可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 高橋桃個展

展覧会『高橋桃展』を鑑賞しての備忘録
ギャラリー58にて、2020年4月6日~11日。

惑星に吸引されるガスや、神話の背景のイメージを生む、茶や灰色を基調とした糢糊とした画面が特徴の絵画が紹介される高橋桃の個展。

スラヴォイ・ジジェクは、その著書『斜めから見る 大衆文化を通してラカン理論へ』において、ロバート・A. ハインラインの小説「ジョナサン・ホーグ氏の不愉快な職業」を引き合いに、言語が現実を「現実そのもの」と欲望に歪められた視線によってのみ知覚可能な「〈物自体〉の空無」とに分けることを説明する。同小説は、私立探偵のランドルがホーグから職場で自分の身に起きていることを調査するよう依頼を受ける話。終盤で、ランドルは妻シンシアとともに帰宅する際、ホーグからどんなことがあっても車の窓を開けてはならないと指示される。

(略)二人がホーグの禁止に従っている間、災難は起こらない。ところが彼らは事故を目撃する。子どもが車に轢かれたのだ。二人は、最初は冷静を保ち、運転を続けるが、警官の姿を見ると義務感に悩まされ、事故のことを警官に知らせるために車を止める。ランドルはシンシアに窓を下げてくれという。

 シンシアはうなずいたが、次の瞬間、激しく息を吸い、悲鳴を飲み込んだ。ランドルは悲鳴をあげなかったが、あげたかった。
 開いた窓の向こうには陽光も警官も子どももなかった。何もなかった。そこにはただ形のない灰色の霧が、まるで生まれたばかりの生命のように、ゆっくりと脈打っていた。霧の向こうに街は見えなかったが、それは霧が濃かったからではなく、からっぽだったからだ。なんの音も聞こえず、なんの動きも見えなかった。(略)

 この「まるで生まれたばかりの生命のように、ゆっくりと脈打って」いる「形のない灰色の霧」こそ、ラカンのいう〈現実界〉、おぞましいほどの生命力をもった前象徴的な実体の脈動にほかならない。(スラヴォイ・ジジェク鈴木晶訳〕『斜めから見る 大衆文化を通してラカン理論へ』青土社/1995年/p.38-39)

 

高橋桃の作品も、その抽象性がゆえに、見る者によって様々な解釈=語りを生む。その意味で、「おぞましいほどの生命力をもった前象徴的な実体の脈動」=〈現実解〉の表象と言える。