可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 倉敷安耶個展『祖母は屋敷にひとりで住んでいた。』

展覧会『倉敷安耶「祖母は屋敷にひとりで住んでいた。」』を鑑賞しての備忘録
LAG(LIVE ART GALLERY)にて、2025年10月3日~18日。

外国寺院居留地のあった神戸近郊に元はゼネラル・エレクトリック社が幹部用社宅として建設し、後には祖母が一人暮らしをしていた洋館を舞台にした写真「セルフポートレート:祖母の服を着た」シリーズを中心とする、倉敷安耶の個展。

「セルフポートレート:祖母の服を着た」シリーズは、現在は父親の事務所(レースカーテンの窓越しに椅子に坐りパッドを操作する父親の後ろ姿を捉えた《父》(178mm×127mm))と倉庫を兼ねる、亡き祖母が一人暮らしをしていた洋館(正面からの外観を捉えた《祖母の家》(1120mm×1455mm)を舞台に、祖母に似る作家が祖母の服を身につけた自らを被写体に撮影した写真群。《セルフポートレート:祖母の服を着た #06》(210mm×297mm)は、ビニールをかけた家具などがいっぱいの締め切った暗い部屋で、カーテンを半ば開けた窓の前に坐る黒い衣装を身に付けた姿を捉える。複数の白い花のシェードを持つ天井灯は消され、薄闇の中に雑多な物と作家とは黒い影として一体となる。《セルフポートレート:祖母の服を着た #04》(297mm×210mm)は、暗い通路の奥に窓のある小部屋に坐る白いブラウスとスカートを身につけた作家が坐る姿を捉える。正面に木の影だけが淡く映る窓があり、通路に置かれた物は闇に沈む。窓の手前のキャビネットの上には籠やレジ袋に入った雑多なものが並ぶ。窓を見詰めて坐る作家の姿は入口脇の壁に半ば隠れている。《セルフポートレート:祖母の服を着た #03》(297mm×210mm)は2階の廊下に出てきた黒い衣装の作家を捉える。右手前から中央に向かって階段の手摺が伸びる。その奥に作家の姿がブレて現わされる。奥の窓が外光で白く光るが、通路のキャビネットなどで半ば隠される。とりわけ手摺の凭せ掛けた捲いた絨毯が宙空に突き出ているのが印象的である。《セルフポートレート:祖母の服を着た #02》(297mm×210mm)には、白いブラウスに黒いスカートの作家が裸足で階段状に立つ姿が映る。背後の窓から入る外光によって作家の頭部が半ば消えている。壁、階段、手摺の作る線が窓の光に向かう効果線として機能する。《セルフポートレート:祖母の服を着た #05》(297mm×210mm)には、階段脇、玄関の前に立つ作家のシルエットが浮かぶ。作家の立つ玄関前の天井には緑のガラス製ランプが浮かび、輝いている。だがその光はレースカーテンを閉めた窓からの光よりも弱く、却って室内の暗さが際立つ。《セルフポートレート:祖母の服を着た #08》(297mm×210mm)は、左側に流し、右側に冷蔵庫、手前にガラスケースや段ボールなどが積まれたキッチンで撮影された作品で、奥にある勝手口(?)に向かうブラウスとスカートの作家が見える。キッチンが使われていないことから起居の場として建物が使われていないことが分かる。《セルフポートレート:祖母の服を着た #09》(210mm×297mm)には、ビニールを掛けた家具や何かを詰めた黒いビニール袋が多数置かれた部屋の中央で黒い衣装の作家が起ち上がる姿が捉えられている。カーテンは開けられ窓からは光が射し込み、その光によって作家はシルエットになる。なおかつ何かの上に立っている作家は頭を下げるような動作により上半身がブレている。《セルフポートレート:祖母の服を着た #10》(297mm×210mm)には窓際に佇む白いブラウスに黒いスカートの作家の姿が映される。窓台に右手を置きやや俯く作家の周囲には、衣装を掛けたラック、梱包材に覆われた段ボールなどが並ぶ。物が置かれた通路越しに捉えられ、手前に拡がる闇が強調される。《セルフポートレート:祖母の服を着た #07》(210mm×297mm)では、カーテンを閉ざした暗い部屋の姿見に向かいの部屋に坐る作家の姿が映り込んでいる。。《セルフポートレート:祖母の服を着た #08》(297mm×210mm)は、手前の部屋から開かれた扉の奥を左から右に歩く作家の姿を捉えた作品。背後からの外光で明るい手前の部屋に対し、荷物の溢れる奥の部屋は暗い。作家の上半身のブレで通り抜ける運動が表現される。
階段室の宙空に突き出した絨毯は依代として霊を呼び寄せる。作家は亡き祖母の衣装を身につけることで祖母に憑依される。死者の存在は、影あるいは鏡像として、あるいはイメージのブレが象徴する変遷によるセルフポートレートは、窓や玄関といった境界、そして何より闇と光との間(はざま)を舞台にすることによって、現在に存在可能となる。
植栽に囲まれた洋館の正面を映した《祖母の家》は敢て落剥が施され穴が穿たれている。経年により喪失を擬態するのではない。失われたものを充填するための余地を生み出すのだ。ところで、ポルターガイスト[Poltergeist]の1つに電気の明滅がある。科学的見地からすれば噴飯ものの現象かもしれない。だが心霊現象はテクノロジーに結び付く。テクノロジーが発達して不可視の領域が拡がれば拡がるほど、両者の結び付きは却って容易にさえなるだろう。科学やテクノロジーではカヴァーできない領域、穴は常に存在するのであり、むしろ穴の存在を忘却することの方が恐ろしいとは言えまいか。《祖母の家》では暗い室内に電灯が灯るのが見える。闇=死者の存在を浮かび上がらせるのは、ゼネラル・エレクトリック社のような電力会社の電気ではなく、闇=死者に眼差しを向ける智慧である。会場には作家の祖母の鏡とテーブルランプが置かれている。祖母≒死者の光による啓蒙[enlightment]。