可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 望月通陽個展(2025)

展覧会『望月通陽』を鑑賞しての備忘録
ギャラリー椿にて、2025年2月1日~15日。

筒描きによる絵画とブロンズ彫刻とで構成される、望月通陽の個展。

《なおも雨が降る》(560mm×420mm)は、真上に顔を向けた人物を左側から捉えた胸像。頂部の小さな2つの穴が打たれた鼻から切れ込みの線で表わした口へと下がり、再び顎で持ち上がった線は一気に胸の側に直滑降する線。右側は頭部で大きく彎曲し首を作り、再び肩へ向かって蛇行する。灰色の人物の全面にやや明るい灰色の線がびっしり描き込まれる。雨に打たれる人である。人物はイーディス・シットウェル(Edith Sitwell)の英語詩「なおも雨が降る(Still Falls the Rain)」により囲まれる。筒描きによる文字の線の濃淡が水分を感じさせるだけでなく、点やvが雨滴を表わす。画面上部には"The Raids, 1940/Night and Dawn/Still falls the Rain-"と文字が配されるが、鼻から額への線に向かって、Raids、and、Rainと並び、雨が空襲の隠喩であることが示される。
《飛べ、こがね虫》(560mm×420mm)は両手を持ち上げた人物の右手からこがね虫が放たれる場面を黄土色で描く。一見ほのぼのとした内容に見えるが、周囲に書き込まれたドイツの民謡「飛べ、こがね虫!(Maykäfer, flieg!)は、父親は出征し、母親がいるポメラニアは灰燼に帰したという内容。人物の足元から立ち上るものは煙なのだろうか。人間の惹き起こす悲劇から超越したこがね虫に対する羨望であろうか。横光利一「蝿」と異なるのは、こがね虫に自らを重ねて、今この場からの飛翔を願っていることだ。
《花嫁の歌》(560mm×420mm)は藍色で腕を取り合う男女を描いた作品。楕円を分割して丸い目と線状の鼻と口をあしらった男性と女性の顔がよく似ている。背後には草原が拡がり、2人が立つのは浅瀬のようだ。お下げの女性と右に立つやや背の高い男性の腕が∞の形で一体化しているのが印象的である。フリードリヒ・リュッケルト(Friedrich Rückert)の「花嫁の歌(Lied der Braut)」が周囲を埋める。2人の人生がどう流れていくのかは分からないけれども、無限(∞)の可能性がある。
《秋の家苞》(900mm×450mm)には羊を腕に抱き抱えて歩く人物が描かれる。羊は左腕の線とや腹のの線と一致し、その羊を見つめるように角の無い長方形のような頭部の右下に顔を廃する。真ん丸の眼と双葉のような鼻、さらには線の口とで両者はよく似ている。人物の上半身はもこもことしたセーターのようで半ば羊のようでもある。人物の頭部や羊などの輪郭が一筆書きのように描かれることと相俟って、一体感が表現されている。
《歌の方角》(900mm×450mm)には鳥を抱えた少女が表わされる。鳥が真横を向いているのに対し、楕円の頭部の右上に廃された顔は斜め上を向き、遠くを望む。鳥の鳴声を音楽のメタファーとして、その場にはない音の存在を想像させる。船に乗る二人の人物に鳥を合せた《音楽隊の待つ港》(450mm×260mm)も同旨であろう。
《まっすぐな道》(450mm×260mm)には羊を抱えた人物が描かれる。コンパスのような脚の人物は刷毛のような大きな頭部を持つ。その人物の腕を∪で、羊の体を∪で組み合わせ、恰も羊の頭が左右に振れて道が平衡かどうかを測定する装置のように見える。道自体は描かれないが、描かれないことで2人の前にどこまでも延びる道が現われる。

詩をテーマに詩そのものを描き込んだ作品のみならず、他の絵画もまた詩である。見えない存在、その場にはない存在を描かないことで表わしている。一筆書き的な表現による凝集の運動は、反転して遙か彼方まで飛翔する反作用をもたらす。