染付の壺とサボテン、それに蜻蛉が銀箔の画面に貼り付けられている。画面には「なにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した」という、フランツ・カフカ(Franz Kafka)の『変身(Die Verwandlung)』が取り合わされている。壺の器面の龍(dragon)から飛び出し(fly)て蜻蛉(dragonfly)という虫へと変じるのである。龍神は雨を司ることから、サボテンが象徴する旱に対して雨をもたらすのであろう。文字通り蟲の報せである。アクリル画面にサボテンの棘を表わす黄色い点が描かれることで、画面の多層性が強調されているのも興味深い。
軸装の《麒麟 白虎 青龍》(1690mm×562mm)には藍色の画面に龍を描いた染付の壺が3つ並び、それぞれに麒麟、白虎、青龍が描かれる。四神のうち南北を司る二神(朱雀・玄武)が欠けている。朱雀と玄武とはそれぞれ赤と黒を象徴する。ところで、本作の英題は"Three Musketeers"。アレクサンドル・デュマ(Alexandre Dumas)の「三銃士(Les Trois Mousquetaires)」である。三銃士と同じ19世紀フランス文学と言えば、スタンダール(Stendhal)の『赤と黒(Le Rouge et le Noir)』だ。ジュリアン・ソレル、レーナル夫人、マチルドの三角関係の不在であった。
軸装の《朝飯前》(835mm×682mm)に描かれる、猫と卵とは、チェシャ猫とハンプティ・ダンプティであろう。それぞれ『不思議の国のアリス(Alice's Adventures in Wonderland)』と『鏡の国のアリス(Through the Looking-Glass, and What Alice Found There)』とを示唆する。チェシャ猫は微笑みを残して消え、ハンプティ・ダンプティもまた落ちるだろう。
《法則》(618mm×418mm×70mm)は枝先に留まる鴉を描く、枯木寒鴉図である。金円も配されることから、太陽に棲むという金烏であるのかもしれない。引用される文章は、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)の『マクベス』の「きれいは汚い、汚いはきれい」である。文学におけるオクシモロンを、美術作品において展開しようというのが作家の狙いでは無かろうか。この作品にも吸盤が取り付けられている。空気の不在が接着する力を存在させる。金烏の存在に対する、玉兎の不在。
軸装の《壺中の天》(1385mm×242mm)では、龍を描いた壺の中から読書する人の姿が立ち上る。個々の作品の中に展開する世界を表現している。