可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 Tajika個展‬『Catch Your Heart』

展覧会『Tajika「Catch Your Heart」』を鑑賞しての備忘録
日本橋N11ギャラリー‬にて、2025年8月2日~22日。

愛憎の葛藤をテーマとした絵画で構成される、Tajikaの個展。

表題作《Catch Your Heart》(333mm×242mm)は、何かを握りつぶす左手を青い闇に浮かび上がらせた作品。木目が鮮明に見える程に淡く着彩された手の握り締めた指の間から血が滴る。何を握り締めているのかは判然としない。画題をそのままに受け取れば心臓になろうが、拳の両側から突き出すのは尖った尖端だ。対象を握り潰し溢れる血か、それとも握り締めて疵付いた手から流れる血か。否、拳こそが心臓であろう。心臓の大きさは拳大と言われているからである。対象の心を捉えようとして、相手の心も、自らの心も傷ついてしまう、ヤマアラシのジレンマである。

《トロピカル☆アイランド》(1230mm×970mm)は、裸体の男女が横に並んで立つ姿を表わした作品。目・鼻と唇を赤でざっと塗っただけの顔、ペールオレンジの身体には赤紫の線で肩・腕・脚、乳房などの輪郭がさっと描き入れられている。輪郭の周囲をなぞるように青い闇が覆い、背後にはそれぞれ擦れた紫色で影のようなものが輪郭線のみで描かれる。白い光で充たされた空間には、明るい黄緑色で表された植物がわずかに見える。さっと刷かれた赤い線は花か、あるいは風の流れか。否、禁断の果実であろう。2人とも無花果の葉を下腹部に着け、なおかつ隣には《へび》(190mm×240mm)が展示されていることから、エデンの園のアダムとイブと知られる。禁じられた木の実を蛇に誘惑されて口にしたがために、2人は顔を赤らめ、また無花果の葉を必要としたのだ。画題から楽園は島として周囲から隔絶した世界であることが、2人が宵闇を背負うことから楽園から追放されることが示される。

《Ophelia》(606mm×727mm)は、草叢に横たわる女性の上半身を描いた作品。画面上半分の黄緑の空間には赤い花が散り、画面下側には青や青緑の草が繁茂する地面に顔を鑑賞者の側に向けて眠る女性の姿がある。楕円の顔に3つの弧で目と口を描き、肩と胸の膨らみを表す輪郭線だけで上半身を表す、略画的表現が採用されている。胸の辺りの肌はクリーム色であるのに対し、顔は茶と青で描かれているのは、オフィーリアの死を表すためであろう。とりわけ彼女の周囲に黄や赤の花が散らされている点に、ジョン・エヴァレット・ミレー[John Everett Millais]の《オフィーリア[Ophelia]》が下敷きと看取される。《Ophelia》の隣には、蔦で囲われた画面に涙をこぼし坐るクマのぬいぐるみを描く《さようなら》(652mm×500mm)が掛けられる。捨てられたぬいぐるみを描くのだろうが、その涙はオフィーリアの死を悼んで流されるようにも見える。

《Salome》(500mm×606mm)は青い闇に皿があり、カラスの頭部が載せられている。オスカー・ワイルド[Oscar Wilde]の『サロメ[Salomé]』を踏まえるなら、皿に載るカラスの頭部はヨカナーンの頭部に比せられる。だがなぜカラスなのだろう。ところで《Mr.》(1230mm×970mm)には頭部を切断された、白いYシャツにネクタイを締めてジャケットを羽織った男性が描かれる。ワイルドの『サロメ』(1891)が発表された19世紀末は男性が黒いスーツに身を包んでいた。ならばカラスとは黒尽くめの服装の男性を象徴しているとも介される。また、エドガー・アラン・ポー[Edgar Allan Poe]の『大鴉[The Raven]』(1845)に登場する"nevermore"と繰り返し啼くカラスを介して、描かれていないサロメが、たとえヨカナーンの切断された頭部を手にしたとしても、彼の心を掴むことはできないことを訴えるのかもしれない。