展覧会『沢田英男彫刻作品展「かたわらに」』を鑑賞しての備忘録
日本橋髙島屋美術画廊Xにて、2021年9月8日~27日。
木彫36点で構成される、沢田英男の個展。
陳列されている作品のほとんどが人の姿をモティーフとしている(4点ほど動物をモティーフとした作品も出展されている)。腕や足を彫り出した作品もあるが、頭・首・胴によって人物を表わした作品が多い(例外的に弦楽器や楽譜や杖を持つ像も1点ずつ見られる)。台座に立てる(固定する)ための2本の細い金属の芯が脚に見立てられている作品も多い。この2本の支えは、像に浮遊感を与えるとともに、「ひとがた」ないし形代の印象を生み、清明の気を漲らせる。頭部には、鼻と思しき高い部分はあるものの、目・口・耳などは表わされていない。顔はのっぺらぼうに限りなく近づいている。そこには像が静寂を湛える理由の一端がある。それでも削り出された面の組み合わせによる微細な差異が、像ごとの個性を生み出している。表情がほとんど何も語らない分、像のフォルムやシルエットから情感を推察するよう迫られる。首がどの方向にどれだけ傾けられているか、反った姿勢か前屈みの姿勢か、胴が鋭利なラインで削がれているかそれともゆったりとしたカーヴを描くか。安定と不安定、落ち着きと不安、充足と孤独といった像の1つ1つの性格が仄かに感じられる。胴には衣装に見える彫りや彩色が施される。作品の中には、座禅を組むものや袈裟のような衣装を持つものがある。僧侶の姿である。頭頂部の盛り上がり(肉髻)のある作品や光背のある作品は仏像であろう。胴に黒、首元に白を塗った宣教師らしき像もある。このように具体的なイメージの作品もあるが、全ての作品にタイトルが付けられていない。例えば、コンスタンティン・ブランクーシのシンプルな造形の頭部像を目にするとき、タイトルに《眠れるミューズ》とあれば、それに基づいた解釈が導き出されるだろう。タイトルがないということは、その制約なく自由な解釈が可能になるということであり、同時に自らの準拠枠が試されることにもなる。自らが何に拠って立つのか、立像に問いかけられるのだ。