可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 桝本佳子個展『Out of the Blue』

展覧会『桝本佳子「Out of the Blue」』を鑑賞しての備忘録
MITSUKOSHI CONTEMPORARY GALLERYにて、2026年9月30日~10月12日。

開いた本あるいは螺旋状に積み重なった本が挿し込まれた壺、松樹のうねる幹が胴を纏わり付く壺、泳ぐ蛸が突き抜ける壺、カニパンや焼きそばパン、ドーナツと一体化した壺等けったいな陶芸作品で構成される、桝本佳子の個展。

冒頭を飾るのは蛸唐草や丸紋の染付の壺に開いた本が挿し込まれた「本/壺」シリーズである。

本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。

書かれた文字だけが本ではない。
日の光、星の瞬き、鳥の声、川の音だって、本なのだ。

(略)

本でないものはない。
世界というものは開かれた本で、
その本は見えない言葉で書かれている。
(長田弘「世界は一冊の本」長田弘『長田弘全詩集』みすず書房/2015/p.325)

本でないものはない。世界はひらかれた本である。壺中天の故事が伝える通り、壺の中には別天地が拡がる。壺もまた本である。鑑賞者は費長房よろしく、作家=壺公に導かれ、パラレルワールドに至るのだ。

螺旋階段のように積み重ねた本と壺を組み合わせた作品もある。ホルヘ・ルイス・ボルヘス[Jorge Luis Borges]の「バベルの図書館[La biblioteca de Babel]」のように、壺は世界を呑み込む。だから松樹が呑み込まれ(「松染付壺」シリーズ)、旅行鞄が呑み込まれる(《トランク/手捻り壺》)。

《蛸/壺》は、体を伸して泳ぐ蛸が壺を突っ切る。壺の頸には青海波の丸紋がある。それより下に位置する丸紋や扇面は海中の窓のようだ。ネモ船長の潜水艦ノーチラス号の窓を髣髴とさせまいか。鑑賞者は蛸に深海の旅へと誘われる。

 突然、サロンの両側が明るくなった。両側の横長の開口部から光が射しこみ、電気照明で強烈に照らし出された海水が目の前に現われた。海とわたしたちを隔てているのは2枚のガラス板だけだった。初めはそのもろい仕切りが割れるのではないかと思ってぞっとしたが、がっしりした銅製の骨組みで支えられており、ほとんど無限の圧力に耐えられそうだった。
 ノーチラス号から半径一海里の海中がはっきりと見えた。なんという光景! どんな言葉で形容すればいいだろう! 透明なひろがりの向こうから沁みとってくる光、海の深みや上層へいくにつれてゆっくり濃さが変化していくその色合い!
 (略)
 海底は燐光で光っているとするドイツの博物学者エーレンベルクの説を認めるとすれば、自然は海の住人たちだけにじつに驚くべき見せ物を用意したことになるが、いまこの光の戯れを見ているとそれがよくわかった。わたし両側にひとつずつ窓があり、それがこの未踏の深淵の上にひらかれていた。サロンの暗さが外側の明るさを引き立たせ、わたしたちは巨大な水族館の水槽の前に立っているかのように、ガラス越しの光景を見つめた(ジュール・ベルヌ〔松村潔〕『海底二万里(上)』新潮社〔新潮文庫〕/2012/p.221-222)

扇面散は複数の景物を並列させる。映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス[Everything Everywhere All at Once]』(2022)的のような経験を可能にする、言わばマルチバースだ。器面(平面)の扇面散だけではない。複数の壺1つ1つが壺中天であるから、壺はメタ的に多元宇宙を表わす。

200億光年のなかの小さな星。
どんなことでもない。生きるとは、
考えることができるということだ。

本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。
(長田弘「世界は一冊の本」長田弘『長田弘全詩集』みすず書房/2015/p.326)

染付の青から海が、そして宇宙が思いがけず[out of the blue]拡がる。