可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『アンダー・ユア・ベッド』(2023)

映画『アンダー・ユア・ベッド』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の韓国映画
99分。
監督は、SABU
原作は、大石圭の小説『アンダー・ユア・ベッド』。
脚本は、チョン・ヨン(정영)。
撮影は、ソン・サンジェ(선상재)。
照明は、ソ・ホヨン(서호영)。
美術は、キム・ジョンウ(김종우)。
編集は、イム・シンミ(임신미)。
音楽は、イ・サンフン(이상훈)。
原題は、"언더 유어 베드"。

 

ジフン(이지훈)が雪の残る海岸に佇み、海を眺めている。
多くを望んだ訳じゃない。もう生きている理由も無かった。
ジフンの脳裡に大学時代のイェウン(이윤우)が浮かぶ。友達との輪で談笑している姿。ステージでバレエを踊っている姿。
突堤に停まる1台の白い車。
高台に立つスタイリッシュな高級分譲住宅。洗煉されたスーツにコートを羽織り、磨き上げた靴を履いた精神科医のヒョンオ(신수항)が急な坂道を上り、自宅のインターホンを鳴らす。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10。10数えたところでイェウンが扉を開ける。お帰りなさい。ヒョンオは靴を脱ぐとイェウンにぶつかりながら室内に入る。イェウンは靴を揃えて後を追う。リヴィングに鞄を置き、コートとジャケットを脱ぎ捨てると、ネクタイを緩めながら階段を上がる。一旦リヴィングに戻り、カーテンを閉めると、キッチンのイェウンに10分後に浴室と言い捨てて、寝室に上がる。ベッドの坐った跡の凹みに気付き、ならす。
料理を食卓に並べ終えたイェウンは浴室に向かう。浴槽の縁に坐ったヒョンオの体をイェウンが洗う。頭が悪いならただ言われたとおりにやればいい。つべこべ言われたら俺がどれだけ消耗するか分かるか? ヒョンオが患者について愚痴を言うと、イェウンの顎を摑み、指を口に突っ込む。ヒョンオは口で奉仕させるとイェウンの後ろから挿入して激しく突き上げる。ヒョンオはイェウンを寝室に連れて行き、もっと丁寧にやれと口を犯すと、ベッドにイェウンを押し倒して覆い被さり、髪を摑みながら激しく腰を使う。
夫婦のベッドの下にはジフンが潜んでいた。
食卓。ヒョンオがイェウンに酌をさせる。酒を呷ると、ヒョンオは尋ねる。今日はどこに行った? …高校の友達とデパートへ。これまで何度も約束を反故にしてたから断り切れなかったの。誰にも会うなと言ったよな。ごめんなさい。ヒョンオがイェウンに平手打ちを食らわす。何を謝ってる? ごめんなさい。ヒョンオがイェウンの首を片手で絞めながら腹にパンチを入れる。床に崩れ落ちたイェウンの顔を足で踏み付けると、足蹴にする。髪の毛を摑み床に頭を叩き付けると、続けざまに蹴りを食らわす。
イェウンの悲鳴が階上の寝室のベッドの下にいるジフンに漏れ伝わる。
去年の夏、雨の夜。エレベーターの残り香によってここに引き寄せられた。9年前に彼女が着けていた香水と同じ香りがしたのだ。
兄は20歳で死んだ。僕を迎えに来て事故に遭ったのだ。それ以降、両親は僕の名前を呼ばなくなった。いなくなったのは兄ではなく僕であるかのように。兄じゃなく僕が死んでいたらと僕自身も何度も思った。父親は酒に溺れて肝臓癌で亡くなった。母親は男を見付けて出て行った。僕は尽き果てることのない孤独に苛まれた。朽ち果てた家と同じように、僕は名前も存在意義も失ったのだ。時は流れ大学生になり、僕は彼女に偶然出遭った。学科は違ったけれど。彼女は僕が出遭った人の中で一番輝いていた。

 

