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芸術鑑賞の備忘録

映画『幻滅』

映画『幻滅』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のフランス映画。
149分。
監督は、グザビエ・ジャノリ(Xavier Giannoli)。
原作は、オノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac)の小説『幻滅(Illusions perdues)』 。
脚本は、グザビエ・ジャノリ(Xavier Giannoli)とジャック・フィエスキ。
撮影は、クリストフ・ボーカルヌ(Christophe Beaucarne)。
美術は、リトン・デュピール=クレモン(Riton Dupire-Clément)。
衣装は、ピエール=ジャン・ラロック(Pierre-Jean Larroque)。
編集は、シリル・ナカシュ(Cyril Nakache)。
原題は、"Illusions perdues"。

 

ルイ18世統治下のフランス王国アングレーム。森に囲まれた草原でリュシアン・ドゥ・ルバンプレ(Benjamin Voisin)が横たわって手帖に詩を書き付けている。場所を変え、持参した椅子に腰掛けて、再び手帖に鉛筆を走らせる。
ルシアンにとって、全ての始まりはインク、紙、そして美への憧れだった。孤児で貧しかったため、リュシアンは手に職を付ける必要があった。妹のイヴがアングレームの印刷業者に嫁いだのを機に小さな印刷工房で働くことになったが、文学の世界で身を立てることを考えていた。
印刷所。活字を拾って組み、版を作る。インクをローラーで広げる。紙を選び、印刷機にセットして刷る。リュシアンの詩集『ひなぎく』。紙を裁断し、製本して、リボンを掛けて、紙に包む。表に出て、盥に張った水で手に着いたインクを洗い、身体の汗を流す。
パリでは今日でもリュシアンの身に何が起きて、どんな力に彼が攫われてしまったのか人々が知りたがっている。
イヴ(Maryne Bertieaux)が兄に白いシャツを用意する。遅刻だ。大丈夫よ。連中に食われたりなんてしないわ。シャツを着ると、首にスカーフを巻き、手櫛で髪を整える。手帖を鞄にしまい、森を抜ける道を歩く。
彼の歩く長い道は新しい世界、ほぼ別世界へと繋がっていた。ルイーズ・ドゥ・バルジュトンの邸宅に。
ルイーズ・ドゥ・バルジュトン(Cécile de France)は鏡台の前で手紙を読んでいた。侍女が皆様がお揃いですと告げに来る。邸宅同様に古びた夫に耐え、ルイーズは芸術の庇護者を自任していた。ある日曜日、ミサの後で司教が若い詩人について話した。印刷工房で働く職人で、リュシアン・ドゥ・ルバンプレを通り名としていた。
リュシアンが邸宅に入ると、音楽家による演奏が行われる中、画家の説明に耳を傾ける者、食事を取りながら話に花を咲かせる者など、大勢の来場者で賑わっていた。リュシアンは酒を断り、会場を歩いていると、執事に声を掛けられた。男爵夫人が食堂でリュシアンを待っていた。ルイーズは侍女達を下がらせる。リュシアンは詩集を献呈する。ルイーズが詩集を開くと、「彼女に捧ぐ」との文字が飛び込んできた。ありがとう、リュシアン。光栄です。あなたが来ないのではと気懸かりでした。男爵も列席されますか? 何を言うの? 狩猟の書物を読んだり犬と遊んだりするだけです。あなたはとても美しい。
皆さん、ご臨席賜り恐縮です。ルイーズが来場者を前に挨拶する。近くにはリュシアンが控えている。私たちが後ろ盾になった詩人が認められ有名になり、彼のことなら知っていたわ、作品に大いに感動したものよと将来きっと口にすることになります。先月、私たちの駆け出しの詩人が聖書を思わせる素晴らしい詩を読みました。地元の文芸誌は次のように彼を賞賛しました。若い身空で眩いばかりの才能が現れたことは我々にとっての希望だ、人生の春を迎えたばかりのたった20歳の芸術家の才能が迸った、と。彼にとって詩は神聖なものであり、個人的な宗教にも等しいものです。神が光を当てた精神を崇めることしか叶いません。ルイーズがリュシアンを招き、肩に掛けていた鞄を預かる。リュシアンの背後の炉棚の壁には鏡が掛けられ、その上に英語で「美は永遠」との刺繍した幕が飾られている。手帖を手に、リュシアンが詩を朗読する。彼女に。愛、祈り、歌、私に授けられたもの。死すべき存在が冀求する、地上のあらゆる良きもののうち、この別れの時に惜しむものなど何もない。舞い上がる、燃える溜息を別にすれば、竪琴のもたらす恍惚、言葉に依らない愛、心の裡で決して失われることはない。耳を傾ける美しい人の足下で、竪琴を奏でる、甘美の最中にあって、様々な音を立てる、跳ね返る力を借りて、至福にある胸を震わせる、彼女の目から、歓喜の涙を流させる、まるで風神の溜息が花々に置いた朝露を弾くように。退屈そうにした聴衆からはポツポツと拍手が起きる程度で、ほとんど反応は無かった。
別室で頭を抱えていたリュシアンのもとにルイーズがやって来る。申し訳ありません。偏狭な人たちは何も感じはしないのです。素晴らしかった。見つめ合い、手を取り合う二人。そこにシャトレ男爵(André Marcon)が顔を出す。コンタード侯爵が御礼を述べたいとお待ちです。ルイーズが立ち去ると男爵がリュシアンに尋ねる。彼らが理解できるとでも思っているのかね。あなたはどうお考えです? 考えるものではなく、感じるものではないかね。

