展覧会『ヴァジコ・チャッキアーニ「Big and Little hands」』を鑑賞しての備忘録
SCAI THE BATHHOUSEにて、2024年11月6日~12月21日。
ギャラクシオン・タビゼ(გალაკტიონ ტაბიძე)の詩に着想したという映像作品《Big and Little hands》を中心に、立体作品を取り合わせて構成される、ヴァジコ・チャッキアーニ(ვაჟიკო ჩაჩხიანი)の個展。
《Big and Little hands》は、未明の通りに佇む犬の姿で始まる。次第に人や車が行き交うようになり、市場に商人たちが荷を運び込み、商品を並べる。日が昇る頃には商いもあらかた終わり、スイカを運び込んだ老人は眠そうに腰を降ろしている。老人がヴァンのハンドルを握り走り慣れた道を抜けていると瞼が重くなる。彼が衝撃で目を覚ますと、轢かれかけた老女を救った少年が倒れていた。山間部の村。壁が崩れ落ちた住居の周囲には、打ち棄てられた家具。森の中に佇む塔のような家にはカーテンを閉め切った部屋に老人が暮らす。山を抜ける線路に機関車が1両だけ客車を牽いて来る。森の斜面で待つ少女のもとに、花を摘んだ駆けて行く。5人の少女が線路の上を仲良く歩いて行く。廃駅では男たちが一服する。森の中の線路脇に立つ3人の女性がコーラスする。彼女たちからはコードの延び、蜿々と苔が埋める斜面を這っていく。大きな洞に設置されたマイクへとコードは繋がっていた。
市場とヴァンの前半では、ラピスラズリのように鮮やかな青が所々に配されて、物語に流れを与えている。とりわけ、青い笛を吹く青い少女が象徴的である。彼女は災厄の訪れを予告する存在だが、その声を聞き分けることができるのは少年のみだ。少年は自らの身を呈する。山中の廃村を舞台にした後半では、線路とコードとが物語を文字通り繋いでいる。鉄道は収奪の象徴であり、金目のものは全て奪い去ってしまう。だが失われたのは資本主義(≒市場経済)の物差しで計れるものばかりだ。上弦の月は半分が奪い去られ、失われたわけではない。その姿が見えていないだけだ。市場にスイカを運ぶ老人のヴァンの窓は汚れて曇っているのは、経済に目を晦まされたことを象徴する。闇は無ではない。漆黒の世界に拡がる豊かさに眼を向けるべきなのだ。