可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

本 天野知香『マティス 「装飾」が芸術をひらく』

天野知香『マティス 「装飾」が芸術をひらく』平凡社(2024)を読了しての備忘録

アンリ・マティス(1869-1954)の創作活動をほぼ時系列に沿って紹介。制作時のプロセスを表現に結び付けることで造型行為が反復/差異化のパフォーマティヴな実践、意味生成の場であることを示し、また、モダニズムの観点からは否定的評価も下される装飾を終始一貫して肯定的に捉えることで、芸術の価値を1つに還元せず、絵画の多様な可能性へと導いたと評価する。

目次
序章
第1章 開かれた窓
1 遅れてきた青年/2 《豪奢・静寂・逸楽》/3 〝フォーヴ〟の登場/4 コレクター達/5 破壊と創造
第2章 見出された絵画
1 画家のノート/2 『プリミティヴィズム』/3 ヴァリエーション/4 身体の探求/5 模様のある布と室内
第3章 モロッコ旅行から第一次世界大戦
1 モロッコ旅行/2 制作のプロセス/3 第一次世界大戦マティス/4 キュビスムと造形的探究/5 版画と民間人捕虜支援/6 モデルへの回帰/7 アトリエの主題
第4章 画家とモデル
1 秩序への回帰/2 ニースへ/3 『50のデッサン』/4 オダリスクの時代/5 神話への回帰 
第5章 新たな展開
1 回顧される芸術/2 マティスの大旅行/3 バーンズの《ダンス》/4 『マラルメ詩集』/5 ジョイスの『ユリシーズ』/6 シュルレアリスムマティス/7 壁画の時代/8 バレエの装飾/9 情念定型(パトスフォルメル)
第6章 開かれた絵画
1 第二次世界大戦/2 色彩とデッサンの葛藤/3 『テーマとヴァリエーション』/4 マーグ画廊での展覧会/5 最後の室内画群/6 切り紙絵/7 筆のデッサン/8 ヴァンスの礼拝堂/9 抽象とモダニズム/10 「装飾」が「芸術」を開く
あとがき


アトリエで女性のヌードを捉えた《カルメリーナ》(1903-04)では、モデルの背後に画家の姿が映り込む。

 (略)画面に身体のヴォリュームを支える奥行きを与えていると同時に、画家の、モデルを前にした、見る者と見られる者との関係の中で展開される自身の制作行為を意識化する役割を果している。(天野知香『マティス 「装飾」が芸術をひらく』平凡社/2024/p.36)

黒い衣装に身を包む妻を描く《帽子の女》(1905)では、補色近い対照的な色を置くことを次々と繰り返すことでカラフルなイメージが表わされている。

 (略)マティスの彩色行為はまた一方で、画面に色彩を1つ1つ置いてゆく身体的な行為としての制作のプロセスをトウして、目に見える対象を契機とする「感覚の実現」を求めたセザンヌの教えとも結びつく。しかしそこで実現される感覚は、マティスの場合、背算に関して指摘されてきた自然のもたらす色彩やくうかん、光や量感といった視覚的な感覚にとどまらず、対象から引き出された画家の感情や欲望とも結びついていたと捉えるべきだろう。マティスがこのとき見出したのは、筆触を通して色彩を1つ1つ積み重ねることで色彩のバランスを調整し、いわばその色彩の力学によって画面を変化させ・構成してゆく制作の時間的・身体的プロセスであり、この現実の時間の中で絵の具を置く身体的な行為として展開される制作のプロセスを通して、彼が対象から引き出した感情や感覚、欲望や官能の表現を実現する方法に他ならなかった(略)(天野知香『マティス 「装飾」が芸術をひらく』平凡社/2024/p.47-48)

このような評価は、1908年12月にマティスが『グランド・ルヴュ』誌に発表した「画家のノート」(第2章1参照)に基づく。

 (略)それは結果的に現実の忠実な模倣とはかけ離れた形態と色調とを持つことになるが、それらの互いの互いの関係は決してその場かぎりの恣意的なものではなく、積み重ねられた制作過程におけるある種の必然の結果である。しかしこうした必然は色彩理論や予め決められた法則によるものではなく、マティスの対象から引き出された感覚に基づく制作行為のプロセスが積み重ねられ、もたらした結果である。こうした色彩自体の力関係に基づく構成の理解において、新印象主義の理論が果たした役割は重要であった。しかしマティスはこうした理論に縛られるのではなく、そこに自死にの対象から引き出された感覚というファクターを結びつけることで、自身の造型を形作る。新印象主義を経たマティスの彩色において、しばしば大まかな補色の関係のような色彩理論に基づく側面が指摘できる一方で、彼はまた「補色の理論そのものは絶対ではない」と述べている。理論に従うのではなく、彼が対象を前にして感じ、そこから引き出された感情や感覚が色彩の力関係に基づいて画面を構成する中で表現されるのである。(天野知香『マティス 「装飾」が芸術をひらく』平凡社/2024/p.76-77)

