可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

本 津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』

津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』〔ちくま文庫つ-16-1〕筑摩書房(2009)を読了しての備忘録

映画『君は永遠にそいつらより若い』(2021)の原作。

堀貝佐世は京都にある束谷大学の文学部社会学科の4回生。2年生から講座に通い、社会福祉主事の課程を修了し、児童福祉司の資格を取り、地元の県の児童指導員に採用が決まっていた。必要な単位も取り終え、『中国系映画監督と日本の女子の結婚観』と題した卒論を書き上げれば卒業となる。わずかに履修登録した授業に出るのと、酒造工場の検品アルバイト以外に、特段やるべきことは無かった。かつて同じゼミに属し、3回生の夏休みを前に大学を中退した河北修一郎とは腐れ縁で、彼の交際相手アスミのために授業に出てノートを取って欲しいと頼まれた堀貝は安請け合いする。ところが寝坊して授業終了後に教室に到着した堀貝は、ノートを借りようと猪之木楠子に声をかける。

ノートを借りることをきっかけに、堀貝は猪之木と親しくなる。猪之木の家に招かれた堀貝は「上海」というパズルゲームで負け続ける。「負けるのには慣れてるんだー」と思わず口にしたことをきっかけに、小学3年生の1学期の終業式に、男子2人にひどく痛め付けられた経験を語る。

 (略)イマヤマダは、わたしの背中に肘を入れた。わたしは内臓が前に揺れたような衝撃を感じてつんのめったが、まだ倒れはしなかった。チビはここぞとばかりにわたしの腹を殴り、イマヤマダはわたしの髪をつかんで前後左右にめちゃくちゃに振った。頭の皮が頭蓋骨から剥がれそうだと思った。チビはわたしの股間を蹴りとばし、わたしは汚い教室の床にうつぶせに倒れた。それでもまだ抵抗しようとしていた。すぐにからだを裏返し、イマヤマダの顎を狙い、のしかかってくるチビを振り払った。チビはなにごとか喚きながらなんどもわたしの上に馬のりになろうとし、わたしはその度にチビをよけて、殴りかかってくるイマヤマダに拳を報いようとした。喚き散らすチビの合間に見えるイマヤマダの顔はつまらなそうだった。力で負けていることよりもなによりも、わつぃはそのことを屈辱だと感じた。平然とした顔付きのイマヤマダに、まともに頬を殴りつけられて、ぐらぐらしていた乳歯が抜けるのを感じた。乳歯が喉に入り、わたしは咳き込んで教室の床に涎を垂れながら歯を吐き出した。イマヤマダは再びわたしの髪を摑んで、顔面を床にたたきつけ、チビはわたしの脇腹を何度も蹴り上げ、尻を踏みしだいた。床の埃と足の裏の衝撃でわたしは何度も咳き込み、自分の吐き出した歯がほっぺたに食い込むのを感じた。
 鼻がちぎれて頬が破れ、臓腑の形が歪んだように思えた。小学3年生がそんな表現をしないとするのなら、ただ、痛い、いたいいたい、息ができない、吐きそう、と、そういった単純な言葉が、行を替え列を替え、わたしの思考の中をブロック崩しの玉のように飛びまわった。泣くという余技も不可能だった。まるでわたしの身代わりのように、女の子たちが泣き叫んでいた。さよちゃんが死んじゃう、と。(津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』筑摩書房ちくま文庫〕/2009/p.115-117)

堀貝のエピソードを聞いた猪之木は次のように反応する。

 「そのガキは今おどこにおるんかな」イノギさんは気だるげに口を開きうつむいた。「ユニセフに怒られてもいいから、どうにかできんもんかな。原付で軽く轢くとか」
 「もうおとなになってるやろから原付ではやっつけられんかも」
 「ガキをガキのままやりたいな」イノギさんはゆっくりと顔をあげて、わたしの背中越しのなにかをぼんやりと眺めた。わたしを見ているようで見ていないような眼差しとも言えた。「そこにおれんかったことが、悔しいわ」(津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』筑摩書房ちくま文庫〕/2009/p.115-119)

