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芸術鑑賞の備忘録

映画『教皇選挙』

映画『教皇選挙』を鑑賞しての備忘録
2024年のアメリカ・イギリス合作映画。
120分。
監督は、エドワード・ベルガー(Edward Berger)。
原作は、ロバート・ハリス(Robert Harris)の小説"Conclave"。
脚本は、ピーター・ストローハン(Peter Straughan)。
撮影は、ステファーヌ・フォンテーヌ(Stéphane Fontaine)。
美術は、スージーデイビス(Suzie Davies)。
衣装は、リジー・クリストル(Lisy Christl)。
編集は、ニック・エマーソン(Nick Emerson)。
音楽は、フォルカー・ベルテルマン(Volker Bertelmann)。
原題は、"Conclave"。

 

首席枢機卿トマス・ローレンス(Ralph Fiennes)が足早にトンネルを抜け、街路を通り、サン・マルタ館へ向かう。
エレベーターに乗り込んだローレンスは赤いカロッタを被る。8階で降りる。通路には既に多くの聖職者たちの姿がある。真っ直ぐに教皇の寝所に向かう。永遠の眠りに着いた教皇(Bruno Novelli)の隣で膝を突く。Subvenite, Sancti Dei occurrite, Angeli Domini, Suscipientes animam eius. Offerentes eam in conspectu Altissimi. ジョシュア・アデイエミ枢機卿(Lucian Msamati)がラテン語で祈りを唱える。その場に居合わせた枢機卿たちが続ける。Suscipiat te Christus qui vocavit te et in sinum Abrahae angeli deducant te. 祈りが続く中、ローレンスはベッドサイドテーブルの聖書と老眼鏡に目を留める。Sicut erat in principio et nunc et semper et in saecula saeculorum. Amen. 彼は神と共にある。教皇の指から漁師の指輪が取り外され、指輪から剝がされた金属の円盤がケースに収められる。ジョセフ・トランブレ枢機卿(John Lithgow)が教皇の座が空位になったことを宣言する。
チェス盤を前に坐るアルド・ベリーニ枢機卿(Stanley Tucci)がローレンスに尋ねる。これを形見にもらっても構わないかな? もちろん。君に譲るつもりだったろう。よく遊んだものだ。リラックスするのに役立つと言ってね。勝つのは? 教皇さ。8手先まで読んでいた。残念だ。何が起きたか分かるか? 心臓発作だと。兆候はあった。知らなかった。知られたくなかったんだ。退位の噂が広まるだろうと懸念して。
ローレンスは、ベリーニやアデイエミとともにヤヌシュ・ウォズニアック大司教(Jacek Koman)から聴き取りを行う。つらいとは思うが、陳述書を用意しなければならないのでね。教皇の遺体を発見したのは誰かな? 私です、猊下。それから? 医師に連絡しました。11時30分頃です。もっと早くに連絡したかったのですが…。そこへトランブレがやって来た。あなたやアルドほど教皇と親しい者はいないとは分かっていんだが、ヤヌシュには連絡を控えるよう頼んだのだ。全ての状況を把握するためにね。教皇の亡くなる日の行動記録と最新の医療記録だ。トランブレが書類を取り出す。最後に教皇と面会予定だったのは? おそらく私だ。その日の教皇の面会について全て記録して下さい。教皇は最期まで職務に身を捧げたことは確かです。病人に過重の負担をかけていたのだ。教皇は重責だからな、とりわけ年配の者にとっては。
教皇の顔に布が被せられる。Sigillare la stanza. 遺体が袋に収められ、ストレッチャーに乗せて寝室から運び出される。部屋の扉がリボンで結ばれ、封蝋が施される。
3週間後。コンクラーベ前日。
コンクラーベが行われるシスティーナ礼拝堂で準備に追われるローレンスにマンドルフ大司教(Thomas Loibl)が報告する。警備が妨害装置のテストをしたいと。それなら急いで下さい。本当に必要なのですか? ガラスの振動で盗聴可能だと。本当かね? 閉所恐怖症の者がいないことを祈るよ。どれくらいの間ここで過ごすことになるか分からないからね。時間通りに終わるかな? 必要なら徹夜で作業します。秘書のレイモンド・オマリー(Brían F. O'Byrne)は座席の確認を行っている。地獄絵図ですね。冒涜的なことを口にするものじゃない。地獄なら明日来るのだから。これはどう発音すれば? カールコーです。インド人です。ウォズニアック大司教がお話ししたいと。無理だろう。枢機卿たちは1時間後に到着する。何についてだね? 何も。ひどく動揺しているようでした。6時から隔離だ。もっと早くに来るべきだった。そうお伝えします。いや、枢機卿たちに合った後に会うと伝えてくれ。先行きが不安なのだろう。
アグネス(Isabella Rossellini)ら修道女たちがコンクラーベに参加する枢機卿たちの受け容れのためにサン・マルタ館へやって来る。部屋の準備、持ち物の管理などの準備を整える。警備や施工業者により情報遮断のための準備やセキュリティチェックも進められる。枢機卿たちが続々と到着する。
ローレンスがマンドルフに確認する。何人目かな? 103人目です。テデスコはどこへ? 来ないかも知れない。それは望みすぎというものだ。そこにベリーニが現われる。私が最後か? いや。調子は? ひどい。新聞は? 私が後任に決まっているらしいね。賛成だよ。私が望んでいなければ? 正気の人間なら教皇の座など望むはずがない。望んでいる枢機卿もいる。自分の価値がないと分かっていたら? 誰よりもふさわしい。いいや。それなら支持者たちに投票しないように言うんだね。そして彼に? ちょうどゴッフレード・テデスコ枢機卿(Sergio Castellitto)が姿を現わした。

