可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男』

映画『ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男』を鑑賞しての備忘録
2024年のドイツ・スロバキア合作映画。
128分。
監督・脚本は、ヨアヒム・A・ラング(Joachim A. Lang)。
撮影は、クラウス・フックスイェーガー(Klaus Fuxjäger)。
美術は、ピエール・プフント(Pierre Pfundt)。
衣装は、カタリーナ・シュトルボバ・ビエリコバ(Katarina Strbova Bielikova)。
編集は、ライナー・ニグレリ(Rainer Nigrelli)。
音楽は、ミヒャエル・クラウキン(Michael Klaukien)。
原題は、"Führer und Verführer"。

 

1945年3月20日。ヨーゼフ・ゲッベルス(Robert Stadlober)が妻マグダ・ゲッベルス(Franziska Weisz)とともにニュース映画を試写する。暗い部屋でゲッベルスの煙草の火が光る。アドルフ・ヒトラー(Fritz Karl)が現われ、壁沿いに整列する少年たちににこやかな表情で応対する。ヴェルナー・ナウマン(Dominik Maringer)がナレーションを付ける。総統は、青少年指導者アクスマンと祖国防衛の功により鉄十字章を授与された20名のヒトラーユーゲント代表団を司令部に迎え入れました。軍と国民突撃隊を手助けする勇敢で恐れを知らない者たちです…。止めろ! ゲッベルスは総統が後ろで組んだ手が激しく震えているのが気に入らない。ナウマン、総統は震えない。この映像を見る者はない。これしかありません。総統は以前とはまるで違います。残念ながら事実です。何が事実かは私が決める。事実はドイツ国民に益するものだけだ。少年たちの報告を見せろ。報告はしていません、直ちに退出させられたので。別の映像を用意しろ。ナウマンが準備する。総統は体調が優れないわ。マグダが夫に言う。悲惨だ。何も残されていない。老人だけだ。子供たちは? あなたは死を避けるつもりはないの? 英雄としての死だ。時間だ、子供たちを連れてきなさい。ヘルガ(Stefanie Schietz)は気付いてるわ。負けたらどうなるか聴いてきたもの。他の選択肢はないんだ。ナウマンが映像を流すと告げる。始めてくれ。鉄十字章を授与された少年のインタヴューが流れる。ロシア軍がラウバンに迫ったとき、伝令を志願しました…。
総統官邸地下壕。総統の執務室。ゲッベルスが原稿を読み上げる。…今日ドイツが存続し、西欧がその文化・文明とともに絶望の淵に沈んでいないとすれば、総統に感謝しなければならない。総統こそは今世紀の英雄だからだ。閣下の誕生日にこのように発表します。良きに計らえ。ロシア軍は眼前に迫っている。皆がベルリンを退去するよう勧めるが留まる所存だ。首尾よく行けば、12時5分前に決定を下す。敵の結束は綻びるだろう。問題は我々が既に地下壕に潜んでいることだ。
ナウマンとともに地下壕から官邸に上がる。憂鬱です。各地で党に対する批判が。総統に対してもです。ロシア軍はベルリンで大敗を喫することになる。事態が思うように推移せず総統が名誉の死を遂げるなら、ヨーロッパはボリシェヴィキの手に落ちる。5年も経てば総統は伝説の存在となる。最後の偉大な努力により総統は神格化されるのだ。
官邸に残る職員を前にゲッベルスが訓示する。全ては腹を括るかどうかだ。人々は模範となる人物を求めている。今我々が経験している日々は、100年後には美しい映画として上映されるだろう。諸君が登場したときに観客から非難を浴びないように。ハイル・ヒトラー! ナウマンが叫ぶと、その場の職員たちも同調する。
ゲッベルスは他の職員達と書類の焼却・整理に当たる。思い入れのある写真にはつい作業の手を止めてしまう。私の日記や写真が時代の印象を形作るだろう。総統からの信頼をいかに勝ち得たかについては何人も知ることはあるまい。大衆操作の手法を明かしてはならない。幻滅をもたらすだけだ。イギリスやアメリカの宣伝大臣の名を知っているか? スターリンの宣伝大臣は誰だ? ヨーゼフ・ゲッベルスの名を耳にしたことがない者はいない。妻と子供たち、そして私は、後世の人々に忠誠とは何かを永遠に知らしめるのだ。私は総統という神話を生み出した。掉尾を飾る作品によって私たちもまた神話の一部となる。
炭化した2体の遺体の隣で、あどけない子供たち6人が永遠の眠りに就いている。
1937年3月15日。ゲッベルスが目を覚ます。執事がベッドに朝食を運び、ラジオを点け、カーテンを開ける。ドイツ民族は再び分かち難く結び合わされました。オーストリアのドイツ人がドイツ国民であることを宣言したのです。総統は恰も凱旋するかの如くウィーン入りを果し…。
総統官邸。ゲッベルスは歩きながらカール・ハンケ(Moritz Führmann)に指示を出す。歴史的な瞬間だ。ウィーンで歓呼して迎えられた写真が用意しろ。チラシは1億3000万枚配布済みです。物資は予定通りウィーンに到着しました。支持者を乗せた特別列車でしたので手助けする必要はありませんでした。人々は熱狂的です。現地ではユダヤ人に礼儀作法を教えてやっています。歯ブラシで通りを磨くようにと。それはいい。ヒムラー(Martin Bermoser)は2万人を逮捕し100人が死亡したと言った。ユダヤ人には当然の報いだが、ニュースでは触れない。有用なものだけが事実だ。プロパガンダは一種の絵画だ。全てを写し取る訳ではない。最も大切なのはイメージだ。イメージこそが感情を呼び起こすからだ。

