展覧会『菊池玲生・樋口絢女・松岡勇樹「SHIFT」』を鑑賞しての備忘録
大丸東京店10階 ART GALLERY 1にて、2025年12月24日~2026年1月13日。
浮世絵版画など名画のイメージを再構成する菊池玲生、モザイクやノイズを取り込んだ花鳥画の樋口絢女、渦など流体を表現する松岡勇樹の3人展。
【菊池玲生】
《copy and paste 2408》(1303mm×1303mm)は、北斎の《諸國瀧廻リ・下野黒髪山きりふりの滝》のイメージを5つのパターンで切り離し、正方形の画面に余白を残しつつ再構成した作品。岩に堰かれ別れ落ちる水を増殖させつつ段々に配するイメージ自体で瀧水を模倣する、メタ的な表現に妙がある。《copy and paste 2520》(1000mm×1000mm)は酒井抱一の《桜図屏風》を8つの画面で再構成した作品。1本の桜樹は桜の群生へと転じられる。あるいは両腕を拡げ三番叟でも舞う如き桜樹の姿を、その幹を中心に拡がる枝を3つ4つ描くことで、舞踊を異時同図的に、あるいは群舞として表現するのかもしれない。《copy and paste 2515》(530mm×530mm)は北斎の《冨嶽三十六景「凱風快晴」》を3つの赤富士として表現する。3つに増殖させたのは、伝統的に三峰型として描かれてきた富士の形象への言及であろう。これもまたメタ的表現と言えよう。同時に歌枕的な技法の絵画への導入でもある。桜・楓の組作品《copy and paste 2518》(435mm×435mm)・《copy and paste 2519》(435mm×435mm)、大黒・恵比寿の組作品《copy and paste 2519》(410mm×410mm)・《copy and paste 2518》(410mm×410mm)も併せて展示される。スクラッチなどDJによるプレイ=再生を想起させもするが、作家はレコードやデータを再生[play]するのではなく、実際に演奏すなわち描画によるイメージの再生[reproduction]である。
【樋口絢女】
《神の領域》(1620mm×1303mm)は神馬と思われる赤い帯などで飾られた白馬がが駆ける様子を舞い上がる土煙(?)とともに左横から描いた作品。鬣や帯、土煙などが所々で正方形の色面によるモザイクとなり、あるいはノイズのように融け崩れ、画像データが正常に表示されないかのように表される。その不完全な描写は、現実から乖離した、あるいは人間の感覚では捉えきれない聖性の賦与に効果を発揮する。《万里一空》(1620mm×1303mm)は牡丹孔雀図。やはり部分的にモザイクやノイズが表現される。とりわけ孔雀の羽の目玉模様はモザイクと相性が良い。全てがデジタルデータへと変換される世界を象徴しつつ、粒状感を残した金にはその傾向に抗う意志が読み取れる。春夏秋冬四部作の《晒されることなく朽ちてゆくものたちへ》(各530mm×530mm)にはそれぞれ桜の花びら、朝顔、紅葉、雪椿が表される。クロスワードパズルのようなモザイクが画面に挿入されるとともに、春にはテントウムシ、夏にはセミの抜け殻がそれぞれ添えられる。劣化しないデジタルデータを象徴するモザイクは意外と繁栄を寿ぐ吉祥文様と親和性が高いのかもしれないと気付かされる。尤も訴えられるのは、朽ちるからこそ美しいということであろう。
【松岡勇樹】
《流転》(2000mm×2000mm)は、襞や穴の出来た白や黒の岩塊を金箔の空中に浮遊させる、蓬莱ないし天空の城を思わせる作品。流転と言えば横山大観の《生々流転》であり、作家が同作を意識せずに制作しているとは思えない。実際、金箔の画面に墨で模糊としたものが浮かび上がり渦を描く《ひかり、はじまる》(273mm×160mm)には、大観の描く昇竜の姿を看取することもできなくないであろう。《生々流転》は雨水から沢へ、渓流から河川、さらには大河へと水が滴り、また流れ、波濤から渦となって雲に昇華する、水の循環をモティーフとする。本作では岩壁の先に流体を想起させる形を接続させるものの、流転する物質自体は直截表現されていない。作家は水の流れを描くことなく浸蝕により言わば水の流れの陰画として描き出す、得意な枯山水世界を起ち上げるのである。《ひとつのはじまりから No.10》(1000mm×1000mm)では、円の周囲に無数の渦や流線が拡がるとともに、その周囲を太陽フレアのような円環が取り囲む。そのイメージは、墨や箔の他鉛筆や色鉛筆まで駆使して表された点描により成り立つ。ところで、点描技法で知られるジョルジュ・スーラ[Georges Seurat]が活躍した19世紀末は電子の発見など原子の構造が次第に明らかにされていく時代の直前である。点描とは依然として分割不能と思われる原子とアナロジーとなり得たのではないか。翻って、作家の点描もまた世界を構成する最小単位の類比であるとともに、渦には量子論におけるスピンのメタファーを見出すことができるのではないか。だからこそ作家の作品には世界の基本構造たる渦が度々姿を表すのである。