展覧会『皆藤将 芸術作品展「THE CENTER OF THE EARTH」』を鑑賞しての備忘録
HIGURE 17-15 casにて、2024年6月22日~30日。
都営地下鉄三田線の三田(みた)駅に人知を超えた途方もない何かを感じたという作家が、未だ見たことのない世界を見たいと、「三田(みた)」という言葉や三田駅の案内表示(駅名標や路線図)をモティーフに制作した作品を祭壇として提示する企画。
会場の入口近くに設置されている《三田トリスケル》は、上に角を付け円状の板に三田についてのポエム「みたでみたをみた。みたをみたけどみたはみたでみたみたいに…」を渦巻状に記したものを3枚併せて立たせたもの。以下、会場で配布されているハンドアウト記載の「作家本人による非公式作品説明」を参考に読み解いてみよう。
作家はもともと都営地下鉄浅草線・同三田線三田駅の駅名標に魅力を感じていたという。2018年にエジプトでピラミッドなどを見た後、ピラミッド同様のパワー・スポットとして都営地下鉄三田線三田駅の構内をカメラに捉えた(写真「THE CENTER OF THE WORLD」シリーズ)。「なんていうか、パワーを感じるというか、神様が宿ってるというか。そう、人智を超えた途方もないものを感じ」たのだそうだ。三田駅の駅名標や地下鉄のトンネルなどに加え、動物園や植物園で撮影した動植物の写真が混ぜられているのは、「スピリチュアリティの醸成が意図されている」ためだ。
作家がとらわれ、会場にも繰り返し現われる三田駅の駅名標をまじまじと見る。すると何ということであろう、駅名標はこちらの行動を予め把握し、「みた」(見た)と突き付けてくるのである。この衝撃が、作家に啓示を与えたのではなかろうか。そして、作家は駅名標の"I"に着目したであろう。何故"Mita"の"M"ではないのか。それは東京メトロ丸ノ内線により"M"や"m"を奪われた結果である。作家はそこに"mind"を剥奪された三田線の姿を見ただろう。そして、自ら"M"すなわちmedium(霊媒)になることを決したのである。「ぼくの心をあなたは奪い去った/俺は空洞」とかつてゆらゆら帝国が歌っていたことまで思い出したかもしれない。いずれにせよ作家は三田駅の駅ナンバリング"I-04"に「私(I)(は)御師(04)」とのメッセージを読み取る意外に選択肢は無かったに違いない。その結果、冒頭の展示作品《三田トリスケル》記載の三田のポエムまで詠むに至ったのだ。《三田トリスケル》が「みっつ」の板で構成されているのは、「みた(満た)ない」状態から「みつ(満つ)」状態への遷移が念じられてのことだろう(「満つ」は四段(五段)活用より下二段活用の方が相応しいが、未然形が「みて」になってしまう)。
《三田線三田駅乗り換え案内板の銅剣による御柱》は、かつて都営三田線三田駅にあった路線図とホームの案内板を元にした作品。右「上」の3番ホームが目黒方面(南行)の乗り場、左「下」の4番ホームが西高島平方面(北行)の乗り場であることを示す矢印の下に、(地図においては北側が上というルールに従ったものだろう)上に西高島平(北)、下に目黒(南)を配した直線上の路線図が設置されていたという。そのため路線図に影響されると西高島平方面に向かおうとして目黒行きの3番ホームに上り、目黒行きに乗ろうとして西高島平行きの4番ホームに降ってしまうという苦杯を嘗めさせられることになる(現在は路線図の上下を反転させ、上が目黒、下が西高島平の表記に改められた)。作家は三田駅での意図せぬ場所に出てしまうという経験に、時空の歪みのアナロジーを見出した。《三田線三田駅乗り換え案内板の銅剣による御柱》は、新旧の案内板(及びそれぞれの鏡像)を剣状の銅板に印刷し、4方に建てて結界としたもので、その内に入れば、「どこか未知の方面に行けるかもしれない」。但し、本展では進入不可である。帰って来ることが叶わなくなるからだ。なお、天井からは木枠の正四角錐《ピラミッド》を吊して「結界に強度を持たせ」てある。さらにタブレットを設置してピラミッドの映像と三田についてのポエムの音声が流されている(《MITANGO》)。《ピラミッド》は、国技館の吊り屋根のアナロジーでもある。相撲をよく「見た」いという欲求により柱を切断・撤去してしまった、神事と「カイゼン」――資本主義の論理――との強制結婚である。そこには日本の姿が映し出されていると言えるだろう。
会場の一番奥に鎮座するのは本尊である《三田三重スパイラル》である。三田についてのポエムを三重螺旋により可視化したものだ。三重であるのは、《三田トリスケル》が3つ(みっつ)の板で構成されているのと同様、「みた(満た)ない」から「みつ(満つ)」への転換を祈念してのことと推察される。やはり作家はそこに芸術の核心を見たのではなかろうか。"THE CENTER OF THE EARTH"、すなわち世界や宇宙の中心の探究が作家の使命であるが、中心とは常に空洞である。空洞であるからこそ「みつ(満つ)」ために「みた(満た)」そうとする営為が生まれる。それが本源的なのだ(河合隼雄が『古事記』(日本の神話!)を分析して指摘した日本の中空構造にも通じよう)。みつ(満つ)の未然形「みた(満た)」は端的に空洞であり、その名は体である地下鉄駅(=地下洞)と完全に一致しているのであった。
余談だが、テレビドラマ『アンメット ある脳外科医の日記』(2024)において、脳外科医・三瓶友治(若葉竜也)が同じく脳外科医・川内ミヤビ(杉咲花)との間でやり取りする医学(の理想)についての議論も「満たされない」(=アンメット)がテーマであった。三瓶が医師が患者に医療を提供するという主客関係に囚われているのに対し、自ら病(記憶障害)を得た川内はともに闇の中(病を治療する状況、病院)にある医師を初めとする医療スタッフ・患者やその家族が一緒になって理想(光)を追うことを示唆する。