展覧会『津上みゆき展「めぐりくる時と風景」』を鑑賞しての備忘録
光村グラフィック・ギャラリーにて、2024年9月20日~10月19日。
スケッチを元にした風景画11点と新聞の連載小説の挿絵とで構成される、津上みゆきの個展。
《View, A Place, 12 July - 16 Augast, 2024》(1940mm×2590mm)には黄色と黄緑が支配する画面の中央から左上にかけて白や青の描線が描き入れられ、画面下側には赤い描線が差される。青味がかる上側と赤味がかる下側とで天地が表され、草花や枝葉が光を浴びて輝くように色彩が乱舞する。《View, A Place, 12 July-26 Augast, 2024》(1940mm×2590mm)では画面中央に木の幹が見え、光を受けた黄や緑の葉やピンクや紫の花が右上の梢に向かって拡がる。木の周囲には水が流れ、流れに沿って左に目を転じると、別に木が立ち、視線がまっすぐに譲歩雲お空へと導かれる。
《View, 3:12pm 20 Sep 2023/2024》(1303mm×1940mm)は、明暗の異なる緑を幅広く極めて薄く横方向に刷くことで風景としている作品で、下端などほとんど画布のまま塗り残されている。全体に模糊とした画面は雨に煙るようであり、左上に拡がる暗い影は雨雲の表現かもしれない。
《View, Following the Flow, 6:50pm 14 June 2024》(1123mm×1458mm)は画面下側に藍色で水の流れを、左上には青空らしき明るい水色を、右上には画面を断ち割るように赤みがかった建造物が立ちはだかるようだ。《View, Following the Flow, 6:55pm 14 June 2024》(1123mm×1458mm)は上部に夕空を、下部の暗い水辺に、夕空と何らかの構造物の影が映り込む姿が表される。《View, Following the Flow, 7pm 14 June 2024》(1123mm×1458mm)では、青と赤紫の模糊とした画面にモティーフはほとんど捉えられない、ウィリアム・ターナー(William Turner)を彷彿とさせよう。《View, Following the Flow, 7:05pm 14 June 2024》(1123mm×1458mm)は暗い画面の上部に黄色いアーチが覗く。そのアーチに呼応するように、画面下部中央では暗い朱と紫とが渦巻いているのが目を引く。
《View, Through the Doors. Morning 16 Jan 2022》(1460mm×2765mm)には、花の咲く庭、向かいの家屋(?)との間の空間、光溢れるアプローチと、ドア越しの戸外の3つの景観をが横に並べられて1つの作品とされている。
《View, Toward the Ways, Morning 16 Jan 2022》(2275mm×1820mm)には濃淡の緑の支配する画面に街路樹らしき木々の連なりが表される。画面右端の赤味のあるシルエット状に表現された木の太い幹、画面中央の青い幹とが比較的具象的に描かれるのに対し、画面の奥側に並ぶ木々は、広重の《東海道五十三次之内 庄野》よろしく、抽象化されたシルエットなっている。2つの並木が折り返されるように配されるため、クロード・モネ(Claude Monet)の描くリズミカルなポプラ並木を想起させもしよう。
《View, Following the Trees Morning 16 Jan 2022》(2275mm×1820mm)はオレンジやピンクによって表される幹の垂直方向と枝の水平方向の組み合わせがリズミカルで、明るい色彩と相俟って画面に軽やかな運きを生んでいる。
風景をモティーフにしているものの、写実的な作品ではない。日本経済新聞に連載された朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』の挿絵を紹介するコーナーでは、スケッチブックも展示されているが、例えばバスから見た景色など、擦過する景観を擦過が素早く捉えようと試みていることが窺える。作家の眼前に束の間姿を表した世界は、視覚だけが捉えたものではなく、五感あるいはそれを超え出た感覚が把捉したものである。だから写真で撮影するのでは十分ではない。もっとも、一瞬に比してはほとんど無限とも言える時間のかかる絵画で表現することも不可能である。それでもその不可能を実践しようとして、不確かさ、あるいは揺れを定着させることになる。画面に定着された不確かな揺らぎは、作家が捉えた何ものかを鑑賞者の感覚に惹起させるきっかけとなることが目論まれているのではなかろうか。
