可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『矜持 武蔵野美術大学日本画学科卒業生グループ展』

展覧会『第41回大学日本画展 矜持 武蔵野美術大学日本画学科卒業生グループ展』を鑑賞しての備忘録
UNPEL GALLERYにて、2026年2月25日~3月11日。

武蔵野美術大学日本画学科卒業生である沖綾乃、吉田真納タルーラ、寺野葉の作品を展観。

【吉田真納タルーラ】
《サピエンス』(2000mm×1000mm)はピンクのサテンに寄り添う2人の人物の立像を表わす。それぞれピンクと紫のボディスーツを着用したようなツルッとした身体を持つ2人はお互いいに体を支え合い、ピンクの方が紫の口元に管状の器具で何かを吸引させている。アイウェアの装着により目が隠れ表情は窺えない。脊椎や腰骨、仙骨などが透けて見える。身体の周囲を岩石のようなものが浮き、何かが周回する軌道がフラフープのようにいくつも取り巻く。人間もまた宇宙を成り立たせる回転運動の中で始終回転を続けている。
《世界は二人のために―頂点を目指さなければならない―》(2000mm×5000mm)は、光沢のある赤いサテンにアクリル絵具・雲母で連峰と、それを眺める2人の人物の横顔とを表わした作品。横に長い画面の右側3割程度を2人の人物の左向きの横顔が半ば重ねられて描かれる。半ば口を開き、髪は後ろに流れる。輝く目は放射状の光線を放つ。切り立つホルンが7つ8つ、右から左に高度を徐々に高めながら並ぶ。その連峰の奥にも雲海のように多数の峰が姿を見せる。いくつもの回転体が最高峰を目指し尾根に列を成して進む。回転体は、空漠とした空間に6体が立つ《棒の立つ空間》(140mm×180mm)、地球外の宇宙空間に星雲を背景に2体が浮かぶ《スピン》(680mm×640mm)などにも表わされる。《波の重なる箱、猫》(745mm×1120mm)に、波形が3つ並ぶ箱や原子の模式図(?)とともに形を成さない猫(?)が描かれるのは「シュレーディンガーの猫」を踏まえるのだろう。スピンは量子(の振る舞い)のメタファーなのかもしれない。連峰の周囲を天体が楕円軌道を描きながら飛ぶのも、トンネル効果などのメタファーであろうか。素粒子の世界から宇宙までが「回転」により支配される世界の有り様を捉えようとするようだ。
《世界は二人のために―頂点を目指さなければならない―》に登場するような連峰と楕円気道の衛星のイメージが登場する《きょん》(530mm×530mm)には、地球らしき球体の浮かぶ空間にマットレスに腰掛けるシルエット状の人物、ミニチュアの木々(?)の中に立つキョンなど縮尺の異なるイメージが混在する。絵画は壺中の天、あるいは無限室を有するホテル(ヒルベルトの無限ホテルのパラドクス)に擬えられる。それにしても何故キョンか。外来種だからであろう。
UFOもまた外来種と言えよう。∞の形の精霊馬のようなUFOを表わす《UFOを発見》(148mm×210mm)、半球と円板とで構成される空飛ぶ円盤から逃げ出す《UFOからの撤退》(148mm×210mm)、同種の空飛ぶ円盤に猫や「私」が拉致される《その時、愛猫が私を差し置いて連れ去られたのです》(148mm×210mm)や《どうせ連れ去られるなら一張羅を着ている時にしてほしかった》(148mm×210mm)などでUFOへの関心が示される。
《What is love?》はピンクのサテンに沈丁花とクエスチョンマークを描いた作品。禅問答のような絵画である。ギリシア神話にキューピッドの矢に射られたアポロンがダフネを追いかけ回したためにダフネが父親に頼んで月桂樹に姿を変えたというエピソードがある。月桂樹の葉と沈丁花の葉とがよく似ているために、ダフネと沈丁花とが結び付けられる。この曲折こそ愛ということか。乾坤之内。宇宙之間。中有一宝。秘在形山。絵画が無限ホテルなら、人間(の身体)もまたそうである。丁度トンネル効果のように、あり得ないことは起こり得る。

