可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ありふれた教室』

映画『ありふれた教室』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のドイツ映画。
99分。
監督は、イルケル・チャタク(İlker Çatak)。
脚本は、ヨハネス・ドゥンカー(Johannes Duncker)とイルケル・チャタク(İlker Çatak)。
撮影は、ユーディット・カウフマン(Judith Kaufmann)。
美術は、ザジー・ネッパー(Zazie Knepper)。
衣装は、クリスチャン・ロールス(Christian Röhrs)。
編集は、ゲーザー・イェーガー(Gesa Jäger)。
音楽は、マービン・ミラー(Marvin Miller)。
原題は、"Das Lehrerzimmer"。

 

ギムナジウムの職員室。カルラ・ノヴァク(Leonie Benesch)が電話している。ええ、分かりました。先週もそうでした。少々お待ちください。メモ用紙を探していると、ミロシュ・ドゥデク(Rafael Stachowiak)が先に行っているとジェスチャーする。ノヴァクは手に番号を書き留める。連絡します。電話を切るとショルダーバッグを抱え職員室を出る。階段を下り、廊下を通り、会議室に入る。
すいません。トーマス・リーベンヴェルダ(Michael Klammer)とドゥデクが、ノヴァクの担当する7年生のクラスの学級委員ジェニー(Antonia Luise Krämer)とルーカス(Oskar Zickur)に盗難の件で聴き取りを行っていた。問題ないよ。リーベンヴェルダ先生が事情を説明したところだ。それで、何か知ってるの? 何も知りません。だとしても手掛かりが欲しい。最近何か気付いたことは? 目立つ行動をとる生徒は? 戸惑うのは分かる。だが被害者の立場に立って考えなさい。我々は協力して事態を収拾する必要がある。学級委員の務めだ。何を言えば? 何も知りません。ルーカス、思い当たる生徒はいないか? 新しいケータイとか、ブランドの服とかを手に入れたといった。言わなくてもいいのよ。その通り、言わなくても構わない。リーベンヴェルダがルーカスの前に行き、机に名簿を開く。ペンで名前を指していくから、心当たりがあれば頷いてくれればいい。ノヴァクは止めるようリーベンヴェルダに目配せする。もちろん、強制じゃない。リーベンヴェルダはペンを動かし、ルーカスが頷くのを確認した。感謝するよ、ルーカス。ここでのやり取りは内緒だ。
教室。ノヴァクが教壇に立つ。みんな。生徒たちが立ち上がり、ノヴァクの合図で一斉に手や胸を叩きながらグーテンタークをリズミカルに口に出す。教科書を見せて。ファイルとノートも。生徒たちが教科書やノートを掲げて見せる。宿題の出して、チェックします。その間黒板の問題を解いて、静かにね。ノヴァクが宿題を見て廻り、出来の良さを評価したり、間違いやヒントを指摘する。黒板の問題を解きたい人は? 0.9の循環小数と1とは同じ数ですか? ヒジャブを巻いた眼鏡の少女ハティジェ(Elsa Krieger)が手を挙げ、ノヴァクが発言させる。実際は同じ数ではありません。実際は? 黒板で理由を説明して。ノヴァクがハティジェにチョークを渡す。1から0.9の循環小数を引くと、小数点以下にゼロが並んだ後、1が余ります。0.9の循環小数と1との間には数字があると思う? みんな、これは証明それとも命題? 意見が分かれる生徒たち。オスカー(Leonard Stettnisch)が手を挙げ、ノヴァクが黒板に招く。0.1の循環小数は9分の1に等しい。9分の1に9を掛けると1になる。ゆえに0.9の循環小数は1に等しい。みんな、分かる? 分からない。トム(Vincent Stachowiak)は2つの数字の間には差があると言う。他に理解できない人は? 多くの生徒が挙手する。ちょっと難度が高い問題でした。でも、みんなが理解しなければならない一番大切なことは、証明するためには論理的に導く必要があるということ。1つずつね。そこへノックしてベッティーナ・ブーム校長(Anne-Kathrin Gummich)がリーベンヴェルダとドゥデクとともに入って来る。引き継ぎますね。校長が教壇に立つ。みなさん、ちょっと授業を中断します。ドゥデクが女子を立たせて教室から出させる。外で待ってなさい。すぐに呼ぶから遠くに行かないように。ドアを閉めて。校長が教室に残った男子生徒に語りかける。みなさんの財布を調べたいと思います。財布をテーブルの上に置いて教室の前に来て下さい。強制? もちろん任意です。でも何も隠し事が無いなら心配することはないですよね。何なんですか? ノヴァクが校長に小声で尋ねる。あなたは調査に同席したんですよね? 男子生徒たちが財布を置いて黒板の前に集まる。リーベンヴェルダとドゥデクが財布の中身を確認していく。この席の生徒は? オスカーです。オスカー、財布は? 持ってない。見せる必要は無いわ、オスカー。ノヴァクが口を挟む。持ってないって言ったろ。これは誰の財布だ? 生徒たちは答えない。ノヴァクに尋ねてアリ(Can Rodenbostel)の机と確認すると、アリを呼び出す。
校長室。アリの母親(Uygar Tamer)が従兄弟にプレゼントを買うためにお金を渡したと説明した。何を買うために? 校長が尋ねる。ヴィデオゲームだと思います。アリもヴィデオゲームだと繰り返す。事情が明らかになりましたから、一件落着ですね。ノヴァクの言葉にアリの母親が疑問を呈する。なぜ私の息子のアリが疑われたのですか? 沢山のお金をお持ちだったからですよ。子供にお金を渡すにはどうすればいいんです? お金を持ち歩くことは法に触れることですか? 確かにそうです。我が校ではゼロ・トレランス方式を採用しています。些細な事柄でも見逃しません。他の生徒がどう思います? 子供たちのことはよくご存じでは? 御懸念には及びませんよ。適正に対処します。適正に対処? そうです。疑惑が杞憂に済んで良かったと思います。御足労頂きありがとうございます。黙っていた父親(Özgür Karadeniz)が母親とトルコ語でやり取りする。ドイツ語でお願いできますか? ドイツ語で? 分かりました。私の息子は盗みなどしません。決して。仮に盗みを働いたら脚の骨を折りますよ。両親はアリを伴い、校長室を出て行った。