〔引用者補記:夏目漱石『草枕』の〕語りの担い手は、日露戦争の調整から逃れ温泉町を訪れたが、考えつめて絵を1枚も描くことができなくなっている画工(画家)である。漱石の『文学論』の図式を反映して、画工は絵の表現は物体を写すことと感情を発露させることとの二極で構成される函数だと考えている。西洋の伝統では前者がまさり、東洋の伝統では後者がまさる。しかし、絵は一方のみでは成り立たない。そこで、ここにいまだ具体的な対象を持たない興趣というものがあり、もしこれを絵がに定着することに成功するならば抽象画になるだろうと画工は考える。
この調子さえ出れば、人が見て何といっても構わない。画でないと罵られても恨はない。いやしくも色の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の曲直がこの気合の幾分を表現して、全体の配置がこの風韻のどれほどかを伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であれ、乃至は牛でも馬でも、何でもないものであれ、厭わない。(……)
鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう。
忽ち音楽の二字がぴかりと眼に映った。(夏目漱石『草枕』[1906]/岩波文庫[1990])つまり漱石はこの小説が書かれた1906年の時点で、やがて抽象画と呼ばれるものが出現することを、すでにはっきり予告していたともいえる。
同時に逆にアプローチも示される。画工は彼が逗留する旅館の出戻りの女主人、那美という女性の顔を描こうと試みるが、その言動の捉えどころのなさに振り回されるばかりで一向に絵にならない。この女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで静である。眼は五分のすきさえ見出すべく動いている。顔は下膨の瓜実形で、豊かに落ちつきを見せているに引き易えて、額は狭苦しくも、こせ付いて、いわゆる富士額の俗臭を帯びている。のみならず眉は両方から逼って、中間に数滴の薄荷を点じたる如く、ぴくぴく焦慮ている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画にしたら美しかろう。かように別れ別れの道具が皆一癖あって、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はない。(同前)
要するに彼女の顔を特徴づける各々の要素は、それぞれが別の機能を持った存在として、勝手気まま(かように別れ別れ)に異なる働きを主張するばかりで1つのまとまった顔として像を結ばない。「乱調にどやどや」という記述は、あたかもキュビスムの絵をみたときに誰もが抱く印象を述べたようであるも(ピカソが《アビニョンの娘たち》を描いたのは、この翌年1907年である)。画工はこう考える。那美さんの顔が描けないのは、顔に表われているこの乱調を、手持ちの概念(理解)で代表的に表現できないからで、描くためにはこれらを束ねることのできる別種の、情が発明されないとならない。やがて、その情が那美さんの顔に表われるのを画工は発見し(彼はそれを「憐れ」と呼ぶ)、「それだ、画になる」という確信を画工は得て、小説は終わる。
漢詩、英詩などの異なる言語形式が翻訳もされぬまま、混在している『草枕』はそれ自体が実験的な小説でもあった。読者は話者(画工)が知覚あるいは想起するさまざまな異なる情報の並列、それを追う混乱、錯綜した思考の流れに寄り添わされる。しかし語り手自身がいうように、もし読者が作者の思考の流れと合致しようと望まないならば小説ははじめから終わりまで読む必要がない(たとえば、夫婦になるという結論を望まぬほうが付き合いも会話もかえって面白いと画工はいう)。すなわち結末に収斂されないゆえにどこを読んでも面白い。つまりそこで得られる結論(落ち)と、小説の細部とその累積あるいは推移は一致しない、ということにこそ小説という表現形式の意味があると漱石は考えた。(岡崎乾二郎『近代芸術の解析 抽象の力』亜紀書房/2018/p.15-17)
鑑賞者は作家が「知覚あるいは想起するさまざまな異なる情報の並列、それを追う混乱、錯綜した思考の流れに寄り添わされる」のだ。