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芸術鑑賞の備忘録

映画『燈火は消えず』

映画『燈火(ネオン)は消えず』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の香港映画。
103分。
監督・脚本は、アナスタシア・ツァン(Anastasia Tsang/曾憲寧)
撮影は、リョン・ミンカイ(Leung Ming-kai/梁銘佳)
美術は、アレックス・モク。
編集は、ノーズ・チャン(Nose Chui Hing Chan/陳序慶)。
音楽は、アラン・ウォン(Alan Wong/黃艾倫)とジャネット・ユン(Janet Yung/翁瑋盈)。
原題は、"燈火闌珊"。

 

香港。人気の無いゲームセンター。江美香(Sylvia Chang/張艾嘉)が1人コイン落としにコインを投入している。だが、コインは1枚も落ちてこない。美香は、今は亡き夫・楊燦鑣(Simon Yam/任達華)と訪れた日のことを思い出す。
ビル、これインチキだわ。どれだけ入れても何も出やしない。願い事をするようにしてみろよ。どういこと? ローマに噴水があってさ、後ろ向きにコインを投げ入れると願いが叶うらしい。 本当? 言ってくれたらいいのに。どう投げればいいの? 俺が投げるのを見てな。燦鑣は後ろ向きにゲーム機に向かってコインを投げるが投入口になど入らない。巫山戯ないでよ。美香が夫の手をコインの投入口に持っていく。夫の入れたコインは大当たり。メダルがジャラジャラと出てきた。美香は驚喜する。あなたの願いって何だったの? 口に出したらダメなんだ。そう言いながらも燦鑣は妻の耳元で囁く。ずっと一緒にいられるように。
美香は1人コイン落としに向かっている。骨壺の上に置かれた「吉儀」の封筒から1ドルコインを取り出して手を合せる。コインが落ちて床に転がった。
雨の降る夜の街を美香が1人傘を差して歩く。電飾を見るうち、再び燦鑣の姿が思い起こされる。
燦鑣はネオンサインを作る職人だった。だがネオンサインは法律で禁じられ、次々と街から姿を消していた。
昼間、自宅で美香が坐ったままドラム式の洗濯槽の扉を開ける。洗濯物を取り出すうち、パンツのポケットから夫の工房「鑣記霓虹」の鍵が出てきた。
美香は早速鍵を持って工房に出かける。机の上に置かれた名刺や伝票、ネオン管を手に取る。ビル、あなたなの? 美香は人の気配を感じ、呼びかける。食べかけの即席麺や脱ぎ散らかした服もあった。1匹の蛾が机の上から飛び立った。
夜。美香が夕食を並べた食卓にいると、娘の楊彩虹(Cecilia Choi/蔡思韵)が帰宅した。作りすぎないように言ったよね。食べきれないわ。彩虹はジャケットを脱いで席に着く。美香は夫に用意したご飯に鶏肉を載せる。美香は娘にも鶏肉をとってやる。食べなさい。知ってた? 父さんの工房は閉ってなかった。あり得ないでしょ。そうだけど、必要な道具はまだそのままなの。何で昔の物を引っ張り出すわけ? 注文は新しいものよ。お客さんが連絡くれたんだけど、父さんの電話が電池切れだったの。工房を閉めたのはもう10年も前の話でしょ。そんなこと分かってるけどネオン管はまだ温かいの。信じないなら自分で行って見なさいよ。行くなら母さんと病院よ。美香は工房に電話する。燦鑣の応答メッセージが流れる。鑣記霓虹です。願いを叶えたいなら工房へお越し下さい。録音でしょ。
洗濯物を取り出す美香に娘が尋ねる。夜中に洗濯してるの? 睡眠薬は飲んだ? 母が娘に尋ね返す。父さんはあなたの夢に出てきた? 駄目じゃない、血圧の薬も飲んでない。薬品を確認した娘が母に言う。父さんに線香をあげなさいね。六七日だから。戻って来るの。あり得ないでしょ。そうよね、私のことを探そうともしないもの。どうして母さんのこと探すわけ? あなたは涙さえ流さなかったものね。父さんの最期の言葉も覚えてないし。最期の言葉って? 痛いとしか言ってないでしょ。薬を飲んでから寝てよね。
昼間。美香はベッド下の収納や洋服ダンスなどを開ける。空っぽだった。すぐに娘に電話する。彩虹、父さんの物はどこへやったの? 捨てたわよ。今仕事中だから後にして。
建築設計事務所建築士の彩虹が目薬を差し、ラップトップに向かっていると、再び母からの着信がある。彩虹は無視する。同僚の建築士で婚約者であるロイ(Maverick Mak Chau Shing/麥秋成)が食事を持ってくる。仕事は後にして昼にしよう。お腹は空いてない。君の大好物だろ、ガチョウのロースト。さあ、温かいうちに。彩虹はロイが買ってきてくれた食事を脇にやる。再び彩虹の電話が鳴る。母さん、仕事中って言ったでしょ。父さんの物は捨てたわ。ヤン様ですか? 結婚予定のビザは承認されました。電話は、オーストラリアの結婚ビザ申請の結果についてだった。

 

江美香(Sylvia Chang/張艾嘉)は夫・楊燦鑣(Simon Yam/任達華)の六七日を迎えたが、夫を亡くしたショックから立ち直れない。思い出の品や場所を目にする度、優しかった燦鑣の姿が蘇る。燦鑣はネオンサインの職人で、手掛けた看板の数々が香港の夜を鮮やかに彩った。ところが2010年にネオンサインは建築法規で禁じられ、以降、次々とネオンサインが姿を消していった。建築士の娘・楊彩虹(Cecilia Choi/蔡思韵)は設計事務所のパートナーであるロイ(Maverick Mak Chau Shing/麥秋成)との結婚を控えているが、母親を心配して、敢て父親の遺品を処分する。美香は娘が捨てた物を取り戻し、夫の工房に向かう。10年前に閉鎖された工房には現在も使用されている形跡があった。ある晩、美香は工房で若者(Henick Chou/周漢寧)に出会す。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

江美香と楊燦鑣との幸福な日々に対する追憶が、ネオンサインの輝きに溢れた夜の街、延いてはかつての香港に対する郷愁と重ね合わされている。
冒頭、ゲームセンターで1人でコイン落としをする美香と、かつて燦鑣とともに訪れたときの情景が重ね合わされる。また、美香が1人歩く夜の街では、かつてのネオンサインの輝く夜景とネオンサインが撤去された後の景観とが連続して映し出される。対照の映像によって美香の喪失感が明快に伝わる。
美香が燦鑣の存在を幻視するのは、『ゴースト/ニューヨークの幻(Ghost)』(1990)を彷彿とさせる。実際、『ネオンサイン/香港の幻』と題されてもおかしくない。
青春時代の江美香と楊燦鑣とは、それぞれ郭爾君と唐浩然とが演じている。