《オルガ・メルソンの肖像》(1911)では、坐るオルガの顎の下から左太腿にかけてと左脇の下から腰にかけて同心の弧が2つ配されているのが印象的である。

 (略)リチャード・シフは、マティスのマチエールが持つ身体的な感覚について言及した興味深い論文の中で、この肖像の線に関して、「絵具の触覚的な筆致としての物質的な特徴を保持しており、カンヴァスの大きさに応じて腕や手を動かす芸術家の身体の存在の記録である」と述べている。すなわち、描かれた身体は対象であるオルガの身体であると同時に、制作行為を通じて画家の身体をも表象している。そうして「完成」された画面を前にして、見る者は、どこまでが「本質的」な対象であり、どこまでが「付加的」な要素であるのか、という問い掛けを思わず誘発される。画面の様々な要素は彼女の身体を支え、形作り、同時に破壊し、変形させる。それは彼女の身体の表象を形作る部分であると同時にそれを破壊する外部でもある。この作品は描かれてすぐオルガに贈られたが、彼女の死後この作品を入手した親族の女性がマティスにこの作品の太い曲線を消すように求めた時、マティスはこれが作品全体の一部をなすものであるとして消去することを拒否している。この線は画面構成の構造を強調するものであり、ここではエッセンスとしての対象とそれを取り巻く付加物が存在するのではなく、画面の全ては作品をなく不可欠な要素であり、同時に対象との心理的な結びつきの中でマティスによって展開される制作行為のプロセスそのものの痕跡なのである。(天野知香『マティス 「装飾」が芸術をひらく』平凡社/2024/p.149-150)

もともと《ダンス》や《音楽》とともに楽園的な情景の3部作の1つとして構想された作品に基づく《川辺の浴女たち》(1909-17)には4人の女性のヌードが描かれる。

 (略)後ろ向きの身体を除くここに描かれた身体には、胸の表現によって女性身体であることが示されている。とりわけ興味深いのは、よく見ると幾何学的に抽象化され、黒い輪郭にグレーで表わされた身体の内側に、赤みがかった肌色の柔らかな膨らみを持つ一回り小さい身体が見えることである。このことは特に右端の人物において顕著であり、右から2番目の人物や左端の人物の脚や腰の部分にも見え隠れしており、それは最終的な造型に先立つ制作のプロセスの痕跡であるのだが、部分的には画家によって描き起こされている。この作品は1926年にパリの画廊で展示された際、「純粋絵画」へ向かう方向を意味するものとしてのキュビスムに結びつけられ、その革新性が賞賛される一方で、多くの評者が戸惑いを見せた。その中で、批評家のギュスターヴ・カーンはこの作品に光の効果に包まれた「若い娘たちの美しい身体」を見出している。その制作のプロセスにおいて、おそらく戦争中の精神的緊張や同時代のキュビスムの興隆といった状況の中で、作品の厳しい抽象化が推し進められる一方で、そうした抽象的な身体は開かれ、その裂け目から抽象化される以前の生身の女性身体の魅力を喚起する形態を垣間見させることで、生身の身体から引き出される感覚や感情、あるいは欲望を呼び起こし、見る者にもたらす感覚を多声的なものとしている。一見モダニズムに基づく造型の抽象化や純粋化といった前衛的な試みは、その重層的な制作プロセスを残した画面から生身の肉体が不気味に現れることで、達成と同時に破壊差、制作の出発点となった楽園的な情景と結びつく欲望は、前衛的な造型によって抑圧されると同時に作動する。ここでマティスが求めたのは単純に抽象的な新しい造型や様式ではなく、制作過程の葛藤や揺らぎを孕んだ多義的で多声的な重層化された画面を通して、「若い娘たちの美しい身体」が喚起する、性的な欲望と結びついた感覚や感情を、彼自身の画家としてのあり方を打ちたてるプロセ(過程/葛藤)とともに「表現」することでもあった。(天野知香『マティス 「装飾」が芸術をひらく』平凡社/2024/p.166-167)

