展覧会『吉田志穂個展「印刷と幽霊」』を鑑賞しての備忘録
BUGにて、2024年10月30日~12月1日。
オフセット印刷機で印刷した写真を壁に垂らしあるいは掛けて並べまたは台に置き、さらには床に大量に積み重ね、併せてPS版(アルミニウム板を支持体とした刷版)展示したインスタレーションによる吉田志穂の個展。
山頂で撮影した太陽、植木鉢の植物が置かれたガラス壁面を持つ部屋の2枚のイメージを中心に、複数のイメージが重ねられ、黒、銀に時折茶のインクを加えて印刷されたものが、展示台の上に置かれ、壁に掛けられ、垂らされている。イメージの重なりに加え、インクの食み出しにより、イメージは多層化・複雑化し、判然としないものもある。会場の入口から見て奥と右手の壁面には、矩形に灰色に塗った部分に、3段に渡って印刷された写真が縦長のものと横長のものとを混在させて並ぶ。会場入口側に向かい上段、中断、下段の順に枚数が増えていく。それぞれの写真は上端で留めてあり下端が固定されていないために揺らぎ、湿気で撓む。浮いていることや脆いことが儚い幽霊のイメージを喚起する。写真の背景にグレーを配したのも、その灰色の中から浮かび上がり、消えていくような感覚をもたらすためであろう。例えば薄布に印刷すれば幽霊的なイメージは高まるだろう。だがそれでは幽霊と並ぶもテーマである印刷が浮かばれない。
印刷においてはインクの滲みを敢て生じさせてある。(印刷は転写なのだから当然と言えば当然ではあるが)デカルコマニー的となり、個々のイメージが不鮮明になる。そして、印刷された紙が大量に重ねられるとき、その側面にはインクのシミが拡がり、1枚では認識出来なかったイメージが立ち現われる。1枚1枚取り除いて行けば消えてしまう、側面の滲むインクによるイメージは幽霊的だ。積み重ねられた写真はどっしりとした重さを感じさせるが、1枚1枚ではその重量感は霧消してしまう。その重量感も幽霊だ。
灰色を基調としたモノクロームの会場は、枯山水のようでもある。3箇所に設置された写真の山を「石」に擬えることができよう。「石」は島の象徴であり、山頂の太陽のイメージは蓬莱島を連想させる。港の船の上から捉えたイメージは、場の床を水(流れ)に変える。
あるいは、3つの写真の山を三尊像の見立てと解することもできよう。無論、山頂の太陽は量りしれない光の象徴であり、阿弥陀如来となる。
そこで気になるのは、山頂の太陽のイメージが、ネガのような明暗の暗転により、黒く表わされている点である。PS版の存在が象徴するように印刷が版の転写という反転を不可避とするからだけではあるまい。それは、岡本太郎の「黒い太陽」であり、過去へのまなざしであり、「歴史の天使」であることを暗示するためではあるまいか。積み上がる瓦礫を目にしながら未来へと吹き流されていく、ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)の提示した天使である。
空想が過ぎたであろうか。翻って写真に立ち返り、もう1つの柱となる、植木鉢の植物が置かれたガラス壁面を持つ部屋の写真に着目しよう。ガラス壁面(窓ガラスで覆われた壁面)を持つ部屋である。光を取り込む部屋。それは、写真機の原理であり祖型であるカメラ・オブスクラ(camera obscura)のアナロジーではなかろうか。そして、そのイメージは、写真の垂らされた部分を窓に見立てれば、会場自体と相似をなす。作品という印刷物を見て廻る来場者は、存在しながら決してイメージとして定着されることはない幽霊に等しい。鑑賞者の存在により完成する、印刷と幽霊のインスタレーションである。