 

復古王政下のフランス。孤児のリュシアン・ドゥ・ルバンプレ(Benjamin Voisin)は妹のイヴ(Maryne Bertieaux)がアングレームの印刷業者に嫁いだことを機縁に印刷工となったが、文芸で身を立てることを夢見ていた。アングレーム社交界の中心であるルイーズ・ドゥ・バルジュトン(Cécile de France)の知遇を得て、彼女のサロンで詩を朗読する機会を与えられるが、芳しい評価は得られなかった。ルイーズがリュシアンと深い仲にあることを知ったバルジュトン(Jean-Paul Muel)は激怒し、妻との関係を断たなければ印刷工房を立ち退かせるとリュシアンを脅す。ルイーズに横恋慕するシャトレ男爵(André Marcon)はほとぼりが冷めるまでパリに滞在することを彼女に提案する。パリでルイーズを迎え入れた男爵は、ルイーズがリュシアンを伴ったことを苦々しく思い、スキャンダル回避を口実にリュシアンを下宿に追い払う。リュシアンはルイーズとシャトレ男爵に付き添ってオペラ座に足を踏み入れ、ルイーズの従姉デスパール侯爵夫人(Jeanne Balibar)に紹介される。パリ社交界の大立者デスパール侯爵夫人はリュシアンの人生に悲劇をもたらすことになる。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

リュシアンは愛人である庇護者であるルイーズとともにパリに出て詩集の出版を目論む。ところがルイーズに横恋慕するシャトレ男爵がリュシアンが平民であることを吹聴し、デスパール侯爵夫人はオペラ座で貴賓席にリュシアンを同席させたことで恥を掻かされる。ルイーズは醜聞によって従姉の怒りを買うのみならず社交界から追放の憂き目に遭うことを恐れ、リュシアンとの関係を断つ。リュシアンは、場末の食堂で食いつないでいたところ、新聞記者のエティエンヌ・ロスト(Vincent Lacoste)と知り合い、すぐに金になる新聞の世界に身を投じることにする。
新聞の書評や劇評は話題作りであり、論争が起きればそれだけ書籍が売れ、観客が集まる。版元や興行主は行為的な評価を得ようと記者を買収し、記者はより高い値で記事を売ろうと交渉に励む。新聞の収入源は広告であり、より高い広告料を得ようと、新聞社は販売部数の拡大に余念がない。そして、新聞の影響力の増大は、新聞のスポンサーの権力を高めることに繋がる。企業が政治を動かす時代が到来する。
劇場にはサクラの元締であるサンガリ(Jean-François Stévenin)が巣くっていて、興行主は彼を味方に付けようと買収工作を仕掛ける。
リュシアンはエティエンヌの手解きを受け、新聞記者として頭角を現わす。彼らの活躍する新聞は自由主義に与しており、政府や王党派=貴族を攻撃していた。ナタン・ダナスタジオ(Xavier Dolan)は王党派であり、エティエンヌにとってはそれだけで十分な攻撃材料となる。
しかし、リュシアンは文学者としてナタンの作品に敬意を払う純朴さがある。のみならず、貴族に連なる母方の血筋ルバンプレの公認を得たいという希望がある。リュシアンが権謀術数を駆使する手練に立ち向かうにはナイーヴに過ぎる。
幼くして母親に売られた過去を持つ女優コラリー(Salomé Dewaels)がリュシアンに捧げる愛はその純粋さによって一際輝いて見える。二人の愛は徒花ではない。
デスパール侯爵夫人やサンガリを始めとする老獪な人物たちの存在が利いている。