因みに「黒い輪郭にグレーで表わされた身体の内側に、赤みがかった肌色の柔らかな膨らみを持つ一回り小さい身体が見える」イメージは、後年、切り紙絵《ズルマ》(1950)において、恰も宝誌和尚像の顔から十一面観音が現れ出るように、青い身体から山吹色の身体が現れ出るようなイメージにおいて繰り返されている。
閑話休題、制作過程における葛藤の証拠として、後には制作時に写真が撮影されるようになる。例えば、マティスは《大きな横たわる裸婦(ピンクヌード)》(1935)を購入したコレクターに作品とともにイメージの変遷を示す22枚の写真を作品とともに送っている。

 (略)マティスにとってこうした制作過程が、完成作のための、単なる乗り越えられ、否定されるべき段階では決してなく、その各段階が彼の感覚や感情を表現するあり方として意味を持つと理解していたことを示しているのであり、画家にとって完成作のみが重要なのではなく、まさに持続的な制作のプロセス自体がその表現を理解する上で不可欠と考えていたことを物語っている。(天野知香『マティス 「装飾」が芸術をひらく』平凡社/2024/p.166-167)

葛藤や揺らぎを孕んだ絵画は、容易に答えの出せない事柄を受容するネガティヴ・ケイパビリティの絵画と言えるのではなかろうか。後年、助手にグアッシュで彩色させた紙を切り抜いて貼り合せる切り紙絵の手法が採用されるが、そこに現われる未定形は、ネガティヴ・ケイパビリティを象徴するように思われる。

 マティスは「私は自分がハサミで作り上げた携帯に奇妙にも驚かされ、その意味はその後にもたらされる」とも述べている。切り紙絵では、時にはその手のリズムがもたらした形態に、マティスは後から意味を与えている。このことは切り紙絵が、単にその表現媒体としての変化のみならず、表現のあり方として根本的な変化をもたらしたことを示唆している。マティスのハサミによって生み出される形態は、多様な意味を喚起し、文脈によってその意味を変える多義的なフォルム/アモルファスネスともなるのである。つまり1つの形であると同時に、何ものにもなりうる可能性を孕んだ、まだ定まらない形、すなわち無定型(amorphousness)とも言えるのである。(天野知香『マティス 「装飾」が芸術をひらく』平凡社/2024/p.333)

《ダンスⅡ》(1910)において手を繋ぎ踊る5人は、輪になるようにも輪が崩れるようでもある。のそれがマティスの作品の魅力の核心にあるように思われる。晩年の切り紙絵《スイミング・プール》(1952)では人物が図としても地としても表わされる。身体自体は1つの形であるが、その組み合わせや図と地の反転により「何ものにもなりうる可能性を孕ん」でいるのである。

 (略)マティスは生涯を通じて装飾の概念を自身の芸術と肯定的に結びつけたが、ただし彼自身もまた、先にみたように、1908年の自己の芸術に関する最初の発言において「表現とは(…)私のタブローの配置の仕方全体のうちにある(…)構図は、画家が自分の感覚を表現するために配置する様々の要素を、装飾的な仕方で構成する仕事である」と述べることで、装飾的構成と表現を1つに結びつけ、装飾に表現という精神性を担保した。それによってマティスはある意味では自身の装飾への志向を、表現という概念によって、西欧美術に於ける精神性の重視という伝統につなぎとめたと言えるだろう。(天野知香『マティス 「装飾」が芸術をひらく』平凡社/2024/p.365)

マティスが、モダニズムが否定的に捉えた装飾に対して肯定的に接することができたのも、非西欧の文物の装飾に触発されたという「東洋の啓示」に基づくのみならず、モダニズムを相対化する揺らぎを抱え込むことによってであったようだ。

 (略)マティスにおける西洋の伝統を超えた新たな絵画空間の展開やその「装飾性」は、これまでしばしばこの「東洋の啓示」という概念に安易に還元されてきた。平面性や装飾性自体を一括りに「東洋」に重ね合わせることは、それ自体非常に偏った西洋による一方的な「東洋」観に基づくものである。それとともに、これまでみてきた通り、マティスが西洋絵画の流れと多様なモダン・アートの問題を踏まえながら先達を研究し、それを内側から捉え直すことで彼がその作品制作を通して実現した絵画の意味をオリエンタリズムと結びつく安易な影響論のみに還元することはできない。(天野知香『マティス 「装飾」が芸術をひらく』平凡社/2024/p.119-120)

マティスの作品の汲めども尽きぬ味わいを堪能するためにもネガティヴ・ケイパビリティをもって対峙することが肝要なのかもしれない。