 

1945年3月20日。ヨーゼフ・ゲッベルス(Robert Stadlober)は総統アドルフ・ヒトラー(Fritz Karl)が鉄十字章を授与されたヒトラーユーゲント代表団と面会するニュース映画を試写する。ゲッベルスは総統の手が震えている場面が気に入らず、ヴェルナー・ナウマン(Dominik Maringer)に他の素材と差し替えるよう指示する。首都ベルリンに迫るソ連軍に対する徹底抗戦の指揮を総統から委ねられているゲッベルスは、官邸に残る職員に対し後世に無様な姿を残さないよう叱咤した。自ら模範たらんと玉砕を覚悟するゲッペルスは日記や写真の不都合な内容の焼却を進める。
1937年3月15日。オーストリアを併合したヒトラーがベルリンに帰還するのに合せてゲッベルスは奉祝行事を準備する。ウィーンで工作に当たった宣伝部隊を首都に呼び戻し、学校や商店に休業を通達し、沿道を鉤十字で通りを飾り付け、少女が総統に花束を手渡す予行演習を行う。首都に降り立ったヒトラーはベルリナーに歓呼で迎えられ、ゲッベルスは総統から労を労われた。ゲッベルスは女に立場を利用して次々に女性に手を付けていたが、チェコ人の歌手リダ・バアロヴァ(Katia Fellin)に入れ揚げ、妻に娶ることを考える。独身のヒトラーは、ゲッベルスの妻マグダ(Franziska Weisz)と極めて親しくファーストレディとして遇していた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

国民をナチス・ドイツのために動員し、アドルフ・ヒトラー総統の神格化を図った宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスについて、1938年3月のオーストリア併合から1945年5月の死までを実際の映像を組み合わせながら描く。
新聞、ラジオ、映画といったマスメディアを利用したプロパガンダを名画に擬え、美しい部分を選び取って事実というイメージを構成することに腐心する。
ライヴァルであるヘルマン・ゲーリング(Oliver Fleischer)やヨアヒム・フォン・リッベントロップ(Emanuel Fellmer)への対抗という面もあるが、チェコスロバキアズデーテン地方を巡っては、軍の行進を国民が歓迎していないことを示し国民が戦争を恐れているとして、ヒトラーが主張する軍事侵攻による根本的な解決(ヒトラーは自らは短命な家系だと焦りがあるものとして描かれる)ではなく、平和裡の交渉を提案する。世論操作とともに世論の把握にも長けている。また、後には二正面作戦でドイツが勝利したことはないとソ連との開戦に反対もした。情勢判断に的確だったのだろうか。
ゲッベルスの妻マグダはヒトラーと親しく、独身のヒトラーのためにファーストレディとしての役割を担い、ドイツ人女性の模範ともされた。そのためゲッベルスがリダ・バアロヴァを妻にすべくマグダと離婚しようとした際、ヒトラーに止められる。ゲッベルスヒトラー、マグダとの関係が興味深く、本作では比較的時間を割いて描かれている。
ゲッベルスは総統官邸、自宅、別荘など、ほとんどの場面で屋内にいる。集められた情報をどう編集するかに頭を悩ませるが、現場に足を運ぶことはほぼない。前線や絶滅収容所など現地の空気を吸わないことが判断や発想に歯止めのかからない要因となっていることが暗示される。
ゲッベルスが手を激しく振りながら演説をぶつのは震えを隠すためなのだろうか。ヒトラーの手が震えているのを気にするのは、本人もまた震えが気になっているからこそのようにも思われる。