 

教皇急逝の報に、首席枢機卿トマス・ローレンス(Ralph Fiennes)ら教皇庁の首脳がサン・マルタ館へ結集し、教皇(Bruno Novelli)に祈りを捧げる。教皇の寝所から遺体を運び出し、部屋を閉鎖すると、ローレンスは教皇の世話係ヤヌシュ・ウォズニアック大司教(Jacek Koman)に死亡時の状況を確認した。早くにローレンスに連絡できたが、最後に面会したジョセフ・トランブレ枢機卿(John Lithgow)に止められたと言う。トランブレは教皇のスケジュールと診療記録を提出した。首席司祭退任を申し出て却下されていたローレンスは、病状を秘匿していた教皇が死期が迫るのを悟り、コンクラーベの差配を期待していたのではと考える。3週間後。コンクラーベ前日。システィーナ礼拝堂でマンドルフ大司教(Thomas Loibl)らと設営を終えたローレンスがサン・マルタ館で枢機卿たちを受け容れる。改革派の亡き教皇に近いアルド・ベリーニ枢機卿(Stanley Tucci)はローレンスと親しく、下馬評では次期教皇と目されている。地元イタリア出身のゴッフレード・テデスコ枢機卿(Sergio Castellitto)は反動的な主張で保守派から支持されていた。枢機卿たちの隔離直前にウォズニアックが酔って現われ教皇との最後の面談で不正行為によりトランブレが枢機卿を解任されていたと訴えた。また、秘書のレイモンド・オマリー(Brían F. O'Byrne)は昨年秘密裡に叙任されたカブール教区のヴィンセント・ベニテス枢機卿(Carlos Diehz)が現われたと言う。

(以下では、全篇の内容について言及する。)

コンクラーベにおいて、亡き教皇の改革を継続するか、あるいは保守派が巻き返すか党派争いが起こり、多数派工作が展開される。下馬評で次期教皇と黙される改革派のベリーニは穏健派の指示を得られず票が伸びない。他方、保守派のアデイエミはアフリカ系の有力候補だがスキャンダルが明るみになる。トランブレは穏健保守派だがローレンスは前教皇の世話係であったウォズニアック大司教から不祥事により解任されていたとの情報に接し、対処に苦慮する。保守派のテデスコは優位に立つ。
ベリーニは新聞で次期教皇と報じられ、教皇の椅子が目前となった。自分は教皇の器では無いと言いながら、内心では教皇を務める気満々となっている。故に思った以上に票が伸びないことに苛立ち、むしろ一定票がローレンスに流れていることにローレンスは裏切り行為だと思う。後にベリーニは、野心こそ聖性の蛾だと悔いる。
コンクラーベに先立ち、ローレンスがスピーチする。亡き教皇を偲び、新たな教皇を正しく選ぶことができるよう神に祈る旨をイタリア語で型通りに話した後、英語で自らの考えを表明する。パウロが尊重した多様性こそが教会に力を与えていること、キリストが十字架の上で神に疑念(Dio mio, Dio mio, perché mi hai abbandonato?)を抱いたことを引き合いに、疑いがなければ神秘は存在せず、信仰の必要もなくなってしまう。だから恐れるべきは確信なのだと。だがローレンスは、有力候補が姿を消す中――亡き教皇に羊飼いと農場管理者とがいるという言葉も念頭にあったろう――、自らが教皇にふさわしいとの確信を抱いてしまう。そのとき、ローレンスの慢心を諫める事態が起こる。
ベニテスコンクラーベ前日の晩餐で他の枢機卿に紹介され、食前の祈りを捧げる。その際ベニテスは食事をともにしない者、飢餓や病気に苦しむ人、孤独な人、食事を用意した修道女たちに思いを馳せるよう促す。また、ある出来事の後、テデスコが宗教戦争を勝ち抜く教皇が必要だと訴えた際、コンゴイラクアフガニスタンと戦地を輾転としてきたベニテスは、戦争の何を知っているのかと反論する。戦うべき相手は憎しみから敵味方を生み出す自分自身だと、権力の亡者達を痛烈に非難するのだ。
教皇が可愛がっていた亀は時々池を離れてしまう。ローレンスは亀を池に連れ戻してやる。亀は疑いの心を象徴する。疑いが頭を擡げるからこそ信仰が必要になる。罪を犯さない者はない。自らの闇を知るときこそ、神の光に気付くのである。