可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 青山悟個展『刺繍少年フォーエバー』

展覧会『青山悟 刺繍少年フォーエバー』を鑑賞しての備忘録
目黒区美術館にて、2024年4月20日~6月9日。

青山悟は、祖父・青山龍水の影響で幼い頃から画家を志し、長じて刺繍により制作を行うに至った。工業用ミシンによる刺繍作品には、美術に対する工芸の価値付けなど美術を巡る問題から、機械生産に対する手仕事の再評価など産業構造の問題、情報や決済手段といった社会システムの問題までが広く縫い込まれている。校庭や駐車場など身近な風景を切り取った初期作品による「1: 初期の作品より―目黒に愛をこめて」、主に近代の画家を独自に評価しポジショニングマップに示した「2: About Painting」、祖父の作品と自作とを並べた「3: 祖父・青山龍水へのオマージュ」、主にウィリアム・モリスの思想を援用して現代の労働や社会のあり方について問う「4,6,10,11: 資本主義、社会主義と労働問題(1)~(4)」、covid-19による行動制限下弛まず制作した社会諷刺作品を紹介する「Everyday Art Market―コロナ禍の『日常』と『非日常』」、アリギエロ・ボエッティの刺繍による世界地図の影響による「7: Map of the World―世界地図」及び「8: アーティストたちの世界地図」、奢侈禁止により木綿の使用を禁じられた津軽の農民が麻布の防寒性を高めるために生み出したこぎん刺しに敬意を表した「9: 名もなき刺繍家たちへ捧ぐ」、紙幣、雑誌、エフェメラをモティーフとした近作を紹介する「12: 新作より―『永遠なんてあるのでしょうか』消えゆくものたちへ」の12章で構成される。

《About Painting》[09]で紹介されるのは、radialとconsevativeとを上下に、social とpersonalとを左右に、近代の画家を評価したポジショニングマップ。画家の代表作を1点刺繍で再現し、作家が好き勝手な短評を付している。例えば、ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat)は最もsocialとして位置付けられ、「光が強ければ影も濃くなる。点描は労働のメタファーで描かれているのはブルジョアの腐敗。色調的にも内容的にも意外に暗い絵なことはあまり語られていない。刺繍の言語との親和性は高い」とのコメントに、《グランド・ジャット島の日曜日の午後(Un dimanche après-midi à l'Île de la Grande Jatte)》の刺繍による模写が添えられている。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti)については、ウィリアム・モリス(William Morris)の妻ジェーン・モリス(Jane Morris)をモデルに描かれた《プロセルピナ(Proserpine)》の刺繍による模写とともに「過去の出来事を今の価値観で裁いて良いのだろうかという議論をよく耳にするが、この絵の作者とモデル(ウィリアム・モリスの妻のジェーン)は、今の言葉でいうゲス不倫の加害者である。女性関係が激しかったロセッティは過去の価値観では恐らく情熱的な男であり、現代に生まれていたら、確実に炎上する男である」とコメントを付している。作家はウィリアム・モリスは手仕事の価値を訴えるとともに、機械労働が労働者をより過酷な労働に追い込むことになると憂慮していたことに共鳴している。モリスの言葉"The waste of labour power would come to an end(労働力の浪費は終わりを迎えるだろう)"を刺繍した作品[34](その言葉を含む手紙の一節をコンピュータミシンが刺繍する様子を捉えた映像作品および刺繍[14]も)がその典型である。「資本主義、社会主義と労働問題(1)~(4)」のセクションを中心に作家の作品から窺えるのは、美術・男性・帝国に対し不当に劣位に置かれてきた工芸・女性・植民地に対する眼差しである。そして、ロセッティが情熱的な男性から倫理的に非難される人物へと評価が反転してしまうように、時代により価値判断は変遷することに作家は期待するのだ。
だが、だからと言って作家は価値の顛倒や転変を手放しに評価するのではない。誰かの夢は他の誰かにとって悪夢かも知れない[31]と、モリスの顰みに倣い、大勢により排斥される価値に目配せすることを常に怠らないのである。現在の価値評価が永続するわけではないからである。紙幣[70]や雑誌[65]のみならず、チラシ[68]やチケット[69]のようなエフェメラを再現した刺繍作品は社会の陰画であり、作品に籠められるのは反転する眼差しである。「永遠なんてあるのでしょうか」という自戒だけがむしろ永続可能ではないかと作家は作品を通じて投げ掛けているのだ。