展覧会『榎倉康二 没後30周年展』を鑑賞しての備忘録
スペース23℃にて、2025年3月14日~4月27日。
廃油を付けた木材を綿布に押し当ててできた滲みを見せる「干渉率」シリーズ(1978)3点、野外や屋外で放り投げた鉛の塊が宙空に浮いた瞬間の写真「予兆―鉛の塊・空間へ」シリーズ(1972)3点とで構成される、榎倉康二(1942-1995)の回顧展。
《干渉率B(空間に)》(1300mm×1620mm)(1978)は、2枚の綿布を継いだ画面の中央に走る継ぎ目の左側やや下の位置に、黒い正方形に近い形とその周囲に油の染みが拡がる作品である。会場には、継ぎ目と正方形の位置が異なる同題同サイズの作品、小振りな《干渉率A》(725mm×905mm)(1978)も並ぶ。余白を大胆に取った幾何学的な形は枯山水のような枯淡な趣がある。これらに対置される、草原や展示室内で投げられた鉛の立方体(直方体?)が宙空に浮かぶ様を捉えた写真作品《予兆―鉛の塊・空間へ》3点と併せ見ると、空間に放擲された物の存在を画面に投影した作品であることが分かる。
物体は、時間の背景の中に、関係を絶った事はない。光のきらめきの中に、物があの粘着質の影を落とす時、物が物である事の冷たい響きをもって相貌を現わすとき、物は物であり、わたしはわたしである、という平衡状態は永遠に続く。(略)ある日常空間を、自分が所有していると錯覚してしまうと、自分が所有していると思うそばから、砂の一かたまりを手にして、それが手からこぼれ落ちるようにこぼれ落ちてゆく。にぎることがけっしてできない。もしできるとしたら、その砂が手からすべり落ちる時に感じるあの鈍い感触しかないのだ。繰り返し繰り返し、この手に残る鈍い感触を、日常の時間の重みをひきずりながら味わい続けることが、自分自身の存在をたしかめる証しになるのだ。自己のジメージの中で物を操ることはやめるべきだ。物の存在は、自己のイメージの外にいつもあるのだ。日常の物の存在の秩序に近づくことこそ大事なのだ。(榎倉康二「創造の原点」鎮西芳美・熊谷伊佐子編『榎倉康二展カタログ』東京都現代美術館/2005/p.163)
「物は物であり、わたしはわたしである、という平衡状態は永遠に続く」と、主体と客体の関係の考察が制作の柱にある。抽象度の高い問題を扱いつつも「この手に残る鈍い感触を、日常の時間の重みをひきずりながら味わい続けることが、自分自身の存在をたしかめる証しになる」と身体に引き付ける姿勢が明確である。
ところで、「予兆―鉛の塊・空間へ」シリーズは、鉛の塊が中央を浮いている瞬間を捉えているという点で、イヴ・クライン(Yves Klein)が塀の上から道路に向かって跳躍する瞬間を捉えた写真作品《空虚への跳躍(Saut dans le vide)》(1960)を連想させる。榎倉康二にも自らを被写体にした作品《予兆―海・肉体(P.W.-No.40)》(1972)があるが、作家は汀で横たわり、海によって触れられるように波が打ち寄せる瞬間が捉えられている。水が次第に迫り、身体に触れ、衣服に染み込んでいく過程で「繰り返し繰り返し」「感触を」「日常の時間の重みをひきずりながら味わい続けること」で、「自分自身の存在をたしかめ」ている。クラインが「人体測定(Anthropométries)」シリーズにおいて、たとえ運動を捉えようとするものであったとしても瞬間を定着させようとしたのに対し、榎倉は「干渉率」シリーズにおいて滲みという変化に委ねた点にも、両作家の主体・客体についての異なる捉え方が反映されているようだ。
私達の肉体の存在の自覚性は、事物存在に対することでその認識を始めて獲得することができる。私達は、事物存在に対することで自己の肉体の空間との〈接触〉又〈限定性〉を確認しているといってよいのではないだろう、それは、私達の肉体の消滅をも同時に確認することでもある。又、光りにさらされ空間と接触している事物存在の完璧な姿と、私達の持っている肉体の完璧な機能を持った姿を認識する時、自己の意識や感覚のあまりにも揺れ動く姿をも発見することができる。
私達の肉体は、自己の持つ宿命的な影の存在と揺れ動く意識のハザマ(間)で漂って存在していかなければならない。
芸術作品の歴史は、この漂う私達の肉体の影と意識との産物であるに違いない。(榎倉康二「干渉」鎮西芳美・熊谷伊佐子編『榎倉康二展カタログ』東京都現代美術館/2005/p.167-168)