 

ある教員不足のギムナジウムポーランド移民二世のカルラ・ノヴァク(Leonie Benesch)が着任した。担当教科は数学と体育で、7年生のクラスを受け持つ。できない生徒には基本的なルールを教え、できる生徒には少し背伸びできる問題を与えるなど、生徒の発想を引き出すために工夫を凝らしている。職員室で盗難事件が相次ぎ、清掃業者の仕業かもしれないとか探偵を雇う必要があるとか話題になっていた。ベッティーナ・ブーム校長(Anne-Kathrin Gummich)は、トーマス・リーベンヴェルダ(Michael Klammer)とミロシュ・ドゥデク(Rafael Stachowiak)に調査を任せた。2人はノヴァクのクラスの学級委員を呼び出して羽振りのいい生徒を教えるよう迫り、その上で生徒たちに財布を出させ、アリ(Can Rodenbostel)が大金を所持しているのを確認する。呼び出しを受けたアリの母親(Uygar Tamer)はプレゼントを買うよう息子にお金を渡したことに問題があるのかと憤慨し、父親(Özgür Karadeniz)も息子は盗みなどしないし、させもしないと断言する。ノヴァクは職員室でコピーをとっていたとき、女性教師(Henriette Sievers)が珈琲の貯金箱から小銭を持ち去るのを目撃した。ノヴァクは盗難事件が生徒ではなく教師の犯行ではないかと、自らの席の上着に財布を入れると、ラップトップのカメラを作動させてから席を外す。ノヴァクが自席に戻ると、財布の紙幣が抜き取られていた。録画には黄色い星の模様が散らされた白いブラウスが映っていて、そのブラウスは事務員のフリーデリケ・クーン(Eva Löbau)が着用しているものに間違いない。クーンは、ノヴァクのクラスで数学の著しい才能を示すオスカー(Leonard Stettnisch)の母親だった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

あるギムナジウムにやって来た数学・体育担当のカルラ・ノヴァクは、生徒を第一に考え、その意欲を引き出そうと情熱を燃やしている。数学に顕著な才能を示すオスカーにはとりわけ期待していた。だが盗難事件が相次ぐ校内の雰囲気は荒れている。校長やベテラン教員は生徒から犯人を捜し出そうとしていた。ノヴァクのクラスの裕福なアリが大金を所持していることから疑われ、両親はトルコ系であることから疑われたのではないかと学校に疑念を抱く。ノヴァクは珈琲の代金を盗む教師を目撃したことから教員に窃盗犯がいるのではないかと考え、職員室から離席する際、自らのラップトップのカメラを作動させた。その結果、事務のクーンの着衣が映像に残り、財布からは紙幣は抜き取られているのが確認できた。クーンは犯行を認めないが校長は動画を動かぬ証拠と見てクーンを自宅待機とする。長年勤めていた母親が学校に働きに行けなくなったことに息子のオスカーは動揺するが、ノヴァクは事情が明らかになるまで説明できず、そのことで両者の信頼関係に亀裂が入った。
ノヴァクはクーンにアカウントを申請しても多忙を理由に断れ続けていた。コピー機の度重なる故障にも事務は対応できない。また、ノヴァクは度々代講の依頼を受けていた。ノヴァクが無断の動画撮影の責任を取って辞職することを申し出た際、教員不足を理由に止められる。校内が荒れているのは何より多忙な教員・職員たちが抱えるストレスにある。生徒たちが荒れてしまうのは、教職員の雰囲気が悪いからである。校長はゼロ・トレランス方式を採用していると保護者に告げながら、適用されるのは生徒・保護者に対してであって、教職員に対してではない。
生徒を第一に考えるノヴァクは、ダブル・スタンダードの校長やベテラン教員リーベンヴェルダと反りが合わない。他方、生徒・保護者からは学校側の人間として糾弾され、次第に追い詰められていく。自らの正しいと信じた行動に確信が持てなくなっていく。
冒頭、数学の授業で0.9の循環小数と1との差異が取り上げられる。オスカーは0.1の循環小数=1/9であり、右辺(1/9)を9倍すると1となることを示した上で、0.1の循環小数を9倍した0.9の循環小数は同じく1となると鮮やかに示す。ノヴァクは、オスカーの解答が証明か命題かと問いかけた上で、証明にとって大切なことは疑いようにない事実を1つ1つ積み重ねる他はないのだと説く。ノヴァクの思想が端的に示されるのである。
アリが疑われた件だけでなく、ノヴァクがポーランド系であること(ドゥデクはポーランド語で会話したがるがノヴァクは嫌がる)、映像にあった白いブラウスの黄色い星など、差別や排除の問題が通奏低音となっている。
冒頭、授業の始まるシーンに音楽を重ね、ノヴァクと生徒たちが恰もオーケストラの指揮者と楽団員のように描かれる。その統制の取れた教室が見るも無惨に崩壊していく様を、緊張感を持続させながら見せる。その手練は見事という他ない。