「そこにおれんかったことが、悔しいわ」。この猪之木の感慨は、堀貝が児童福祉を志したきっかけと重なる。

 わたしが児童福祉に関わろうと思ったのは、勿論外部からの情報を加味して心を痛めたからなのだけど、その直接の引き金となった事象については、誰にも話してはいなかった。それはあまりにもつたなく、衝動的なものだったからだ。22歳にもなって、テレビの特番で見かけた行方不明の男の子を探すために児童福祉司の資格を取ったのだ、とはとても言えない。ある部分においては、わたしが自分の進路をまっとうする為の初期衝動であるということにおいては、正当な理由だとは思うけれど、それをうまく他の人に説明する自信はまだなかった。その男の子のことを考える時のわたしの心持ちは、明らかに標準の大人として不適切だと思われたし、どこか妄想じみてもいた。
 その当時4歳の男の子は、両親が目を離した数秒のうちに姿を消したのだという。父方の祖父母の実家の前、アブラナの咲いている土手で遊んでいる彼を残して、両親が祖父母を呼びにいっているあいだに。あらゆる川の底が浚われ、大規模な山狩りが行われ、全国のいたるところに捜索チラシが貼られたにも拘わらず、男の子は見つからなかった。それから十年の歳月が経ち、男の子の失踪は未解決事件の特集番組の中でとりあげられた。わたしはそれを18歳の春に見ていたのだ。進学のための引っ越しを控えた3月に。まったくなにげなしに、晩ごはんを食べながら。彼と思しき少年を見たことがあるという証言がいくつか紹介されていた。ある人は、彼は犯罪者の一家にさらわれて彼らを手伝っているそうだと言った。ある人は、彼は、東京のどこかの、子供に売春をさせるところにとらわれていると言った。「おじさん」なる人と同居する彼の両腕には、手首から肘まで包帯が巻かれていたとその証言をした人は言った。わたしは、胃の底に黴がびっしり生えたような気分になった。(津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』筑摩書房ちくま文庫〕/2009/p.125-127)

堀貝は一度だけ飲み会で一緒になった穂峰のことが忘れられない。穂峰は階下に暮らす少年がネグレクトされていると知って保護していた。

 穂峰君のことはとても印象に残っていた。なにしろ、その日彼は警察の取り調べから帰ってきたところだったのだ。下の階の子供がどうもネグレクトされているようだったので、自分の部屋にしばらく住まわせていたら、誘拐の疑いを掛けられてしょっぴかれたんだそうだ。なんとか事情を説明して事なきは得たけど、あの子が心配だ、と穂峰君は険しい顔で言っていた。その顔が、あまりにも見ていて息の詰まった苦しげな感じだったので、わたしは、人がいいってのはその人自身にはあんまりよくないことだよね、自分は地下鉄で席譲ったばあさんに、立ち方がだらしないって説教されたことがある、と場をほぐすためにくだらないことを言ってしまった。すると穂峰君は表情を一変させて、怒り出すどころか声をたてて笑った。全然関係ない話じゃないか。そう穂峰君は言いながらも、わたしがしょうもない話をした意図をわかってくれたようだった。
 まあでもねえ、おれはそういう損しちゃう人が好きだ、なんておいうか、なんに対してってわけじゃないけど、うまい人よりへたな人のほうがおもしろいよ、と穂峰君は手酌で焼酎を注ぎ足しながら言った。それこそ損だよ、へたうってばかりに自分だからこそ、うまい側にあやからないと、と反論すると、どうせ心にもないんだろ、そんな考え、と穂峰君はにっと笑った。わたしは、言い当てられてしまった感じがして、言葉を返すことができなかった。それ以来わたしは、1日にだいた15分ほどをさいて、穂峰君のことを考えるようになった。会いたいなあ、会いたいなあと思いながらも、引き合わせてくれた感じのそのことを切り出せず、明日会わせてくれと言おうと決めた次の日に、亡くなったことを知った。言葉もなかった。(津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』筑摩書房ちくま文庫〕/2009/p.19-21)

堀貝は吉崎に誘われて形見分けに向かった吉崎の家で、ベランダから階下の部屋に侵入を試みる。

 なんでや、なんでそこまでする。その家の子がなにか不幸な状況にあってホミネがかくまってたんはわかる。でもホリガイさんには関係ないことやろう。
 吉崎君の言い分はまったく正しいように思えた。自分はへんなことをしているという自覚もあった。けれどもう、そこから上にのぼることはできなかったのだ。物理的にも。後戻りをするということは。(津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』筑摩書房ちくま文庫〕/2009/p.216)

堀貝には「テレビの特番で見かけた行方不明の男の子」を救いたいとの意志がある。そして、ネグレクトされている少年を保護していた穂峰を自殺で喪うという経験をしていた。堀貝は、穂峰が救おうとしていた少年を救うことが自分の使命と咄嗟に判断する。
ところで、持って生まれた魂のせいで「並外れて不器用」な堀貝は、「自分に会いたいと思う人などこの世にいないだろうと思いながら生きて」いる。堀貝の感懐は倒置、あるいは後置の捕捉説明に溢れ、読みづらい。だがその読みづらさこそ、孤独を拗らせた堀貝を表現するのにふさわしい。
見ず知らずの少年を救うことは、孤独な堀貝が世界と繋がることである。堀貝は実は自らを救っているのである。

文学とは、目の前で困っている人に救いの手を差し伸べること。堀貝は文学そのものだ。

猪之木は島(island)で暮らす。すなわち猪之木は島である。島は孤独(isolation)である。ならば孤独な堀貝もまた島である。島は海で囲われて隔絶しているが、海を介して常に繋がっている。堀貝は船に乗り、猪之木の島を目指す。2つの孤独な魂が繋がる可能性が示されている。