展覧会『走泥社再考 前衛陶芸が生まれた時代』(前期)
菊池寛実記念 智美術館にて、2024年4月20日~6月23日。
1948年に八木一夫、叶哲夫、山田光、松井美介、鈴木治の5人で結成された陶芸家集団「走泥社」――「走泥」は、蚯蚓が泥の上を這ったような痕を指す「蚯蚓走泥文」に因む――は、同人が入れ替わりながら50年にわたり活動し、実用の器ではなく、「オブジェ陶」とも呼ばれる芸術作品としての陶芸を確立した。1973年までの25年間に走泥社の同人であった42名のうち作品が残る32名の作品を通じ、走泥社の活動を紹介する。前期では、第1章「前衛陶芸の始まり 走泥社結成とその周辺(1954年まで)」と第2章「オブジェ陶の誕生とその展開(1955~63年)」を扱う(後期は第3章「『現代国際陶芸展』以降の走泥社」)。
展示室に入る前の空間に、マックス・エルンスト(Max Ernst)の影響を受けた踊る女性を描いた八木一夫《白化粧鉄絵壺》[走005]、立方体状の三足器・鈴木治《作品》[走020]
足や突起を持つ5つのパーツから成る八木一夫《歩行》[走026]、巨大な丸刀で抉ったような幾何学形の黒いオブジェ陶・山田光《作品》[走033]、口を開けて歯を覗かせた埴輪のような森里忠男《作品》[走051]が並べられる。
【第1章:前衛陶芸の始まり 走泥社結成とその周辺(1954年まで)】
1946年9月、「青年作陶家集団」が、中島清を中心に、伊藤奎(慶)、大森淳一、叶哲夫、齋藤三郎、田中一郎、松井美介、山本茂兵衛、八木一夫の10人で発足した(11月頃に山田光が参加)。一貫制作による個人の創作物としての陶芸作品を目指し団体展を開催したが、意見の相違により2年足らずで解散。青年作陶家集団を引き継ぎ、1948年7月、八木一夫、叶哲夫、山田光、松井美介、鈴木治の5人で「走泥社」が結成され、器体をキャンヴァスに見立てるような作品、抽象彫刻の影響を受けた作品などが制作された。1947年11月にはやはり前衛を意識した陶芸団体「四耕会」が、浅見茂、荒井衆、伊豆藏壽郎、宇野三吾、大西金之助、木村盛和、清水卯一、鈴木康之、谷口良三、林康夫、藤田作の11名で発足した。
青年作陶家集団の作例として紹介されている、白い器に草花と蝶を描いた中島清《草花文磁器飾壺》[青001]や、表面いっぱいに釉薬を掻き落として花を表わした山田光《柿釉掻取壺》[青005]などからは器として伝統的な形が採用されている。八木一夫《春の海》[青004]は高台の付いた球に近い器だが、草花と蝶を描くとともに一部に鰭を取り付けて器を河豚に仕立てている。
青年作陶家集団の作品との対照で、走泥社の斬新な作風が際立つ。八木一夫《白釉レビュー図蛤形水盤》[走006]はハマグリ型の器の見込みにステージで脚を挙げて踊る女性たち、バンドマンたちの楽器、客席の人々を三方に描き、鈴木治《白釉黒絵ピエロ文広口瓶》[走016]は太い描線を活かしてピエロや空中ブランコの女性を戯画的に表わしている。器形は従来見られるものだが、器をキャンヴァスとして現代的なモティーフを現代的な描法で描いている。また、パウル・クレー(Paul Klee)調の矢印の絵画を表わした八木一夫《二口壺》[走007]は扁平な器の横に二口が付けられ、八木一夫《ザムザ氏の散歩》[走008]では環状の器体に多数の口(管)が無視の細かな足として取り付けられている。山田光《作品》[走12]では壺の2箇所が大胆にカットされ、幾何学的な図像を絵付けされている。斬新なフォルムにより花器などの実用性を喪失した作品が多い。
四耕会の作品では、宇野三吾の土偶や埴輪をモティーフとした《土偶形花器》[四002]や《ハニワ形花器》[四003]、あるいは岡本素六の車の立体エンブレムを思わせる、後ろに流れていくような人の形をした《花器》、中西美和の矩形を積み重ねた《抽象形花器》[四007]、藤田作の球体を組み合わせて人の形とした《トルソ形花器》[四011]など、いずれもユニークな形をとるが、タイトル通り、花器としての機能は失われていない。前衛いけばな作家との共同が影響しているのだろう。
【第2章:オブジェ陶の誕生とその展開(1955~63年)】
いけばな等の影響の下、陶芸は、工芸の実用性から、素材と造形とを人間性を通じて空間に独立させるオブジェの叙情的表現へと舵を切る。
八木一夫の《歩行》[走026]や《踊り》[走031]の抽象化された人体、あるいは山田光の折り曲げて寄り添う2人を表わす《二つの塔》[走037]、森里忠男の顔をモティーフとした《作品B》[走49]など人を象った作品群は、叙情性の端的な表われである。鈴木治は 山谷を伝わる振動を《木魂》[走040]を支柱で支たり、短冊を折り曲げて翻る様を表現した《風》[走042]を壁に掛けたりして、土による造型を宙に浮かせたのは、まさに陶芸の伝統からの飛躍を象徴するようだ。