展覧会『都美セレクション グループ展 2024「回遊する風景」』を鑑賞しての備忘録
東京都美術館ギャラリーCにて、2024年6月10日~30日。
東京都美術館が毎年実施するグループ展公募企画。2024年度に採用された3つの企画のうち『回遊する風景』は、いずれも海外に滞在経験のある作家5人の風景をテーマとした作品を取り上げ、「回遊魚が大海を巡ったのちに故郷の河川に戻るように、作者の記憶にある風景がそれぞれの心の真ん中を通過し、新たな風景として見る人の胸に届くこと」を企図したもの。和田みつひと(ドイツに留学経験あり)が「わたしの心は鏡ではないので」シリーズなど山林の景観を捉えた写真(スライド映像を含め5件)を、バックランド美紀(イギリスに留学経験あり。スイス在住)が雪景や紅葉を捉えた写真と生け花の写真(計12点)を、吉田さとし(幼少期にデンマーク滞在)が幼少期に描いた絵を元にしたアクリル絵具や刺繍による絵画など(焼き物と絵葉書で構成される作品も含め9件)を、橋本トモコ(アーティストインレジデンスでスイスに滞在)が山谷の景観を捉えた油彩画「隙間の光」シリーズなど絵画5件を、向井三郎(オランダに留学)が縦長の画面に木炭で描いた海の景観《明るい海》と《鳥》とを、それぞれ出展している。
「作品の中にあるのは、『いつ』『どこから』『何を思って』その景色を見たのかという作者の視線」と主張するが、作品に作者の視線が表われるのは当然であり、本展出展作家の作品に限られるものではない。また、「東洋と西洋、過去と現在、幻想と実存、意識と無意識といった相反する視点から対象を捉えようと試みてい」ることは作品からは判然としない。その点で企画意図や都美セレクションが目指す「新しい発想」を汲むことは叶わなかった。もっとも、特異な展示空間の性質は展示に活かされていた。
地下2階にあるギャラリーCは、天井高2.4メートルの展示室と、地下3階(ギャラリーA)と吹き抜けとなっている天井高5.8メートルの廻廊状の展示空間とで構成される。前者では、和田みつひととバックランド美紀の写真とが照明を可能な限り落として展示されている。和田みつひとのスライド映写の都合であろうが、感光という写真自体の性質や、被写体の深山幽谷の孤絶感、さらには生け花の飾られる茶室など屋内(閉鎖)空間の密閉感を結果的に引き寄せることになった。一転して開放的な後者の空間では、吉田さとし、橋本トモコ、向井三郎の絵画が展示されている。吉田さとしは幼少期に描いた、ギザギザした尖塔の連なり、書き散らされた数字、擬人化した建物などの奔放なイメージを溢れ出させ、橋本トモコは自作から飛び出すように葉の形をした小さな画面《隙間の光:葉風》を壁面に散らし、なおかつ柑橘を光の球として空に浮かぶ月と等価に扱って、向井三郎は高さが3.7メートルある《明るい海》(369mm×158mm)で水平に繰り返す波を縦に連ねて空(雲)へと繋いで見せた。
展示リストの掉尾を飾る向井三郎の《鳥》は、若山牧水の白鳥の向こうを張ってか、小さく点じ入れられた黒い鳥は空と海に溶けて渾然一体となる。《鳥》はL字状の展示空間の一方の端にある。他方、本展のキービジュアルでもある、曇る空と雪に覆われた平原とが区別がつかなくなる雪景を捉えた、バックランド美紀の《Quiet after the snowfall》がL字のもう一方の端にある。天地が一体となる作品の結び付きが、鑑賞者の脳裡に明暗2つの展示空間を回遊するイメージを生み出すことになった。まさに風景が回遊するのである。
バックランド美紀の雪に覆われたアルプスの高峰を捉えた《The day I saw sound》は
崇高と評するに相応しい景観。映画『帰れない山』(2022)を再見(あるいはパオロ・コニェッティの同題の原作小説を再読)したくなった。苔に覆われた樹木が立ち並ぶ中、黄に色付いた葉が姿を見せる《空気が歌う場所》は、和田みつひとの森林を捉えた写真や、橋本トモコの絵画《川を歩く:ビルスリバー》と響き合う。曇天と雪原とが互いを鏡像のように映る《Quiet after the snowfall》の灰色の画面同様、グレーを背景とした(花器の)花々は光沢のある天板にその姿を映り込ませている生け花のシリーズも素晴らしい。乙女椿(?)(《椿》)やラナンキュラス(《ラナンキュラス》)のような派手な花と対照的に、ドクダミの白い花がナットのような形の小さな器に添えられて見違えたの(《ドクダミ》)がとりわけ印象的である。
吉田さとしは幼少期の絵を、アクリル絵具や糸でキャンヴァスに再現している。赤や緑の糸で縫われた尖塔の並び(《その街の地図(4)》・《その街の地図(4)》)は、草花や針葉樹林のイメージを引き寄せる。あるいは赤や緑で数字を描いた《数字の練習(1)》・《数字の練習(2)》は蔓延る草花や苔を連想させるとともに、風景のデジタル化(数値化)のメタファーともなっている。デジタル化された風景ならいつでも再生可能であり、風景は無限に回帰しうる。
向井三郎の《明るい海》は遠目には木目となり、バーコードとなる。木々に変じ、あるいはデジタル化する。