可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 間瀨結梨奈個展『やまのは と くもま』

展覧会『間瀨結梨奈「やまのは と くもま」』を鑑賞しての備忘録
Bambinart Galleryにて、2026年4月3日~25日。

主に牧場の馬をモティーフに、異なる位置にある対象同士が画布において見かけ上並ぶことを逆手に取った絵画で構成される、間瀨結梨奈の個展。

《つち と はな》(410mm×318mm)は、背伸びをする猫のように頭を倒し尻を上げた馬を、空の背に並ぶ3輪のチューリップとともに表わした、くすんだ色味の作品。馬は茶色のシルエットで表わされ、地面に反射した受けたように一部暗緑色を呈する。ピンク、赤、緑のチューリップが馬の頭部と同じ大きさで表わされ、馬の背から茎が伸びているように配される。馬とチューリップの周囲を枠が囲み、緑の大地と空とは切り離したイメージとしている。厩舎の入口にも見えるが、絵画の枠であるかもしれない。見かけ上のチューリップを背に生やす馬。それはちょうど地球から距離の異なる星々を球面(「天球」)上に捉えて繋ぎ併せた星座のように、人間の知覚(の制約)によってのみ姿を現わし、客観性を欠きながらも確かに人間を導く。絵画もまた、そのような存在であることを示す。
《たね と うね》(410mm×318mm)には、陶器の鳥、幼い子供の描くような兎(馬?)の顔、チューリップなどの花とが描かれた作品。画面下側3分の2ほどを枠で囲い、板(卓?)に置かれた、翼に渦巻きが並ぶ鳥の陶彫(?)と、戯画ないし幼い子供の絵のような、楕円の眼が飛び出す兎の顔が配される。「枠」の上にはチューリップなどの花が並ぶ。下段が土であり、畝なのだろう。彫刻や絵画が社会の滋養となることが示されるのかもしれない。
《あすのものがたり》(333mm×242mm)は、下段3分の1にはチューリプの花が並んで咲く姿を、上段3分の2には馬の顔と、半ば記号化された並木と家とを表わした作品。下段では、1輪、ないし2輪の赤い花を咲かせるチューリップが3つ並ぶ。上段では、左側3分の2に山を背にした馬の顔を、右側3分の1に横倒しにした4本の並木に挿まれた家を水色の画面に描く。《Landscape Outside the Frame》(455mm×380mm)も《あすのものがたり》に近い構造の作品である。下段に花が並び、上部右側に馬の顔、左側に池畔(湖畔)の風景が配される。但し、本作では、最上段にさらに山並が描き加えられている。地球からあまりにも遠く離れた星の輝きは過去に放たれた光である。ならば天球は過去を映し出す鏡である。天球に擬えられる絵画もまた過去の姿であることは論を俟たない。それでも過去を眺めることを通じて、変化を捉えることができる。結果として、未来予測が可能となる。天体観測にできるなら、絵画に明日を語らせることも可能であろう。
《うま と ひと》(455mm×380mm)は、家と木々の前を通過する馬と人とを茶に黒が重ねられシルエット状で表わした、闇に沈んだよなイメージ。馬の頭部などに灰白色が重ねられ、茶のシルエットとのズレにより動きが表現される。モスグリーンの木の幹や枝は線刻による。暗い建物の窓に覗くくすんだ水色がハイライトとなっている。
《あおいうま》(530mm×652mm)は、馬とともに立ち、遠くで草を食む馬を眺める少女の姿を描いた作品。茶色の牧草地で草を食む赤茶色の馬が画面右側に配される。画面左側では、緑の草地(?)に立つお下げの少女がで遠くの馬を眺め、彼女に寄り添うように藍色の馬が立つ。少女と馬の立つ「草地」は水辺を囲うように拡がる。対岸(?)には風車(?)が立ち並ぶ。赤茶色の矩形が8つほど「草地」に点在するが、何を表わすものかは定かでない。草を食む馬は大地の光を浴びて大地の色になり、少女の傍らの馬は空を見て空の色になる。画家が描く対象と同一化するのと同様である。
《あめあがり》(455mm×380mm)は、牧場の馬の親子と滑空する鳥とをくすんだ青色と黄土色とで描いた作品。画面左下から右端中段に向けて柵が伸び、その右側に並んで立つ馬の親子がいる。右端には木が覗く。それらは茶色を帯びた青で表わされる。中央に翼を拡げる、馬ほどの大きさの鳥がモスグリーンで表わされ、左に向かって飛ぶ。左には黄土色の森が拡がっている。画題からすれば、雲間からの陽射しが雨に濡れた牧場の脇に拡がる森を照らし出した様子を表わしたものであるようだ。画面はくすんだ水色で縁取られている。それは、雨であり、空であり、絵画の枠である。馬の蹄や鳥の翼はその枠組みを越えている。絵画と現実との接続であり、想像の現実への浸潤である。
表題作《やまのは と くもま》(455mm×530mm)には、右側の手前から奥に馬、水辺(?)、対岸の山、青空に浮かぶ雲が、左側に3本の木々が立ち並ぶ様子が描かれる。丘の上に立つ馬は半ば葉を付けた木の枝先と一体化したようにモスグリーンで表わされる。馬の鬣と葉の葉脈とが一致する。草地を隔てて水辺が拡がり、その奥に低い山陰が見える。青空には白い雲が浮かぶ。左側には黄褐色の大地から伸びる似たような樹影の3本が並ぶ。馬と植物とが鬣と葉脈とで繋がったように、右側と左側とは、描き込まれた「見当」のような十字で繋がる。十字は空を飛ぶ鳥かもしれない。いずれにせよ、その十字=鳥が2つの場面の重ね合わせを導く。画面という天球で切り離された存在同士が結び合わされる。
《ほころび》(1120mm×1455mm)は、馬と向かい合い涙を溢す少女が描かれた作品。彼女の立つ土地と馬の立つ土地とは切り離されている。それでも2つの土地の周囲を同じ水が流れる。2つの土地の背後には同じ花畑が拡がり、同じ山が控える。夕陽が射し、夜空に覆われる。同じ月を見、同じ月に眺められている。世界の綻びは水と空気、何より光によって繕われる。彼女の溢した涙で、馬は生命を繋ぐだろう。世界は切り分けられてなどいない。馬からチューリップが生えるとの認識も誤ってなどいない。全ては繋がっているのだから。作家が描き込む枠は、切り分ける境界線ではなく、世界を縫い合わせる線であった。縫合線は言葉にすれば、「と」である。「と」によって、全てを結び合わせることができるだろう。