ジフン(이지훈)は、自らがこの世に存在しないかのように感じている。自分を迎えに来た兄が交通事故で亡くなって以来、両親は自分の名前を口にしなくなり、ジフンは自責の念に苛まれた。父親は酒に溺れて肝臓癌で亡くなり、母親は別の男性と生活するために出て行ってしまった。
大学に入学したジフンは、輝くような美しさのイェウン(이윤우)を目にして一瞬で心を奪われた。談笑したりバレエを踊るイェウンの姿を遠くから密かに愛で、撮影した。フランス語の講義で教授から指された際、隣に坐っていたイェウンに助けてもらったことから、思い切ってイェウンを喫茶店に誘った。キム・ジフン、あなたの奢りね。兄の死後、ただの記号であった名前が、再び意味を持った。だが緊張のあまり喫茶店では一言も口をきけなかった。
9年後、ジフンはイェウンと同じ香水の香りにイェウンを思い出す。イェウンを見たい衝動に駆られたジフンは住まいを探し当てる。だが見かけたイェウンはかつての輝きを失っていた。ジフンはイェウンの家の近くに観賞魚店を開く。来店したイェウンはジフンを覚えていなかったが、ジフンはウェインに熱帯魚を飼わせることに成功する。ジフンは水槽を設置しにイェウンの家を訪れた際、ドアの暗証番号を記憶し、後日、家の隅々に監視カメラを設置した。ジフンが覗き見ると、イェウンが夫ヒョンオ(신수항)から激しい虐待を受けていることを知る。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

ジフンは兄の事故死とそれをきっかけとした家庭崩壊に自責の念を感じていた。とりわけ自分の名が両親から呼ばれなくなったことで、この世に存在しないかのような感覚に囚われていた。そんなジフンの名を呼んでくれたのが、大学時代の憧れの女性イェウンだった。一度だけ授業中に助け船を出してもらった御礼に喫茶店に誘ったのだ。だが一緒に出かけた喫茶店ではジフンは緊張のあまり一言も発しないままに終わった。ジフンはただイェウンを遠くから眺め、撮影することしかできなかった。
9年後、ジフンはイェウンがすっかり輝きを失っていることに衝撃を受け、その理由を探ることにする。観賞魚店の店主――イェウンはジフンを覚えていない――としてイェウンに接触し、侵入したイェウンの家にカメラを仕掛けたのだ。イェウンは夫のヒョンオから激しい暴力を受け、外出を制限されていた。
イェウンは実家の借金を工面してもらう代わり、ヒョンオの暴力の捌け口にされ、その事実が発覚しないように、実家へ帰ることや友人と会うことを厳しく禁じられていた。イェウンは両親のために自らを犠牲にせざるを得ず、ただ虐待に耐えていた。
ジフンは観賞魚店の地下に多数のモニターを設置してイェウンの生活を盗み見ている。地下の監視モニターと店頭に並ぶ水槽とがアナロジーとなっている。ヒョンオに軟禁された美しいイェウンは、水槽の観賞魚に等しい。そして、ジフンが海を眺めるのは、観賞魚が水槽から解き放たれた広い世界で泳ぐ様を想像しているからかもしれない。
イェウン≒鑑賞魚を眺めるキム・ジフンの似姿として、観賞魚店の常連客ユ・ジフン(김수오)がいる。ユ・ジフンが通りから水槽を眺める姿は、キム・ジフンがイェウンを眺めることとパラレルである。ともにこの世に存在しない(「匿名」の存在)。「ジフン」と名前が同じなのは偶然ではない。ユ・ジフンが関与するある事件は名前が引き金となる。
ヒョンオもまたジフンの似姿である。なぜなら、ヒョンオも兄を亡くしているからである。ヒョンオは兄の代わりを期待され、父親から英才教育の仮面を被った虐待を受けていた。ヒョンオのイェウンに対する暴力は、父親による虐待に根差している。暴力の連鎖は、映画『死刑にいたる病』(2022)などでも描かれるところである。だがヒョンオには自らが犠牲者であるとの視点しかない。それは精神科医である彼が患者との関係を支配・被支配の一方的な関係と捉えている――セクシーな患者に性慾を刺激されて我を失ったことに激しく動揺する――ことからも窺える。ジフンがやがてヒョンオに対してとることになる或る行為は、彼に複眼的思考をもたらすことのメタファーである。
ジフンはまた映画の鑑賞者とも等しい。なぜなら鑑賞者こそ匿名の窃視者であるからだ。延いては、日々インターネットなどメディアを介して情報を得ている存在はおよそ匿名の窃視者である。
精神科医ヒョンオと患者との関係は、情報の非対称性の典型である。情報社会においては情報が価値となる。ヒョンオとイェウンとの関係は、経済的な非対称性により生じており、ヒョンオと患者との関係とパラレルである。情報=価値を有する存在に対し、弱者は盲従する。違う価値尺度を導入すること。それが複眼的思考となうる。
名前(の意味)を失うことが存在の無化に等しい。情報社会では、誰もが数字のような符号やデータに置き換わってしまう。名前を呼ぶことは人格を尊重することとして輝きを増している。