可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 矢野憩啓個展『フルーツバスケット』

展覧会『第2回BUG Art Award グランプリ受賞者個展 矢野憩啓「フルーツバスケット」』を鑑賞しての備忘録
BUGにて、2025年10月29日~11月30日。

幼児が遊ぶ椅子取りゲーム「フルーツバスケット」において鬼役の指示するグルーピングなどに着目し、一方で任意に選択したイメージを画面に配し、他方で言葉を単語カードに束ねることで、切り分けることと繋ぎ併せること、延いては境界の恣意性について思考する、矢野憩啓の個展。絵画30点と単語カード(日・英)3束などで構成される。

《Floating》(1620mm×1303mm)は、膝を曲げて仰向けに水に浮く男性、サソリ、マスカットの房、アーチ状のトピアリー、ピンクの絨毯、カーヴミラー、バラの花、金槌、植木鉢、タイル張りの壁、臑、川の写真などが配される絵画である。水に浮くことは泳ぐことを介して手の水かきに通じる。金槌は泳げないことを意味するので泳ぐことに通連関する。水は水鏡としてカーヴミラーに、あるいは絨毯にデザインされた水生生物のジュゴンに繋がる。見出しやすいものもあれば、難しいものもある。作者の発想を知るには、フェイクグリーンの生垣ブロックに掛けられている単語カードの束を参照すると良い。
3種の単語カードの束は日本語・英語で用意されている。3種あり、その1つには「フルーツバスケット」3枚(遊び、本展タイトル、果物を盛った籠)、「フルーツ」、「言葉」、「口」、「翻訳」、「スイカ」、「ペガサス」、「手」、「オレンジ」、「香り」、「鼻」、「思い込み」、「尾ひれ」、「水かき」、「人魚」、「魚」、「蠍座」、「ほくろ」、「シャインマスカット」、「狩猟画」が組み合わされている。一般的な説明が指摘されることもあるが、「フルーツ」なら絵画のモティーフ、「蠍座」なら生殖器を司るなど、作家の着目した意味が採用されている。「ほくろ」が体の表面である星であるとか、「シャインマスカット」が男性用小便器の消臭剤に見えるとか、作家の持つイメージがそのまま記されているものもある。
改めて《Floating》を眺めれば、サソリとハート型の黒子のある臑とが重なるように配される理由が分かる。サソリは蠍座であり、黒子は体の表面の星であり、星を介して両者は連関するのである。サソリ=蠍座は男性用下着と生殖器を介して、男性用下着は切り開くと"H"が現われるので水(hydro)に通じる。水=プールはトピアリーを便座に変え、シャインマスカットは消臭剤となる。

 マーケッティングの影響や、新たなデジタル技術の活用による抜本的な変化よりも、もっと気になることがあった。それは絵画作品を理解する手がかりが失われつつあったということだ。描かれた主要テーマは聖俗どちらにしても、現代人の関心からはほど遠いところにあった。古代の寓話や登場人物の多くは謎のままだったが、その謎は退屈な謎であり、ウィキペディアで検索するほどの関心もなかった。ホラティウス兄弟が何者であり、兄弟の誓いの本質がなんであるかを知る者はほとんどいなかった。継続的な世論調査では、宗教という巨大市場において無神論が大きなシェアを占め、美術館のガイドは学生グループ相手に、洗礼者ヨハネとは何者か、時にはイエスやマリアについてさえ、説明しなければならなかった。要するに、前提となる基準がわからなくなっていた。オレリアンがエジプト医術の宇宙論や儀式について無知なために、それに感動することがないのと同じように、現代人は絵画の単純な美的評価を越えようとするが、ほとんどの場合、作品がどんなに美しくても意味を欠いたままだった。それはあたかも、この芸術、つまり彼自身の関わる芸術が、世界を説明する力を少しずつ欠いているかのようなのだ。(ポール・サン・ブリス〔吉田洋之〕『モナ・リザのニスを剝ぐ』新潮社〔新潮クレスト・ブックス〕/2024/p.84-85)

「前提となる基準がわからなくな」り「世界を説明する力」が働かなくなった芸術の姿は、歴史の垂直性が消失し、全てがユーザーの関心の赴くままに水平に並べられるインターネットに常時接続する世界の似姿である。基準が崩壊し境界が曖昧になる中、統計的な結果に基づく「あなたへのおすすめ」に依存する傾向はますます強まるに違いない。スイカを並べた背景にパンツ、人差指と中指に指人形を嵌めた右手を描いた《Scale》(1167mm×1167mm)が、スイカの緑と黒の縞を剥ぎ取った《Watermelon》(530mm×652mm)とともに会場に並べられるのは、自らの価値尺度を持つことはできるのかという問い掛けである。そして、鬼役の作家は、自ら言葉を選択し、自ら絵を描けと訴えるのである。