展覧会『キュンチョメ個展「クチがケガレになった日、私は唾液で花を育てようと思った」』を鑑賞しての備忘録
NICAにて、2021年7月31日~8月30日(9月12日まで会期延長)。
2点の映像作品とそのエスキス(ドローイング)で構成される、キュンチョメの個展。
表題作の映像作品《クチがケガレになった日、私は唾液で花を育てようと思った》は、真っ暗闇に植木鉢だけが照らされて浮かび上がり、そこに作家(ホンマエリ)が現れて唾を垂らす様子を映し出す。モニターは3つあり、それぞれの映像の中で徐々に植物が生長していくだけでなく、右、中央、左の順で撮影時期が新しいものになっていて、次第に葉が茂ってく様子が確認できる。新型コロナウィルス感染症が猖獗を極める中、飛沫感染を防止するために人々がマスクを着用する姿が日常的な光景になった。そこで、作家は、口が忌避される存在となってしまったことを憂い、その価値転倒を狙った。作家は自らの唾液で植物(生命)を育む存在となることで、自らが発する光で生命にエネルギーをもたらす太陽の姿を重ねたのだ。暗闇の中から姿を現すのは、天岩戸から姿を見せる天照大神(≒太陽神)のイメージを拝借するためだろう。そして、現下の唾液は、新型コロナウィルスへの連想を必然とするが、「コロナ」の持つ「太陽」のイメージを介して口の再生のための回路を接続している。
映像作品《トラを食べたハト》は、ハトとトラについての1人語り。嫌いな食べ物を公園でハトに食べさせていた幼少期の思い出から語り起こされる。香港でも、日本と変わらないハトの姿に癒やされた。だが糞害のために餌やりは禁止となり、伝染病の蔓延の度に駆除されてきた。ハトの姿は、街中で憩う外国人家事労働者の姿にも重なった。だが黒い衣装に身を包んだ若者たちが現れ、彼らを攻撃する白いガスが充満するようになって、ハトやその友人たちの姿は見えなくなった。幼い頃、『ちびくろサンボ』に出てきたトラが溶けたバターを探し求めた。見つからないのはトラも同じ。イメージだけのトラは、艮(≒鬼門)から鬼、さらにはコレラ(虎烈刺)と結びつけられた。そのような恐ろしいトラになったつもりでアジアや太平洋に日本人が飛び出した時代もあった。香港の人々にその時代を思い起こさせたのが、デモ隊を武力で排除する警察の姿だった。トラにはなりたくない。平和の象徴であるハトに、軍神のトラを食べてもらおう。千人針に表わされたトラを啄むハトの姿が映し出される。
個人的な体験から説き起こし、平和を象徴するハトと戦争・疫病と結び付けられてきたトラにまつわる数多のエピソードを紹介しつつ、平和を祈念する結末までを見事に繋いで流れるように描ききる。ドキュメンタリーとは異なる美術作品として仕上げる手練れに唸らされる。
平和の象徴であるハトの趾を使ってピースマークを得ようと目論むというエピソードで署名偽造問題を取り上げる場面も印象深い。