【沖綾乃】
《リビングルーム》(1820mm×4800mm)は鍋の置かれたテーブルを中心に居間の植木鉢が載る棚、冷蔵庫、扉などを複数視点の組み合わせて描いた作品。左端に開け放たれたドア越しに玄関が見える。その右側に90度向きを変えて冷蔵庫へ向かう眺めが配される。袋やラック、空き箱などが所狭しと並ぶ。画面中央付近にはキムチ鍋の置かれた食卓が板張りの床と半ば重なりながら表わされる。覗き込んだ鍋の縁の円から、床板の木目や転がる鉛筆などによって、視線が周囲へと向けられる。食卓の端には文庫本(村上春樹『1973年のピンボール』)や新聞紙が見え、脇の棚には植木鉢が多数並ぶ。特徴的なのは、恰も佐伯祐三の描いたパリの街の壁で広告が貼られては剝がされ再び貼り重ねられていくように描画の上から貼り付けた和紙によりイメージが重ねられている点だ。瑣事の積み重ねが作る日常をなぞる。諸処の余白は変化を受け入れる余地であり、作品が動的な存在であること(坐る人物を静的にではなく運動として描き出すドローイングのシリーズ「坐る人」が証左である)を暗示する。また、マティスの絵画の絵葉書、壺や植木鉢など、点在する類似のイメージが相互に繋ぎ合わされることで画面に統一感を生む。
《モザイク》(1620mm×1620mm)は、父親により風呂に入れられている赤ん坊の写真(焼き付けられた1995年5月24日の日付も描き込まれている)を中心とした作品。湯船の中で父親が赤ん坊を抱き抱えている。手前には入浴を手伝う祖母の後ろ姿もある。人物はドローイングのように黒の線で表わされ彩色が施されていないのに対し、浴室の壁の青いタイル、床の水色とピンクのタイル、さらには組み合わされたマジョリカタイルの色彩が対照的である。貼り重ねられた黄褐色の紙、あるいは塗り重ねられた白や臙脂が記憶憶の忘却を表現する。のみならず、思い出せないものもまた記憶の下層に存在することを暗示するのである。

【寺野葉】
《日本名所図》(970mm×1303mm)は富士山を背に、北は北海道、宮城、東京、愛知、大阪、愛媛、広島、福岡などを経て南は沖縄までのランドマークをすやり霞で繋ぎ合わせ鉄道路線の白と黒の線や地図のイメージの枠の中に表わした作品。吉田初三郎の鳥瞰図の系譜を思わせるが、背後に富士の山を大きく表わしていることもあり、日本列島の鳥瞰図の位置関係は大きく歪められている。現代のモティーフに存在しない機械などを加えて浮世絵風のイメージを作る山口晃(《電柱》などから電柱に対する関心も共有している)と異なり、都市景観自体はオーソドックスな形でまとめられている。特色は、諸都市の景観の中に脚を伸ばして坐る女性の姿である。深い青色のTシャツを身に付けているのは、彼女こそが富士だからだろう。船津胎内樹型が存在するように、富士山は女性として捉えられてきた。ならば《TOKYO》(530mm×455mm)渋谷や六本木のビルディングを松樹やすやり霞の中に描き込まれたヘッドホンを首に掛けた女性の上半身像は脇に立つ東京タワーの表象だろう。
《迷途路》(333mm×242mm)は地下鉄の立体的な構内図。迷路のように複雑な地下道の中で迷う人物を三頭身のキャラクターとして描き込んでいる。《マップ》(242mm×333mm)はすやり霞や鳥が配されるグーグルマップのような地図の中でカーソルによって目的地のアイコンの傍に動かされる三頭身のキャラクターが描かれる。目的合理性のシステムにより文化的な人間性が否定されていくと警鐘を鳴らしたユルゲン・ハーバーマス[Jürgen Habermas]の思想が卑近な例で表現されている。