展覧会『トリフォリウム―女子美術大学日本画修士在学生展』
UNPEL GALLERYにて、2025年7月5日~20日。
女子美術大学大学院美術研究科博士前期課程日本画領域に学ぶ、孫元園[孙元园/Sūn Yuányuán]、張梓璇[张梓璇/Zhāng Zǐxuán]、菱沼結菜、槇野鈴の4名の画家を取り上げる展覧会。
槇野鈴《帳》(1620mm×1620mm)は、タイル張りの床に置かれた、それぞれ形やデザインの異なる鉢・壺・深皿・甕と、それらのいくつかに植えられた植物3種、さらに垂らされた簾を描いた作品。正方形のタイルは主に白で、所々に淡いモスグリーンや水色のものが配される。大きな茶色い甕には蔓状に枝を伸ばす植物、窓絵のある染め付けの鉢にはプルメリア(?)、海景を描いた染付の鉢にはカンノンチク(?)がそれぞれ植えられている。他に壺や深鉢、藍色の鉢などが並ぶ。4つの簾が僅かに降ろされ、植物を覆う。いずれも降ろされる位置が異なり、鉢・壺・深皿・甕の形と配置、点在する色付きのタイルとともにリズムを生む。
槇野鈴《忘却の苑》(1455mm×2240mm)には、草花で埋め尽くされた場所を描いた六曲屏風と、その前でじゃれる犬とを描いた作品。折り曲げて立てられた屏風に描かれるのは、芙蓉や笹など様々な植物の葉が繁る場で、枝を伸ばす木瓜に付いた紅白の花が一際目を惹く。屏風の下の辺りには水草が浮き、染付の茶碗が沈んでいる。屏風の裏側には波の模様が描かれていることからも水陸の境界を描き出そうとしていることが知れる。半ば沈んだ茶碗の口縁の円形は片輪車の見立てであろう。宇治橋を描く柳橋水車図のように此岸と彼岸との境界がテーマなのだ。屏風の手前には黄色いテニスボールが転がる。絵の中から2匹のボストンテリアがボールを追って飛び出す。2匹は彼岸の存在のために、背中に文様が入っている。
《Paraiso》は風炉先屏風のような2曲1隻の屏風に、悠々と泳ぐハーフオレンジ・レインボーなどを描いた作品。水草が水の流れに揺らめく中を3匹のハーフオレンジ・レインボーが廻遊する。水を描くことなく水中であることが見事に表現されている。水草に掴まる小エビの姿も愛らしい。楽園もまたこの世に存在しない世界である。
張梓璇《Transformation》(1700mm×2200mm)は羽を拡げ跳び上がる孔雀と、その傍らの人物とを描いた作品。画面中央上部に、両端の皿に何も載らない天秤を銜える孔雀の頭部が位置し、華やかな飾り羽が画面右側に弧を描いて伸びる。孔雀の下には心臓を両手に持ち、その鼓動を聞いている、十字の模様の入った外套を身に付けた人物の姿がある。背後には棚があり、動植物の液浸標本が無数に並ぶ。人物はエリクサーを求めているのかもしれない。だが不老不死と釣り合うものとは何であろう。永遠の生とは永遠の死と同じく空虚である。
張梓璇《五月》(1620mm×1303mm)には、裸木の並ぶ中で身体を前に大きく折り曲げて立つ女性の姿を表わす。彼女は白いワンピースを身につけて腰を曲げ、さらに頭部が地面に垂直になるように首も曲げ、垂らされた髪と相俟って"П"字型の姿勢をとっている。彼女の肌は青くほとんど死者のようである。彼女の折り畳まれた身体の中からは沢山の花々が溢れ出して柱状になり、その廻りに蝶が群れ飛んでいる。彼女は自らの生命を提供することで、この世に春をもたらしているのかもしれない。豊饒の女神マイア(Maia)に擬えられようか。
張梓璇《四季》(910mm×727mm)は、雪を被った断崖と、それに重ねられた黄色い花を抱えた女性の肖像。冬と春のイメージは明瞭だが、夏と秋のイメージは分明ではない。
菱沼結菜《螺旋翼機の記憶》(2170mm×1720mm)は、農村地帯上空を飛ぶヘリコプター5機を描いた作品。画面左手前に上から捉えたヘリコプターの回転翼附近を、画面右手に左後方から捉えたヘリコプターの機体の前部を配してある。ローターブレードを停止しているかのように描くことで、時間を宙吊りにし、回転運動と浮遊感とを生み出す。農村地帯とともにヘリコプターを情報から眺める視点も浮遊感の効果を高める。雪舟の《天橋立図》を思わせる、画家の構想力が認められよう。緑や青などで描かれた機体も面白い。景観を映しこみ風景に溶け込むようでもあり、カナブンのような甲虫のイメージが重ねられているようでもある。
菱沼結菜《疾風の如く》(1620mm×1303mm)は、煙を吐いて疾走する国鉄C57形蒸気機関車を描いた作品。蒸気機関車の上に、それとはずらして機関車の銀の輪郭線を重ね、走行を表現する。黒い蒸気機関車の前面に玉虫色を用いることで、切り裂いた風景に塗れてしまったような効果を与えている。
菱沼結菜《灯ともし頃》(670mm×1420mm)は夕暮れ時の港のガントリークレーンを描いた作品。靄が掛かったような模糊とした画面に赤と白とで塗り分けられたガントリークレーンとコンテナ船とが描かれる。暗い海面にはガントリークレーンの照明の光の粒となって揺らめく。
孫元園《言葉にできない》(1620mm×1620mm)は、浅葱色の床に寝そべる女性を描いた作品。彼女の傍らには龍を描いた水差、壺などがある。右奥はヴォールトで、椅子や観葉植物の台の前後に古代エジプト美術を彷彿とさせる壁画を描いた円柱がある。不思議な世界を支えるのは、女性のすぐ背後に覗く、満月を想起させる銀色の円である。鏡にも見える円の中には人物の姿がある。ルイス・キャロル(Lewis Carroll)の『鏡の国のアリス(Through the Looking-Glass, and What Alice Found There)』における鏡であり、過去へと通じるワームホールである。また左手には植物も覗き、現在と過去だけでなく、屋内と屋外とを混在させている。ベージュや黄の壁、あるいは水色や紫の模糊とした空間が、パッチワークのように画面の背景を構成する。あらゆる世界、あらゆる時間が流れ込んでいることを表現する作品と言えまいか。
孫元園《燃秋》(2040mm×1720mm)は、扇子を持ち足を崩して坐る女性、両脚を投げ出して坐る女性、立て膝の女性を中心とした作品。3人の前後には大きさの異なる黄色の2曲屏風が複数配される。手前の小さな屏風には身体を投げ出す人物や、笛を吹く人物が配される。入れ籠の世界が表現される。植物の存在が内外を曖昧にし、挿入された流れの表現が異なる時間の併存を示唆する。
孫元園《四つの私》は風炉先屏風のような2曲屏風に4つの顔などを描いた作品。第一扇の下半分に、顎が切れるような位置に顔を配し、第二扇には右側から顎を開けた女性の横顔、俯く女性の横顔、そして前を見据える女性を左斜め前から捉えた顔を描いている。リズミカルな顔の配置が興味深い。ラシュモア山を想起させる。第1扇には糸が絡んだ右手が突き出されている。