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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『Land-scape お持ち帰りできる風景』

展覧会『Land-scape お持ち帰りできる風景』を鑑賞しての備忘録
慶應義塾ミュージアム・コモンズにて、2024年10月7日~12月6日。

主にイギリスにおける風景画の歴史を「お持ち帰り」の切り口で辿る企画。中世末期の時禱書写本の挿絵の背景に風景画の前史を見る第1章「風景前史―彩飾写本の背景」、美学的観点のみならず直接・間接の実利的観点から眺められた風景を景観図や都市図に知る第2章「地誌から地図へ―占有される風景」、貴族の子弟の研修旅行「グランドツアー」により理想の景観が普及したことを紹介する第3章「イタリアを持ち帰る―グランド・ツアーと理想風景」、イタリアなど旅先だけでなく地元イギリスに理想の風景を見出そうとした実例を示す第4章「田園を持ち帰る―ピクチャレスクとイギリスの自然」、鉄道と写真により風景がより広い階層に普及したことを書籍のイラストレーションに確認する第5章「ツーリズムとノスタルジア―19世紀の景観」、風景を手ずから「持ち帰る」ための教本や画材を紹介する第6章「風景を写し取る―風景写生のアイテム」の6章で構成。さらに別室では、慶應義塾縁の人物がやり取りした絵葉書を展観する。

第1章「風景前史―彩飾写本の背景」では、《ラテン語時禱書(ローマ式典礼)》(1490頃)[1-1]の「羊飼いへのお告げ」を描いた鮮やかなイラストレーションの背景に表わされた建築物群に眼を向けさせる。ところがB級怪獣映画のような《ラテン語時禱書(10月の暦)》(1500頃)[1-3]の丘の斜面に突然現われた巨大な蠍――本来は天蝎宮の表象――に目を奪われてしまう。
第2章「地誌から地図へ―占有される風景」では、18世紀以前において直接・間接の利益をもたらす実利的な眼差しが風景に注がれていたことが示される。ロバート・ソロトン(Robert Thoroton)《ノッティンガムシャーの古事》(1677)[2-1]のアンスレー・パークの森の放射状の道を描いた地図が鮮烈である。中央上部へ向かう道の先には城門があり、その先に丘を背にした城館が立つ。城館の小ささから敷地の広大さが浮かび上がる。日本でも古代から中世にかけての荘園絵図が制作されているが、それは境界紛争に備えたものであった。アンスレー・パークにはむしろ「国見」的観点が窺える。ミシェル・エチエンヌ・チュルゴ(Michel Etienne Turgot)《パリ地図》(1734-39)[2-7]は行政官がパリを把握するため制作させた精細な立体鳥瞰図である。ミシェル・フーコー(Michel Foucault)が近代における権力の在り方を象徴するものとして取り上げた、ジェレミーベンサム(Jeremy Bentham)のパノプティコンの眼差しを連想させる。他方、アマチュアの考古学者・歴史学者である「好古家」の要求に応えるウィリアム・ステュークリ(William Stukeley)《好奇の旅》(1724)[2-2]やジェイムズ・ストーラー(James Storer)《好古と地誌のキャビネット》(1807-11)[2-3]などでは眼を驚かせる廃墟のイメージも見られる。「驚異の部屋(Wunderkammer)」と等しい眼差しは、一覧性という点で権力者の眼差しとパラレルである。
第3章「イタリアを持ち帰る―グランド・ツアーと理想風景」では、クロード・ロラン(Claude Lorrain)《真実の書》(1777)[3-2]やピラネージ(Piranesi)《ローマの景観:ティヴォリのエステ邸》(1773)により、グランドツアーによりイギリスに多数の風景画が将来されたことを示す。銅版画がその普及に大きく貢献したことも指摘される。

 フランスの画家で批評家ロジェ・ド・ピル(Roger de Piles; 1635-1709)の『絵画の原理』(1708年、英訳1743年)は、風景画は孤高な岩肌、清涼な森、透き通った水面、広々とした平野など、画家にさまざまな選択肢を用意してくれ、英雄的と田園的(牧歌的)の2つの様式に大別されるとする。前者は、恐怖や驚嘆などの高まりを、それに相応しい劇的な自然風景で描く、ラスキンならば感傷的虚偽(pathetic fallacy)と形容したであろう様式で、例としてプッサンが挙げられている。一方で田園的様式は、手入れされていない、気まぐれな自然の姿を素朴に再現することで、それにより自然本来の優雅さが際立つとする。ド・ピルは2つの様式の適切な混合を重視する。クロードは写生を好んだが、ジョシュア・レノルズが記したように、見たままの自然をそのまま描くことは美を生み出さないと確信していて、スケッチした美しい景観をさまざまに組み合わせて絵画を完成させている。重要なのは想像力を駆使した構成力であって、実際の田園を写生したかのように描くことではない。(松田隆美「『お持ち帰りできる風景』の文化史的文脈」慶應義塾ミュージアム・コモンズ編『Land-scape―お持ち帰りできる風景』慶應義塾ミュージアム・コモンズ/2024/p.22)

フランシス・ベーコン(Francis Bacon)の「知は力なり(scientia est potentia)」という格言に則れば、自然風景を観察したうえで「恐怖や驚嘆」ないし「感傷的虚偽」という意図する結果を生み出すことが画家の役割ということだろう。
そして、クロード・ロランやピラネージなど画家の眼差しを地元イギリスの風景に応用した実例が第4章「田園を持ち帰る―ピクチャレスクとイギリスの自然」の作品群である。日本でも唐絵に対して大和絵が生まれた。時代は降るが、瀟湘八景を応用した「近江八景」なども浮世絵や日本画のテーマに取り上げられてきた。

 ピクチャレスクとは絵画における特定の要素に与えられた呼称ではなく、むしろプッサン、ローザ、そしてクロード・ロランに代表されるイタリアの風景画を念頭において自国の風景を眺める眼差しの問題である。それは、自然の父兄のなかにクロードやローザの絵を構成している諸要素を見つけ出して、それらが最良の構図を生み出すべく配置されているビューポイントを探し、必要とあらば作り出す、自然とアートを絶え間なく関連づけてゆくプロセスである。ギルピンは、「純粋に自然のままの景観が正確にピクチャレスクであることは殆どない」と考え、ティターン修道院の廃墟を説明するなかでも、窓枠の線を批判して、「そんな大胆な人物はいないだろうが、大槌を慎重にふるって少し壊すと」よい効果が生まれると述べる。これは風景の誕生についての乱暴だが適切な譬喩である。(松田隆美「『お持ち帰りできる風景』の文化史的文脈」慶應義塾ミュージアム・コモンズ編『Land-scape―お持ち帰りできる風景』慶應義塾ミュージアム・コモンズ/2024/p.24-25)

18世紀後半のピクチャレスク・ブームでは、探勝の際、スケッチブックとともに、風景銅版画の視界を手軽に再現できる「クロード・グラス」(セピア色に見える広角レンズ)[6-1]が必携だったという。ピクチャレスクのためには「映え」のために「盛る」必要があったのである。
第5章「ツーリズムとノスタルジア―19世紀の景観」では、写真術と鉄道の発達は風景の楽しみをより広範な階層の人々に与えたが、テクノロジーの発達は開発を促し、却って自然景観は失われていくことともなった。例えば、ビアトリクス・ポターナショナル・トラスト運動を惹き起こすことにもなる(映画『ミス・ポター(Miss Potter)』(2006)が参考になろう)。