展覧会『没後50年 坂本繁二郎展』を鑑賞しての備忘録
練馬区立美術館にて、2019年7月14日~8月18日(前期)、8月20日~9月16日(後期)。
100点を超える作品で坂本繁二郎を回顧する企画。師の森三美と同級生青木繁の作品がそれぞれ数点ずつと(展示室2)、能面などの旧蔵品(展示室3)、坂本繁二郎を紹介する映像作品(展示室1)も合わせて紹介されている。
「第1章:神童と呼ばれて(1897-1902)」(展示室2)、「第2章:青春 東京と巴里(1902-1924)」(展示室2)、「第3章:再び故郷へ 馬の時代(1924-1944)」(展示室2・展示室3)、「第4章 成熟 静物画の時代(1945-1963)」(展示室3・展示室1)、「第5章:『はなやぎ』 月へ(1964-1969)」(展示室1)の5章で構成。
《水より上がる馬》(No.51/1935/東京国立近代美術館)を筆頭に馬を描いた画家のイメージがあるが、名を知られるきっかけは第6回文展出品作で夏目漱石が評価した《うすれ日》(No.22/1912)という牛の作品だったという(第3章で坂本自身の「牛から馬に乗り換えた」というコメントも紹介されている)。《うすれ日》の中央には牛が描かれ、牛の背と後景の山並みが並行し、牛の模様と周囲の丘陵とが照応して溶け合う。淡い薄紫あるいはビリジアンを基調にまとめる後年に好んで用いた色彩とは異なるが、図と地とを調和させようとする姿勢は強く感じられる。また、牛を繋ぐ縄や、傍らに立つ木も、坂本が馬を描く際に好んで描きこんだものだ。
《鳶形山》(No.47/1932)では、なだらかな山容は遠景として低い位置に留められ、主役は川端康成が随筆「花は眠らない」で「食パンを切ったような」と評したという「十字型の雲」である。ところで坂本の代表作《水より上がる馬》(No.51/1935)は、キャプションにもある通り、実際の馬というより馬に見えた雲を描いたかのようだ。坂本は実際に目にして印象に残った雲の形を絵に起こしたのかもしれない。今回、坂本繁二郎展に足を運ぶきっかけは、《水より上がる馬》に描かれたような馬の形の雲を車窓から見たからだった。改めて作品を見たところ、馬の体に水色が大胆に用いられていることに気が付いた。この水色が、水に濡れて艶やかに輝く馬ではなく、雲の湧いた青空へと鑑賞者を差し向けるのだろう。映画『天気の子』で指摘される通り、空には極めて豊富な水量の水圏が浮かんでいる。空や雲に水をイメージして当然なのだ。
《壁》(No.98/1954)は、床の間の壁にかけられた能面を描いた作品ということになろう。しかし、壁面がピンクに塗られ、能面のそばには能面の影以外に、得体の知れない色彩が描き込まれている。ギュスターヴ・モローが宙に浮いたヨハネの首を描いた《出現》に通じるミステリアスな雰囲気が漂い、床に置かれた開いた箱から能面が浮遊する場面とも見受けられた。この解釈を前提とすれば、浮遊した存在(能面)からの眼差しというテーマは、晩年の月を描いた作品でさらに展開することになる。《馬屋の月》(No.132/1966)は、馬小屋にいる馬を描いた作品であるが、その画中画のように、小屋の窓(?)から夜空に輝く月が見通せる。内と外あるいは此岸と彼岸という境界を越えて眼差す存在を月に象徴させているのではないか。《月光》(No.139/1968)では境界は限りなく溶けて世界は渾然一体となる。東京(先に上京した青木繁)から郷里(坂本自身)を、フランスから日本を、郷里から東京(画壇)を、というように、戦前から戦後にまたがって距離をとる姿勢を貫いた坂本が到った境地だろう。文化勲章を受章した坂本が関心のあるテーマを問われ静物(nature morte)と答えた心裡には死の(morte)本質(nature)の探究、換言すれば生死の境界への思索があったのではなかろうか。